【会期終了迫る〜明日11月12日まで】松濤美術館「杉本博司 本歌取り 東下り」
先日、渋谷の松濤美術館で開催中の『杉本博司 本歌取り 東下り』展に行ってきました。
すごく良かったので感想を書き残しておきたいなと思ったら、あっという間に会期終了間近…!(明日、11月12日までのようですね)
そこで駆け込み失礼ですが、せっかくなので備忘録の意味も込めて、書いておこうと思います。
1970年代からNYを拠点に、現代美術家として精力的な活動をしている杉本博司。
写真をメインに、彫刻、インスタレーション、演劇、建築、造園、執筆と、表現領域が多岐にわたっていて、新しい作品を目にするたびに毎度新鮮な感覚をもたらしてくれます。
今回の展示は、和歌の伝統技法「本歌取り」がテーマ。
これは自分にとっては馴染みのない言葉だったので、和歌の技法の「本歌取り」を、杉本博司がどのようにアートに落とし込んで表現するのだろう?
という純粋な好奇心から、会場に足を運んだのでした。
本題に入る前にまずは「本歌取り」について、美術館のHPからの引用をご紹介。
和歌は、美しい自然風景を前に心揺さぶられる瞬間を歌にしたためたもの、その時その瞬間の心象風景を切り取った日本古来の古典詩ですが、実際に作品を目の前にしたとき、なぜ杉本氏が「本歌取り」をテーマに作品づくりをしたのか?という謎が、少しだけ溶けたような感覚になりました。
原始の記憶、人間の無意識に訴えかけるような美しい自然風景、その「一瞬を切り取ろう」とする営みは、歌(ことば)で残す和歌という表現方法のほかに、写真を撮るという技法があって、両者の技法には、深く通底する部分があるからです。
今回の展示を代表する作品のひとつ、葛飾北斎の《冨嶽三十六景 凱風快晴》を本歌とした新作《富士山図屏風》は、その意味でも実験的な作品だと感じました
一見すると、富士山の雄姿と流麗に続く山々の稜線が見てとれるようですが、写真の中に映し出されているのは、実際の富士山ではないのだそう。
稜線は凱風快晴のように急勾配になるようにデジタル処理で誇張されていて、民家や高速道路などもデジタル処理で消されている、といいます。
富士山の優美な姿を、北斎がデフォルメして描いた《冨嶽三十六景 凱風快晴》を本歌とし、それを現代のデジタル技術を駆使して別の山を富士山に見立てて、表現するという発想。
「富士そのもの」に見えたこの作品に心を揺さぶられるとともに、古き良きものの中に新しさを見出す、杉本氏の創作への態度に魅せられた瞬間でした。
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この他にも、杉本氏が設計を手がけたアート施設で、2017年に開館した「江之浦測候所」のある、小田原の風景を切り取った作品も印象的でした。
こちらも以前、江の浦に伺った際に素晴らしい絶景を前に、感動を味わったのでぜひまた訪れてみたいと思います。あの場所で能舞台が見たい!!
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また、中国宋時代の画家である牧谿の水墨画技法を本歌取りとしたという作品、《カリフォルニア・コンドル》もとても印象的な作品で、深く魅せられました。
これは本展のメインビジュアルにも使用されている作品で、一目見た瞬間「かっこいい!」と痺れました…!
この作品を見たいがために、松濤美術館に向かったといっても過言ではないくらい。 ちなみにこれを最初に見た時、私は ここに映っている風景は、
「日本」で、鳥は「鷲」に違いない
と思ったのですが、どうやらそれは全くの勘違いだったようです…。
実際は、 「カリフォルニアが舞台で、鳥はコンドルだった」ということがわかり、ここでも新鮮な感動が待っていました。
そして今、執筆しながら思ったのですが、鳥はひょっとして、本歌「取り」の「鳥」と音でかけているのでしょうか。(きっとそうでしょうね)
なんと風流で、粋なのでしょう!
これはどんなアーティストにも言えることだと思いますが、その世界に入り込んで作品と深く対峙するほどに、あらたな視点を与えてもらえるところが、アートの楽しさだなぁと、鑑賞するたびに思うのでした。
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この他に印象的だったのは、書を本歌取りした新作「Brush Impression」シリーズです。
このシリーズは、コロナ禍でニューヨークのスタジオに戻ることができなかった間に、写真の暗室で印画紙の上に現像液または定着液を浸した筆で文字を描き、作品化したものだそう。
現像液を使用して描いたのは、「あいうえお」をモチーフにした作品。
あいうえお、から始まる日本語45文字を書の作品にしているわけですが、単に「あいうえお・・・」書かないところに、ご本人の遊び心が垣間見えるようで、思わずクスッとなってしまいました。
「愛飢男(あいうえお」とは、なかなかユニークですよね!
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最後にもう一つ、新しい発見がありました。
それは、杉本博司と、松濤美術館を設計した白井晟一の間に親交があったことです。
白井晟一といえば、19世紀後半から20世紀にかけて発生したモダニズム建築が主流であった時代に和の要素を取り入れた建築技術を追求した、近代日本建築の系譜の中でも異色の存在。
そんな白井作品の代表作の一つとして知られる松濤美術館は、近代以降の日本の美術館の多くがモダニズム建築によるホワイトキューブでつくられていた時代に、あたたかみのある和モダン建築を貫いていたのですね。
杉本博司は、そんな白井建築のファンでもあるようで、本展では杉本の強い希望もあってこの場所が選ばれたそうです。
白井建築は、個人的な感覚ですが、洞窟のなかでなにかあたたかいものに包まれている感覚があって、訪れるたび、不思議な安心感を感じます。
渋谷区松濤という、ある意味で都会のど真ん中にありながらも、ほっとくつろぐことができて、静かで、ふとした瞬間に太古の記憶に触れられるような空間は、とても貴重だと思いました。
松濤美術館は1981年に開館したので、今年で42年目ですが、ずっとこの場所に佇んでいてほしい稀少な美術館の一つです。
アーティストが渾身の思いでつくり上げた、一点一点の作品も貴重ですが、だからこそその作品を生かすための空間は大事だなぁと実感した出来事でした。
今後も、さまざまな美術、アート作品を鑑賞するだけでなく、作品を生かす場所としての「建築」という観点からも見ていきたいと思いました。
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