【掌編小説】夏の炎は駆ける
灯野村に夏祭りがやってきた。北の国の夏祭りはあたたかく、すずしい。
食卓には瑞々しい野菜や果物と、じゃがいも料理がならび、とっておきの魚を焼いて、梅干しを入れたおにぎりを食べる。
灯野族の少年フウトは夕方、夏祭りの準備から抜け出し、針葉樹の森を歩いていた。
村のほうを振り返ると、たくさんのテントに明かりがついて、ランタンの火がゆれている。
もう少しでキャンプファイヤーが焚かれる。そして毎年恒例の歌があとちょっとではじまる。
その歌が、残る雨粒の匂いと小さい生き物の匂いに溶け込むように響き渡るのが、フウトは嫌いじゃなかった。
まっすぐ針葉樹の森を歩く。金色の月が、影の落ちたドレスのような葉の間から顔をのぞかせている。
聞こえてくるのは夜鳥と遠くで鳴く羽虫の声だけ。
後方でいちだんと大きな明かりが灯り、歓声と吐息が風に乗って届いた。
キャンプファイヤーがはじまったのだ。
フウトは針葉樹の森の先の湖をめざしていた。夜風が吹く森を抜けると、青い湖面が白と金にかがやき、ゆれていた。
灯野村に住む動物たちは、この世界で一番純白で美しく、感受性が豊かだった。
人間と暮らす犬や猫は村の人々を癒やし、森の鹿や兎は、世界の悪いエネルギーを吸い取る力があった。
ゆえに、動物たちの寿命は短かった。
森で死をむかえる動物たちに悲しみを感じ、ある一人の青年が湖でひとりキャンプファイヤーをしていた。
すると、炎が真っ白に変わり、熱さを感じなくなった。青年は想いが届いたことによろこび、その炎へ足を踏み入れた。
ある日、少しだけ森の生き物たちが増えて草をはんでいる姿や、隣近所で若くして病気になってしまった犬がまた元気に歩きまわる姿を見るようになった。
それでもまだ動物たちが抱えるものは大きいのだろう。
フウトは今、その青年と同じことをしようとしている。
祭りの日はいつもとちがう世界の扉が開く。キャンプファイヤーを焚いて、炎が真っ白になるのを待った。
そこへ、変わり者の羊飼いが来て言った。
「君、ほんとうに行くのかい」
それにフウトはうなずく。
「いいのさ、ぼくずっと一人で生きてきたから」
色が変わった瞬間、フウトは足を踏み出した。
その時、牡鹿が勢いよく飛び出してきて炎を消した。
牡鹿は真っ白い炎を足で踏み消すと、そのまま湖沿いに弧を描いて、走り去っていった。
フウトは呆然とその走り去る姿を見送った。夜闇に浮かぶ純白の牡鹿だった。
「どうやら、先駆者はその必要はないと、言っているようだね」
羊飼いは言った。
「彼だったの」
純白の牡鹿は、まるで炎が駆けていくようだった。
月の反射する湖面と、風に消える白い煙。薪は不思議と少しも黒くなっていなかった。
少年にとってこの世で一番美しい獣の残像だけがそこに残っていた。
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