【短編小説】ポロン
ポロンは自分の住んでいる国が好きじゃなかった。
「だってすべてが真っ黒なんだもの。ね、パール」
ポロンはベッドに置いてあったぬいぐるみを引き寄せつぶやいた。名前はパール。パールはポロンと同じ三角の耳と小さいまるい目をしている。ポロンは全身真っ黒だけど、パールはオーダーメイドで真っ白に作ってもらったのだ。
「今日も雨風がひどいね。絵本で読んだ明るい火の玉ってほんとうにあるのかな」
窓は厚く作られているけれどガタガタと鳴るし、時おり貝殻のようなものが窓にあたる。町のゴミやそうじゃないものが飛んでくることもあるが、海から石や貝殻がぶつかりに来ることもあった。
小さな家はポロンの城だ。こじんまりとしたキッチンやリビング、お客さんは来ないけれど部屋は二つある。そのうちの一つがポロンの部屋だ。
〈雨荒れの国〉の住民はみんな暗雲の中から生まれた。だから血縁もないし、家族もいない。さみしいけど、たまに助け合えるならそれでいいと思っている。
「さあ今日はどの絵本にしようか。やっぱり海の話が好きだな」
ポロンは本棚から〈深海の国〉という絵本を取り出し読みはじめた。
深海王国〈メロド〉に住む深海族パロンは、田舎生まれの平凡な少女だ。歌声であふれる深海で唯一歌えない子だった。それは歌おうとしてもメロディは浮かばないし、他のメロディに合わせようとするとかすれて声が出ない。国のみんなは美しい歌声と美しい白い体を持つ深海の天使だ。でも、パロンの体は深海そのもの。深海に消えてしまいそうな深海色。だれも彼女を見つけられないし、だれも彼女の声を知ることはなかった。
「これはほんとうにあった話なんだ」
ポロンはパールに言った。
「この絵本を描いた雨荒れ族のトロンはずっと海へ出たかったんだ。小さな船が完成してようやく出航できた。そこで海の底から出てきたパロンと出会い、おたがいの国や生活のことを語り合った。そしてたくさん語り合ううちに、トロンはその話を絵本にしようと誓ったんだ」
窓がガタガタゆれている。今外に出たら飛ばされてしまうだろう。
「トロンは沖に出てはパロンを甲板に乗せてあれこれと話し合った。パロンは大嵐でも平気だったけれどトロンは最初のうちは荒波にたえきれず、何度も岸へ戻った……。ああ、でもすごいなトロンは。〈雨荒れの国〉につながる海はどこまでも暗雲が広がっているんだ。そんな海でパロンと会いながら絵本を描き続けるのは、だれにでもできることじゃない」
その時、ガタンと大きな音がしてポロンは飛び上がった。なにか玄関のドアにあたったのだろうか。
風は強く雨音はまだ鳴り止まない。リビングへ行くと外はうるさいくらい木々がうなっているのに、家の中はとても静まり返っているように感じる。
ポロンはとにかく外が気になって玄関へいそいだ。ドアを開けるとすぐに雨風が顔に降りかかる。暗雲から生まれた雨荒れ族は、雨風に強い。強いけど、好きかどうかはみんなそれぞれちがう。ポロンは好きじゃなかった。
「オールだ!」
ドアにへばりついていたのは、船を漕ぐオールだった。木で作られたオールはそれほど古くはない。でも、だれかが大切に使っていたように木目が生き生きとしているように感じる。
「もしかしてトロンのオール?」
ぶおっと強風が吹いて空に高々と上がっていった白いものが一瞬よくわからなかった。でもすぐにそれがパールであると気づいた時には灰色の空に消えて見えなくなっていた。
「パール!」
脇に抱えていたのをすっかりわすれてた。落ちてこないかと空を見上げていると、かすかにパールの白い体が上空でびょんびょん風に遊ばれているのが見えた。しかしパールはそのまま風に乗って海の方向へと飛んでいってしまった。
パールの代わりにオールを担いで、ポロンは海へと走った。葉っぱや枝、町の住民が使っている食器や家具の一部、荒れ狂う風がいたずらっ子のようにそれらを飛ばし投げて遊んでいる。
ゆるやかな丘を下りていくと、草木の間から黒々とした波がダンスをするように右へ左へと飛び跳ねているのが見えた。大きな海蛇が群れになって踊っているようで、ポロンは身震いした。
「パールが見えなくなっちゃった! でも海のほうへ来たのは間違いないんだけどな」
オールを担いでいたのでへろへろになって浜辺に腰を下ろした。
「深海王国〈メロド〉なんてあるわけないよね。だってこんなに黒くて荒れてて……あの絵本のように美しい王国があるなんて、信じられない」
大嵐と荒海でポロンは自分はもう深海にいるのかもしれないという錯覚に見舞われた。やっぱり、深海に王国はなかった。だって見てよ。黒と灰色の世界だ。あの絵本はきっと作り話だったんだ。
ふわっと視界に現れた白い姿を見てポロンはまた立ち上がった。パールが砂浜にいた。走れば手の届く場所に落ちている! いそいでかけ寄って手をのばす。でも、あと一歩のところでまた風に乗っていってしまった。
つかめなかったどころか、ポロンは迫り来る荒波に呑まれぐるぐると回転しながら海に引きずり込まれていってしまった。
いくら雨荒れ族といえど水の中でずっと息ができるわけではない。海にもまれ続ければ、いずれおぼれてしまう!
