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7月21日は、日本三景の日&奇兵隊が結成&神前結婚記念日&玉川上水が開通&日本初の通学定期券が発行

【日本三景の日】

江戸時代の儒学者・林鵞峰(がほう)が、著書「日本国事跡考」の中で、松島:宮城県、天橋立:京都府、厳島(宮島):広島県の3ヶ所を日本三景として絶賛したことから、日本三景観光連絡協議会が、林鵞峰の誕生日(1618年7月21日/旧暦:元和4年5月29日)の7月21日に記念日を制定しています。

上記「日本三景」は、「国の特別名勝」に指定されています。

《国の特別名勝・全36ヵ所》
特別名勝はいづれも「文化財保護法」で指定された箇所です(2023[令和5]年末時点)。

[北海道・東北地方:3ヶ所]
十和田湖および奥入瀬渓流:青森県、秋田県
毛越寺(もうつうじ)庭園:岩手県
松島:宮城県

[関東地方:3ヶ所 ]
小石川後楽園:東京都
六義園(りくぎえん):東京都
旧芝離宮庭園[浜離宮庭園]:東京都

[中部地方:6ヶ所]
御岳昇仙峡(みたけしょうせんきょう):山梨県
上高地:長野県
富士山:山梨県、静岡県
黒部峡谷附(つけたり)猿飛・並びに奥鐘山:富山県
兼六園:石川県
一乗谷朝倉氏庭園[一乗谷朝倉氏遺跡]:福井県

[近畿地方:17ヶ所]
天橋立:京都府宮津市
大仙院書院庭園:京都府京都市北区
大徳寺方丈庭園:京都府京都市北区
鹿苑寺(ろくおんじ)庭園[金閣寺庭園]:京都府京都市北区
龍安寺方丈庭園:京都府京都市右京区
慈照寺庭園[銀閣寺庭園]:京都府京都市左京区
天龍寺庭園:京都府京都市右京区
法金剛院青女滝附(つけたり)五位山:京都府京都市右京区
二条城二之丸庭園:京都府京都市中央区
金地院庭園:京都府京都市左京区
本願寺大書院庭園:京都府京都市下京区
西芳寺庭園:京都府京都市西京区
醍醐寺三宝院庭園:京都府京都市伏見区
浄瑠璃寺庭園:京都府木津川市
平城京左京三条二坊宮跡庭園:奈良県
平城京東院庭園:奈良県
瀞八丁(どろはっちょう):和歌山県、奈良県、三重県

[中国・四国地方:4ヶ所]
岡山後楽園:岡山県
三段峡:広島県
厳島[宮島]:広島県
栗林(りつりん)公園:香川県

[九州・沖縄地方:3ヶ所]
虹(にじの)松原:佐賀県
雲仙岳[温泉岳]:長崎県
識名園(しきなえん):沖縄県

【奇兵隊が結成】

1863年7月21日、長州藩士・高杉晋作らの呼び掛けにより、藩士や武士、庶民といった身分に関係ない有志団体奇兵隊が結成されました。

旧暦:文久3年6月6日手前日付に関しては諸説あり。

高杉晋作

「奇兵」は「正規兵」と反対の意味を持つ言葉で、「奇兵隊」も、当時の長州藩の正規軍の呼称「撰鋒(せんぽう)隊」に対する反意から名付けられたとされています。

奇兵隊は、外国艦隊からの防備を、藩のために闘う戦闘部隊として活躍し、その実績から、長州藩の常備軍のひとつとなっていきました。

山縣有朋

所属したメンバーには、吉田稔麿(としまろ)、入江九一(くいち)、山縣有朋、伊藤博文、他、明治維新で活躍する面々が属し、新撰組との争い、第一次長州征伐、第二次長州征伐、戊辰戦争、萩の乱を含め、多くの歴史舞台に登場しました。


【神前結婚記念日】

結婚式は、家庭で行うのが一般的だった1900(明治33)年5月10日に、時の皇太子様(後の大正天皇)の御婚儀が、初めて宮中賢所大前で行われた ことにより、国民の間でも、神前で結婚式をしたいという気運が高まっていきました。

それを受けて、東京都にある神宮奉斎会本院(現:東京大神宮)が、神前結婚式のPRを始めたのが、1900(明治33)年7月21日だったことにちなんで、記念日が設けられています。

東京大神宮

《余談》
現在執り行われている神前結婚式の原型は、日比谷大神宮の宮司が宮中婚礼を参考にして作り、東京大神宮が、一般向けにアレンジしたものだとされています。


【玉川上水が開通】

1654年7月21日(旧暦:承応3年6月20日)、多摩川の水を江戸市中に運び込む役割を持つ玉川上水が、羽村〜虎ノ門間で通水しました。

前年には、東京・羽村〜四谷間で開通していましたが、残り区間の四谷〜虎ノ門が開通したことで、全長約43kmの人工用水路が完成しています。

江戸時代当時、飲料水不足が年々深刻さを極める中で、多摩川に目をつけた幕府は、国家プロジェクトとして、玉川上水の建設を推し進めました。

玉川上水の完成は、1700年代以降の新田開発にも大きく貢献していて、武蔵野、千川といった、割と水源に乏しい地域にも、多くの用水路が建設可能となり、農地拡大を促進させた効果のほか、多岐にわたって活用されています。


【日本初の通学定期券が発行】

1896(明治29)年7月21日、山陽鉄道会社(現:JR山陽本線)が、日本で初めて通学用の定期乗車券を発行しました。

列車座席の運賃が、1等、2等、3等といった「等級」によって決められていた当時、2等以上の旅客用定期乗車券はあったものの、一般に該当する3等級用の定期券は販売されていませんでした。

そんな中、通学用として児童を対象にしたものではありましたが、山陽鉄道会社が、3等旅客向けとも言える定期乗車券を発行。

この施策が大変好評だったことから、以後多くの鉄道会社で通学用定期券が導入されていき、その後に、3等級向けの通勤用定期乗車券も発行されました。

《余談》
山陽鉄道会社(現:JR山陽本線)は、通学定期券の導入以外にも、食堂車の導入、寝台車の連結など、進歩的な取り組みを率先して行っていて、いづれも評判が高かったことから、ファンの間では、今日でも根強い人気を誇っています。


(以上、ネット検索より)

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