6月7日は、鉄人・衣笠祥雄氏が2,000試合連続出場記録を達成&緑内障を考える日&母親大会記念日&第1回全国自動車競走大会が開催
【鉄人・衣笠祥雄氏が2,000試合連続出場記録を達成】
1986(昭和61)年6月7日、広島東洋カープの衣笠祥雄選手が、阪神タイガース戦で、日本プロ野球史上初の2,000試合連続出場の大記録を達成しました。
この偉業は、17年間休まなかった男としても脚光を浴びた他、当時は、スポーツ医学に関する知識が充分ではなく、精神論が先行する時代での記録達成に、怪我を克服する強さ、野球選手としての身体造り、プロとしての在り方など、その多くが、時代を問わず模範とすべき行いとして、今日でも語り継がれています。
その後、連続出場記録は2,215試合まで伸び、同氏の功績は、鉄人の愛称と共に讃えられています。
また、2,215試合連続出場記録を打ち立てた功績から、国民栄誉賞を受賞していて、衣笠氏のつけていた背番号「3」は、広島カープの永久欠番に指定されています。
【緑内障を考える日】
緑内障フレンド・ネットワークが、りょく(≒ろく6)な(7)いしょうの語呂合わせにちなんで、6月7日に記念日を制定しています。
緑内障は、視神経が傷つき視野が狭くなる病気のことで、視野の周辺部からゆっくり進行するため、発見が遅れがちになる傾向にあることから、定期的な検診が呼びかけられています。
その一環として、緑内障フレンド・ネットワークでは、記念日を制定した6月7日に合わせて、緑内障患者へのエールや励ましのメッセージを発信する「グリーンメッセージキャンペーン」が、SNSなどで展開されていて、緑内障で悩む方々へ向けた励ましと勇気と希望を届ける活動が行われています。
【母親大会記念日】
1955(昭和30)年6月7日、東京の豊島公会堂で、第1回母親大会が開催されたことを受けて、記念日が設けられています。
母親大会は、社会問題、教育、育児、平和、女性の地位向上について、母親の立場から考え、話し合い、お互いの連帯を深めることを目的に開催される大会で、平塚らいてう(らいちょう)氏をはじめとした女性運動家が決起。
第1回大会では約2,000人もの人が集まり、前年の1954(昭和29)年に起きたビキニ環礁での水爆実験実施に対する反対運動が呼び掛けられました。
また、同大会は、(当時意識的に高くはなかった)母親たちの社会活動への意欲を高める契機となったとされていて、今日では、全国各地で日付けを問わず、同様の大会が開催されています。
【第1回全国自動車競走大会が開催】
1936(昭和11)年6月7日、日本初の本格的自動車レース「第1回全国自動車競走大会」が、神奈川県にあった多摩川スピードウェイで開催されました。
それ以前から自動車レースや大会自体はあったものの、広場や空き地を利用した場所ばかりで、雨が降ると地面がぐちゃぐちゃになるとの声も多く、大規模なレースになると、主に環境面での問題がありました。
そこで有志が募り、多摩川の土手に舗装が施された「多摩川スピードウェイ」が造成されました。
同大会には、フォード:アメリカ、ベントレー:イギリス、ブカッティ:フランス、フラスキーニ:イタリアといった、国外でも有数の自動車メーカーも多数参戦していて、レースは車体の大きさ別に設けられるなど、かなり大規模なものでした。
加えて、大会当日には、約3万人以上もの観衆が集まるほどの大盛況で、後に本田技研工業(現:HONDA)を起ち上げる本田宗一郎氏もレースに参戦していました。
戦後すぐに多摩川スピードウェイは廃止されましたが、跡地の一部は、「多摩川丸子橋硬式野球場」として、現在も残っていて、座席跡や階段などは当時のまま現存しています。
(以上、ネット検索より)