リトルマーメイドとパートオブユアワールドとLGBT
実写版リトルマーメイドが話題になっています。
この映画と音楽と原作の関係性について、興味深いことがあったので、
記憶が新しいうちに書きます。
以下、、
※今回、
自分の備忘録として書いています。
※長文です
※念の為、
ネタバレには気をつけますが、
どうしたも知りたくない方は、
読まないでね
┈┈┈┈┈┈┈┈┈
まず、
リトルマーメイドを見ようと思ったのは、使われている音楽、
パートオブユアワールドに興味があったから。
ピアノを弾くにあたり、
やはり映画を見ていた方が、
いい影響があると思ったから
見に行くことにした。
そして、
見に行くにあたっては、
事前にスタエフで情報収集。
映画の情報をつたえている方のチャンネルで、リトルマーメイドについてお話されていたので少し聞いてみることに。。
そこで、私は驚きの事実を
知ることになる。
ある映画評論家の記事を
スタエフのチャンネル内でお話されていた方がいて、その話をまとめると…
○実写版リトルマーメイドは、
近年のディズニー映画の中でも、
賞賛されるべき内容であること。
○アニメ版のリトルマーメイドは、
内容として完全でないこと。
○今回の実写版リトルマーメイドで、
はじめて、リトルマーメイドは完成された作品として存在することになる
ということ。
これだけ聞くと、
何のこと?と思うはず。
ここからが本題。。
実は
リトルマーメイド、人魚姫というのは、
人魚と王子様の恋物語とされているが、
実際は、そんなシンプルな内容ではない、ということ。
理由としては、
原作のアンデルセンが、
ゲイであったことがあげられる。
アンデルセンが生きた時代というのは、
同性愛について、言うことも出来ない時代だった。日の光をあびながら
一緒にいることなんて出来ない時代。
だから、
アンデルセンは、好きになってはならない人を好きになってしまった葛藤を
人魚姫の中で描いている、
ということ。(人種の違う愛)
そして、
パートオブユアワールドの作詞をした、
ハワードアッシュマンという方は、
アンデルセンがゲイであったことを知った上で、
叶わない恋に苦しむ状況をわかっていて、この歌詞を書いているということ。
そしてそして、
この実写版リトルマーメイドの監督も、
ゲイの方であるということ。
アンデルセンの心の葛藤を知った上での歌詞、
そして、監督もその気持ちを
理解できる。
アンデルセンが
描こうとした、隠れた意味に
光を当てる、歌詞、
そして映像。
今回の実写版リトルマーメイドで、
ハワードアッシュマン、
そして監督によって、
アンデルセンの意図が反映された内容になっている。
だからこそ、
同性愛についても、
オープンになってきたこの時代に
公開されることに大きな意味があり、絶賛される映画となっている。
ということらしい。
私はこの事実を知ってから
映画を見たけれど、
もう、最初の最初から、
涙が出てきてしまった。
たしか、1番最初に
スクリーンに出された文字というのが、
はっきりとは覚えていないが、
たしか、こんなことだった。
人魚姫は、
涙が無いのがつらかった
みたいな文章。(正確ではない)
つまりこれはどういうことかというと
アンデルセンが生きた時代、
ゲイであることは公言出来ず、
好きとも言えず、
悲しむことさえも許されない、
常識として、
そんなことはありえない、
くるしかったよね、
という、意味が込められているんじゃないかと思った。
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他にも、色々な比喩が出てきたと思う。
例えば、主人公のアリエルは、
「火」ってなに?
というようなことをよく言っていた。
これって、
火を表しているのでは無いと思う。
海の中の世界で、
父親と姉達と暮らしていたアリエルは、
異性という存在が目の前には無かったと思われる。
人間の王子様を初めて見た時に感じた気持ちのことを
火って何?で表現しているんじゃないかと思う。
火のような、気持ち、
初めて知る概念、みたいなもの。
心の中に燃えるもの。つまり愛。
それを、火の文字で
表していたと私は思う。
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パートオブユアワールドの日本語の歌詞で、
ひのひかりあびながら
自由に〰️
みたいなところ。
ここなんて、まさに、
同性愛の気持ちを言っているようにしか思えない。
ここまで、
たくさん同性愛という言葉を書いているが、身近にも同性婚をした人がいるので(海外のお友達)
ほんの少しだけ理解はしているつもり。
リトルマーメイド実写版を見ながら、
過去の色々な時代に、
愛を伝えられなかった人がいること、
現代では、それが可能になってきていること、
それが、肌の色に関係なく、
年齢に関係なく、そういう思いを
かかえている人が世界中にいるということ、
それを伝えられる現代であること、
そんなことが思い浮かんだ。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
ここからは映画と少し離れたお話。
先日、大切な友人と
人との関係性、愛について、
話す機会があった。
彼女が言うには、
「今後、愛の形は変わっていくと思う。数十年前には、なかったような愛の概念が、今は出てきていると思う。
(LGBT?)
だから、これからの時代というのは、
今の私たちには無いような、
愛の概念も出てくると思う。
一夫一妻、これがあった上で、
これだけではない、
何か別の形も生まれていくのでは」
こんなことをお話してくれた。
私も、なるほどなと思いながら
その話を聴いていた。
これから、数十年経った頃に
いまでは考えられないような愛の概念が出てきても不思議では無い。
もしかしたら、
今、愛情に関して、
こんな考え方は、
変なんじゃないかとか、
何かしらの違和感を感じている人が
いたとするならば、
それは、
まだこの今の時代には無い概念であり、
数十年後に、
普通になる考え方なのかもしれない。
今、経験していない、
知らない愛の形、
もしかしたら、
AIとかチャットGPTなども
関係してくるのかな。
でも、
きっと、
今を生きる人間が
想像出来ないようなこと、
想像を超えること、きっとそう。
数十年経った時に、
今日、こんなふうにつらつらと
書いたことを、
私は思い出すんだろうか。
そして、その時には、
人は
どんな愛につつまれているんだろう。
半分、想像の世界に、
自分は生きているのかもしれないなと、これを書きながら思った。
そして、
想像、創造、自分の
頭の中から生まれ出てくること。
それが上手に伝わらなかったとしても、
なぜか、この映画のお話は、
残しておこうと思った。
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