焼肉を食べるよりも感動すること

11日から妻の実家へ帰省をしていました

そして12日には、友だちの家にお泊りでした

今回は、友だちの家で感動したことのお話しです

友だちとの関係

友だちとは、小学生のころからの付き合いです
中学生になってからは、あまりにも家に行きすぎて
家族あつかいになっていました

18時に友だちの家では夕飯になるのですが、ぼくの分もしっかりと作られています
なので友だちの家でご飯を食べて、じぶんの家に帰ってからもご飯を食べることもありました

友だちの家の食事は、自然のものが多く、和食のような食事です
当時のぼくは、どれもおいしいとは感じず、そもそも苦手だったなと思います

たとえば、味噌南蛮とか焼き魚とか、たくあんなどの漬物とかばかり
小学生とか中学生なら、やっぱりお肉をがっつきたい
そんな年頃だったので、苦手だったのです

だれかの作ったごはんは美味しい

友だちの家に泊まることは決まっていて、事前に連絡もしていました

それをふまえて友だちに「今日の夜ご飯どうするのかな?」と聞くと
「ほかにも親戚がくるから、焼肉やるって言ってたよ」と言われて
おっラッキー、ならお酒も買っていこうとなり、ウキウキしていました

お昼すぎに友だちの家につき、友だちとひたすら遊んでいました
遊戯王カードをしたり、ゲームをしたり、ボードゲームもやりました
こんなに遊んだのは久しぶりだなと満足です

そんなふうに遊んでいると、いつの間にか17時
「ん?焼肉の準備がはじまらないな」なんて思いながらまだ遊ぶ

そして18時
焼肉ではなく、いつも通りのごはんであった

食卓に並んだものは

  • 焼き魚

  • 大根の千枚漬け

  • ミニトマト

  • 豚肉の味噌いため

  • 南蛮漬け

食べた
夢中になってお米をほおばった
きっと美味しさに感動していたのだろう

だれかの作ってくれたごはんであること
自然のものが多いこと

この食事ができるのもあたり前じゃないんだよな
ありがたい、ありがとう

焼肉じゃなくてよかった

焼肉といつもの食卓

焼肉もたしかにいいけれど
そこに優しさを感じることはできるだろうか?

ぼくは本当にラッキーだ
もし焼肉だったら、この気持ちに気づくことはなかった
優しさを感じ、食材を感じ、食事で感動することができた

ちなみにつぎの日
妻の実家で焼肉だった
だからこそ、なおさら感じることができたということだ

2日連続で焼肉も、なかなかハードだからその面でもラッキーだ

ラッキーはすぐそばにある

人生はキセキで埋め尽くされている

そのキセキに、これでもかってくらい目を向ける
これでもかってくらい感謝する

するとね、どんなこともラッキーになる

ぼくはそうやって毎日ラッキーで幸せに暮らしている
ぼくにできることをやり続けている

できることをやれることもラッキーだから感謝
朝おきれるのだってラッキーだから感謝
ごはんをだれかに作ってもらえるのもラッキーで感謝

人生はキセキだ

奇跡のあふれる毎日をすごし
人生の軌跡をさらにラッキーにしていきましょう

いまこうしてnoteをかけること
いまこうしてnoteを読めること

ぼくが書かなきゃあなたは知らない
あなたが読まなきゃあなたは知らない

この出会いすらもキセキだし
あたり前ではないのだから

出会えたことに感謝
ありがたい、ありがとう


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