もがく力もなくなり、海の中へと体が沈んでいく。
(もしかしたら深海族なんてほんとうはいなくて、その代わりに今ぼくを深海に向かって引きずり込んでいるのは海の怪物なのかもしれない)
どんどん深海へ落ちていく……。目を閉じる直前、くねくねとした生き物のようななにかが見えた。それが体に巻きついた。
ぐいぐいと体が上昇していく。一気に海面へ飛び出たかと思うと、巻きついていたものはポロンを持ち上げかたいものの上へと乗せた。
灰色の荒れた空が見える。上から絶え間なく水しぶきが降りそそぐ。
水を吐いてうめきながら上半身を起こした。まわりは荒海だ。でもポロンは船の上にいた。
「オールが一個しかないの! わたしは尻尾で漕ぐから、あなた使ってちょうだい!」
振り返るとそこには、海の色……いや、深海の色をした深海族が凛とした顔で半分船から乗り出した状態で立っていた。大嵐の中でもドレスを思わせるひれが美しく風になびいていた。
「ええ、きみパロン?」
「知ってるの? ああ、そんなことよりはやく漕いで!」
強くそう言われ、ポロンはあわててオールを手にした。
しかし今度はパールが荒れ狂う波間に見え、ポロンはオールを使って引き寄せようとした。
「あぶない!」
パロンがさけんだが、ポロンはまたしても海に投げ出されてしまった。すかさずパロンが手をのばしてくるのが見える。すると、急に水の中で息が楽になり、間近にパロンの顔がよく見えた。
「あなたどういうつもり? 自分から海に飛び込むなんて」
「あ、ぼくの体。すごい泡で包まれている!」
空気が体をおおい、海中でも息ができるようになっていた。
「うん、深海族の魔法。もしかしてあのぬいぐるみを追っているの?」
パロンが手を引いて沈んでいくパールのもとへ向かう。
「そう、パールっていうんだ。ぼくの大事な……あ、あ、あれはだれ?」
真っ白い生き物がすべるように泳いできたかと思うと、パールをつかんでものすごいスピードで海の奥へと行ってしまった。よく見るとふたりいるようだ。
「もうリンとラン! そういえばあなた名前は?」
「ポロン」
「やだ、また名前が似てる。いいわポロン、しっかりつかまって!」
パロンはさっきのふたりを追うようにスピードを上げた。パロンがポロンの右手をつかんでくれているが、ポロンも必死につかみ返す。スピードはどんどん上がり、まわりはどんどん暗くなる。
次の瞬間、パッと周囲が明るくなった。
真っ白い茸のような建物がどこまでもどこまでも広がっていた。とんがりの建物もあれば、まるいドームのような建物もある。高かったり、低かったり、どこまでものびている棒状の道や、くるくると螺旋になった道もあった。
「深海王国〈メロド〉だ!」
ポロンの目の前でパロンはすべり込むようにふたりの深海族をつかまえた。ひとりは右手で、もうひとりは尻尾で。ふたりの深海族はどちらもまだ子どもだった。
「リン、ラン。そのぬいぐるみを返して。あと王国から出ちゃいけないって何度も言ってるでしょ」
リンとランと呼ばれた子たちは「えー」と駄々をこねながらも、しぶしぶぬいぐるみを返してくれた。
「そちらの生き物って地上のなんとか族?」
桃色の貝殻を頭につけている子がポロンに近づいてきて言った。
「リン、興味をしめさないの」
「トロンとはちがう?」
水色の貝殻の子も首をかしげて問いかけてくる。
「ふたりとも……鐘が鳴ってる。唱歌の時間だよ、いそいで大広場に。ポロンも来て」
パロンはそう言って〈星貝の塔〉と呼ばれる一番高い塔をポロンに教えてくれた。手をつないで塔まで連れていってくれる。近づくほどたくさんの深海族がまわりに現れ、みんなが同じ場所をめざしているのがわかった。
〈星貝の塔〉の下は波形の柵にかこわれた巨大な広場になっていた。そこに王国の深海族がほとんど集まっているらしい。
そして歌がはじまった。
フルートのような声、ホルンのような声、鈴のような声、大きな鐘のような声。それらが合わさり最初は静かにゆっくり王国に響き渡る。
パロンの歌声はこの世に存在しない楽器のようで一段と透き通ってうっとりする、絵本でしか見たことのない天使を彷彿させるものだった。
そして大きなシンフォニーが広がる。低音から高音まですべてが一つになる美しい大調和。深海の魚たちと、不思議な色彩の泡がその音楽に合わせて周囲を旋回し、舞い踊る。
フィナーレになって感動のあまり声が出ないでいると今度はアップテンポの曲に変わり泡が一気に上昇。みんなもいっせいに四方八方へ散り大広場を飛び出すほどそれぞれが思うがままに踊り出した。
みんなが泡に包まれ、パロンも見えない。楽器の大きなピリオドによって海のすべての生き物が最後の動きを決めて、音楽が終わった。
「ブラボー!」
