10月12日は、コロンブス・デー&サントリーホールが開館&日本初のインターネット専用銀行が開行&芭蕉忌/時雨忌/翁忌
【コロンブス・デー】
1492(明応元)年10月12日、イタリアの航海者クリストファー・コロンブス氏率いるスペイン船隊「サンタマリア号」が、新大陸・アメリカを発見したことにちなんで、国際デーとして記念日に制定されています。
国際表記:Columbus Day
中世ヨーロッパでは肉食が中心で、その調理に使用される香辛料は高値で取引きされておりました。
が、香辛料自体が欧州では入手しづらく、アジアからの輸入に頼っていたため、アジア圏の植民地化を考えていたスペイン女王の支援を受け、インドを目指した航海に出発。
悪天候からくる視界不良や、計算ミスの影響も相まり、艦隊が無事陸地(=アメリカ)に到着してから亡くなるまで、コロンブス氏自身は、到達地がインドだったと主張し続けていました。
国際デーのコロンブス・デーは、地域や場所によって、ディスカバリー・デー、大陸発見記念日、新大陸発見の日、ナショナル・デー:主にスペインと、様々な名称が付けられています。
また、コロンブスは、アメリカ先住民を迫害していたとの記録も見受けられることから、近年では、コロンブス・デー自体を、先住民の日、ネーティブアメリカンの歴史をたたえる日に変更すべきとの議論も起こっています。
【サントリーホールが開館】
1986(昭和61)年10月12日、東京都港区に大型コンサートホール「サントリーホール」が開館しました。
赤坂アークヒルズの一画に位置し、日本のクラシック音楽業界を牽引し続けている大型ホールのひとつです。
また、東京都内初のクラシック音楽コンサート専用ホールでもあり、国内のみならず、海外の著名オーケストラや指揮者が演奏を行っています。
サントリーホールには、舞台装置や特殊な照明等はなく、音響をより反映させた舞台づくりが施されていて、会場との一体感を生み出すことに見事成功しています。
このことは、著名な演奏家や海外の指揮者たちからも非常に高い評価を受けていて、日本を代表するコンサートホールのひとつとして利用され続けています。
【日本初のインターネット専用銀行が開行】
2000(平成12)年10月12日、日本初のインターネット専用銀行であるジャパンネット銀行(現:PayPay銀行)が営業を開始しました。
実店舗を構えず、新規口座の申し込み、振込、解約といった、一連の諸手続きをインターネットだけで完結できる銀行は、IT時代を担うこれからの新しい銀行のスタイルとして高い評価を得、以後、多くの銀行もインターネットバンキングに注力したことから、ジャパンネット銀行(現:PayPay銀行)は、ネットバンクの先駆け的存在とされています。
そして、この日は、ネット銀行の日として、記念日に制定しています。
【芭蕉忌/時雨忌/翁忌】
俳諧師として活躍し、「奥の細道」などを著した、松尾芭蕉の忌日=元禄7年10月12日/新暦:1694年11月28日。
松尾芭蕉自身が時雨の句をよく詠んでいたことと、10月の別称のひとつに時雨(月しぐれづき)があることから、同氏の忌日は時雨忌とも呼ばれている他、当時の平均寿命が約50歳前後とされる中、俳諧の旅を始めたのが45歳からだったこともあり、翁忌(おきなき)とも呼ばれています。
《松尾芭蕉に関するウワサ》
江戸時代の平均寿命が約50歳前後とされる中で、旅に出たのが45歳と高齢ながら、移動距離やその速さは、現代のスポーツ選手でも割とキツい行程だったこともあり、明治〜大正期より、松尾芭蕉は忍として、徳川家康に仕えていた服部半蔵ではとする説がささやかれていました。
主な理由としては、移動距離に対する速度が一般の若者よりも圧倒的に速い、当時は藩堺や要所には関所があり、徳川将軍家の関係者でもない限り、諸国を自由に行き来するのは困難が挙げられ、ちょっと変わり種としては、松尾芭蕉が巡遊を終えた後から、かごめの唄が東日本一帯で広く歌われだしたとされ、かごめの唄にはいろんな解釈があり、そのひとつに、徳川埋蔵金に関する情報があるのではとの説もあることから、 (優秀な逸材発掘のため)見つけてごらん的な意味合いを込めて、「かごめの唄」を全国に浸透させるために諸国を周っていたのではといったものもあります。
が、近年の研究で、松尾芭蕉は服部半蔵ではないことが通説となっていますが、松尾芭蕉という人物に、違った角度からの注目が集まる一因です。
(以上、ネット検索より)
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