1月25日は、左遷の日&初天神&菅公学生服の日&カノッサの屈辱&お詫びの日&朝日新聞が創刊した日
【左遷の日】
延喜元年1月25日、時の右大臣・菅原道真(すがわらのみちざね)が、醍醐(だいご)天皇によって九州の大宰府に左遷されたことにちなんで記念日が設けられています。
新暦:901年2月21日。
文学に長け、物怖じせず、自分の「正」に正直だったとされる菅原道真が左遷された理由に関しては、特にその黒幕は誰かについて、今なお歴史家の間でも意見が分かれています。
一説には、菅原道真の才能を激しく妬んだ時の左大臣・藤原時平(ときひら)が、何かにつけて醍醐天皇に菅原道真の讒言(ざんげん)を繰り返していたことや、先代であり、父であった宇多天皇が重用したことで、本来持てるはずもなかった権力を得た菅原道真を、醍醐天皇が危険視したことなどが言われています。
讒言:人の悪口などを言って、その人を貶おとしめることや、その様。
いづれにしろ、全くの濡れ衣で福岡県の太宰府に太宰権帥(だざいのごんのそち)として左遷された菅原道真は、無念の思いを抱きながら、2年後の延喜3年2月25日に亡くなりました。
菅原道真の死後、京では天災などの天変地異が相次ぎ、権力者の一部だけが変死を遂げるなど、奇妙な出来事が相次いだことから、左遷され無念の死を遂げた菅原道真の祟りだと恐れられ、菅原道真の怨念(と考えられていたもの)を鎮めるべく、天満大自在天神として信仰の対象にし、祀りました。
その経緯もあり、菅原道真は今日でも学問の神として、全国の神社等で崇められています。
また、全国各地約1万2,000以上ある天満宮では、毎月25日が道真公を祀る縁日です。
《初天神》
毎月25日は、主に菅原道真公を祀る天神様の縁日とされていて、一年で最初の縁日は初天神と呼ばれ、各地で天神祭等が催されています。
《菅公学生服の日》
1月25日が学問の神とされる菅原道真にちなんだ「左遷の日」と「初天神」になっていることにちなんで、学業成就と健やかな成長を祈願する意味を込めて、学生服ブランドの菅公(カンコー)学生服株式会社が記念日に制定しています。
【カノッサの屈辱】
1077(承保4)年1月25日、時の教皇グレゴリウス7世に破門された、神聖ローマ帝国の皇帝ハインリヒ4世が、教皇に謝るため、冬のアルプスを越えて来訪するも受け入れてもらえず、カノッサ城の門前に3日3晩立ち尽くした、通称カノッサの屈辱がありました。
国のトップである皇帝よりも、教皇側の権力が絶大であることを証明する結果となった一連の事件は、中世ヨーロッパにおける権力闘争の流れを読み解く上でも重要な転機でした。
《お詫びの日》
皇帝ハインリヒ4世が謝罪のため、教皇グレゴリウス7世のもとを訪れた1月25日は、お詫びの日として記録されています。
また、カノッサの屈辱というフレーズは、誇り高い地位や権力を持つ者が謙虚になる、または屈辱的な状況に追い込まれることを示す言葉として、広く用いられています。
【朝日新聞が創刊】
1879(明治12)年1月25日、大阪の朝日新聞社が「朝日新聞」を創刊しました。
創刊当初は、新聞小説、通俗記事が主体の大阪ローカル新聞だったものの、政府参議だった伊藤博文氏らが、同じく参議の大隈重信氏を政府から追放した事件「明治14年政変」以降、紙面での政治色を強めました。
また、東京で刊行されていた『めさまし新聞』を買収し、「東京朝日新聞」として、創刊と同時に東京進出を遂げ、日露戦争前には主戦論を展開するなど、政治色を全面に押し出す全国紙へとスタイルを変えていきました。
今日では、ネット配信、各支局の世界展開、海外通信社との情報共有など、全世界に取材網があり、国内で最も権威のある新聞のひとつであり、世界的にも認知度の高い媒体です。
(以上、ネット検索より)