拍手喝采にまぎれて、ポロンも高揚感に包まれた。
「パロン、きみの歌声すばらしかった! 絵本では歌えなかったのに。トロンに出会ったおかげなんだよね」
ポロンの拍手にほころんでいたパロンの表情が曇った。
「トロンの話はしないで。絵本を読んだだけなのに!」
パロンは、するっとみんなの間を抜けて行ってしまった。
「パロン!」
あっという間に見えなくなるパロンを追いかけようとしたが、じたばたともがくだけでぜんぜん前へ進まない。
「大丈夫? パロンの友だちね。あの子気が強くてびっくりしたでしょ」
振り向くと大天使のような、この世のものとは思えない美しさを持った深海族がそこにいた。虹色のきらめきを放った真っ白な姿。ひと目でそのひとが普通の深海族ではないとさとった。
「私は深海王国〈メロド〉を統べるものです」
「あ、女王さまですか! はじめましてポロンです」
女王はメリアナと名乗りポロンと握手してくれた。後ろにふたりの深海族がいて、きっと護衛をつとめているものたちだろうと思った。
「パロンは王家のものではないですよね」
ポロンが聞くとメリアナ女王はほほえんだ。
「田舎生まれです。でも歌声がすばらしく、唱歌では中心を担っています」
「それは」
「歌の才能を開花させたトロンという雨荒れ族は行方不明です。それでパロンはまたふさぎ込んでいます。できればポロン、あなたにトロンの行方を調べてほしい」
ポロンがとまどっていると、後ろの護衛のひとりが女王になにかを渡した。
「トロンのものと思います。笛のようですが、きっと雨荒れ族にしかわかりません。どうぞ」
もらったものは雨粒の形をした黒い笛だった。ポロンは笛とパールをしっかりにぎりしめ、自分を陸へ送ってくれるよう女王にたのんだ。
護衛ふたりによってポロンは浜辺へと戻ってきた。護衛たちを見送り、トロンをがんばって探してみると伝えた。
もう嵐は止んでいるが、空はあいかわらず黒い雲でおおわれている。ポロンは浜辺に冒険用の船が一艘漂着しているのに気づいた。
「パロンが乗っていたものだ。オールもう一個、どこかにあったはず」
ポロンはパールを紐で背中にくくり、笛も首に下げた。そしてオールを探して浜辺を歩いた。飛んでいってもおかしくない。でもオールは途中、岩に引っかかっていた。
船にオールを投げ入れ船尾を押した。ポロンは船に乗って海へ出た。
海の真ん中めざして漕いで漕いで漕ぎまくった。笛がなんとなく、なにかに反射したように光っている気がする。
船を止め、海の果てを見つめる。
「トロン、きみもしかしてなにか考えがあって、目的があっていなくなったの? パロンがさみしがっているよ」
ポロンは荒れた海の下に美しい王国があったこと、パロンのすばらしい天使の歌声、トロンが雨粒の黒い笛を作ってそれを吹けないままどこかへ行ってしまったことを思った。
そして雨粒の黒い笛を吹いた。
強く大空に響き渡る風のメロディ。竜巻が起きて一気に空を、暗雲を切り裂いた。
「わあ!」
絵本で見た明るく澄んだ青空、そしてオレンジ色のまぶしい火の玉がはるか上空に現れた。ポロンのまわりだけまるく光のサークルが海面を照らしている。上から降りそそぐ光のカーテンだ。
「いったいなにをしたの?」
船縁にパロンがいた。
ポロンはふと海の果てからなにかが近づいてくるのを感じてじっと見つめた。
黒い生き物が近づいてくる。深海族のように長いひれと尻尾がある。ひれがまるで勇ましいマントのようだった。
「トロン!」
パロンとトロンは抱き合って海面でぐるぐるとまわった。再会のよろこびの声が吸い込む空気さえ温かくする。
「パロンもうずっと一緒だよ。神さまにたのんで、深海王国で暮らせるようにしてもらったんだ。もうぼくも深海族だ。神さまのところでずっと修行してた。つらかった。でも、もうおわった」
トロンはそう言った後、ポロンを見た。
「君の笛の音色が修行をおえる合図だった。ぼくは笛を作っただけで力尽きたから。ありがとう」
「さようならポロン。また会いましょう」
パロンとトロンは手をつないで海の底へと帰っていった。
「お礼を言うのはぼくのほうだよ」
夢にまで見た青空とオレンジ色の火の玉……太陽。ポロンはゆっくりと息を吸い込み、歌った。
泡のカーテン これが世界の色
光る不思議の間に きみが見える
ずっとあこがれていた 絵本のストーリー
はるか彼方に想う 虹色の彼をさがして
冒険の船で宝石のような海へ出よう
きみがもどってきたその日に 光の輪があらわれる
もう一度海のシンフォニーの中で ぼくらはかがやく
歌いつづける 新しい歌 神さまの音色が変わるまで
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