5月6日は、聖徳太子が十七条憲法を制定&ユーロトンネルが正式開通&コロッケの日&さくらパンダの日&国際ノーダイエットデー
【聖徳太子が十七条憲法を制定】
604年5月6日(旧暦:推古天皇12年4月3日)、聖徳太子(≒厩戸皇子:うまやどのおうじ)が、「十七条憲法」を制定したとされています。
「和(ワ)ヲ以(モ)ッテ貴(トウト)シトナスを第一条に掲げられた憲法は、論語、礼記、儒教の経典 を基に、法家と仏教の要素を加味して作成されています。
人と人とが仲睦まじく親しくすることを貴いものとする、という考えで、四字熟語では「以和為貴」と記載されます。
条文数が「十七」なのは、当時用いられていた陰陽道に通ずる考えで、陰の最大数8、陽の最大数9の和が「17」になることからだと考えられています。
が、「日本書紀」「先代旧事本紀』」の歴史的資料には「十七条憲法」に関する記載があるものの、憲法が十七条となったのは、(聖徳太子没後の)もっと後の年代なのではと見る向きが強く、近年の研究では、聖徳太子の存在自体が不明瞭になってきているため、今後の研究や新たな史料の発見次第では、歴史的解釈が大きく変わる可能性があるうちのひとつと目されています。
《聖徳太子は実在しなかったとされる4つの理由》
[理由1:肖像画自体が疑惑だらけ論]
肖像画の疑惑:1:後世の人が描いたイメージ画説
聖徳太子の肖像画とされている画像ですが、これは「日本書紀」に聖徳太子とされている人物として登場するのが最初です。
が、聖徳太子が亡くなったのは622年頃と目されていて、622年頃は飛鳥時代に当たります。
日本書紀が出来たのは722年頃とされているので、編纂時期を含めたとしても、約100年のタイムラグがあります。
旧札の肖像画は、文字だけしか残されていない約100年くらい前の人の特徴を、後世の人が人伝いか想像で書かれたものと歴史研究家の多くが指摘していて、併せて、実際に肖像の人物が聖徳太子かどうかは全くの未確証です。
肖像画の疑惑:2:持っている笏(しゃく)説
聖徳太子が手にしているものは「笏」と呼ばれ、威厳を出す、ちょっとしたメモ張代わり、メモした内容をチェックするためのもので、笏を手にして携帯するようになったのは、奈良時代からと今日の研究では目されています。
聖徳太子の時代には、笏自体がなかったのではとの指摘もあり、「聖徳太子は実在しなかった」を強くするひとつの要因です。
肖像画の疑惑:3:冠、衣服が時代錯誤説
聖徳太子が肖像画で着ているちょっとゆったりめな服と冠は、どちらかというと「日本書紀」が編纂された700年代のトレンドのもので、飛鳥時代には、あのような服を着なかったのではとの疑問が持たれています。
肖像画の疑惑:4:ひげは後から加筆説
肖像画を見た人によって印象や解釈の違いはあれど、聖徳太子のヒゲの部分は筆質や筆圧が違っていて、年代の異なる別人が書き足したものとの指摘も言われています。
[理由2:隋書との違い論]
当時の中国で覇権を握っていた隋で書かれた史料によると、608年に日本へ来訪しているとの記録がありますが、その時、日本で会った王は男性だと記されています。
年代的、記述的に、日本の王(天皇)は推古天皇と推察でき、推古天皇は女性です。
隋の記録が間違いなのか、日本の歴史自体が分かっていることと違うのか?
どちらにしても真偽が非常にあいまいだと捉える向きがあります。
[理由3:摂政という役職は飛鳥時代になかった論]
「日本書紀」の記録によると、聖徳太子は女性天皇である推古天皇の摂政となり、代わりに政を執り行ったと解釈出来る文面が多く残っていて、これが、日本史上最初の摂政の登場です。
が、摂政という単語の出自や、使われ方に時代錯誤を唱える学者も少なくありません。
[理由4:厩戸王の能力論]
聖徳太子という言葉は後から付けられた尊称ですが、これは最大級の賛辞とも受け取れます。
冠位十二階の制定、憲法十七条の制定、国史編纂、遣隋使の派遣、三経義疏、法隆寺・四天王寺の建立、仏教興隆など、とても素晴らしい実績を遺しているため、尊称が冠されるのは自然な流れとも言えますが、上記の功績を厩戸王が為した、もしくは関与したという記録が、どの資料にも一切見つかっていない現実があります(2022(令和4)年末時点)。
厩戸王は、立場や官位的に、政の中核を為す役職にいたことは確かなので、完全に否定は出来ませんが、どうも怪しいし、そもそも、こんな大業を本当に一人で成し得られるのかという疑問も、歴史研究者の間では議論の的です。
【ユーロトンネルが正式開通】
1994(平成6)年5月6日、グレートブリテン島側:イギリス、ヨーロッパ大陸側:フランスを繋ぐ鉄道用海底トンネル「英仏海峡トンネル」が正式開通しました。
英仏海峡は、両間にある海峡がドーバー海峡と呼ばれていて、トンネルはドーバー海峡の真下を通っていることから、「ドーバー海峡トンネル」とも呼ばれていました。
が、近年では、ユーロトンネル(Euro Tunnel)、海峡トンネル(Channel Tunnel)の名の方が、現地で通じやすいそうです。
【コロッケの日】
コ(5)ロ(6)ッケの語呂合わせにちなんで、冷凍食品などの製造・販売事業を展開している株式会社味のちぬやが、5月6日に記念日を制定しています。
コロッケは、元々フランス料理の前菜のひとつでもある「クロケット」が始まりとされています。
表記:croquette:フランス語で=言葉:croquer、意味:バリバリ食べる という動詞。
文明開化の明治期に日本へ伝わった際に、「クロケット」が訛って「コロッケ」になったと言われています。
日本へ伝わったコロッケは、洋食の代表格として大ヒットし、大正期には 食器 大正の三大洋食 のひとつに数えられるほど親しまれておりました。 コロッケ とんかつ カレーライス その後コロッケは日本独自の進化を遂げ、近年では 料理人 日本料理のひとつとして海外でも紹介される ケースが多く、諸外国でも コロッケ Korokkeコロッケ の名で親しまれています。
【さくらパンダの日】
映画「余命1ヶ月の花嫁」のモデルにもなった長島千恵さんの命日(2007(平成19)年5月6日)を、さくらパンダの日として追悼の意を込めて記念日が設けられています。
「さくらパンダ」は、長島千恵さんを励まし続けたキャラクターにちなんで命名されたもので、記念日制定には長島千恵さんが伝えたかった、乳がん検診の大切さ、生きていることの素晴らしさを、 患者さん、健常者さん関係なく、一人でも多くの方に伝えていく想いが込められています。
また、乳がん撲滅に関する運動は、世界中でもピンクリボン活動として展開されています。
【国際ノーダイエットデー】
ダイエットを強いるような気運や過度のプレッシャーが世界中で広がっていることを危惧し、ダイエットで引き起こされる健康への影響を訴えることを目的に、イギリスのフェミニスト、メリー・エヴァンス・ヤング氏が、国際デーとして記念日を提唱しています。
国際表記:International No Diet Day
偏った食生活や無理なダイエットは、貧血、ホルモンバランスの乱れ、体調不良、生理不順を引き起こし、自身の生活レベルに悪影響を及ぼしかねないとの提言もされています。
また、極端なやせ願望や肥満恐怖から、結果的に拒食症や過食症を含む摂食障害の精神疾患に陥る危険性もあることから、例年5月6日には、世界各地で健康に関するイベントや呼びかけが催されています。
(以上、ネット検索より)