SS【もみじ】#シロクマ文芸部
お題「紅葉鳥」から始まる物語
【もみじ】(894文字)
「紅葉鳥ちゃんよ、見て、あなた」
錦秋の陽光を背に、赤ん坊を抱いている妻の影がやさしく娘を包み込んでいる。
妻が赤ん坊の小さな手を取って僕に見せる。
「もみじみたいな手が指を開く時って…小鳥が羽を広げようとしてるみたいじゃない?」
それで、もみじどり?そんな風に見えるかなぁと思ったけれど、娘を産んでから体力が回復せず床に伏せったままの妻には笑顔でいてほしい。僕はうんうん、とうなずいて同意した。どう見えようと可愛いのには違いないのだから。妻は、ことりちゃん、もみじちゃん、とつぶやきながら、娘を愛おしそうに見ている。
「ミルクできたよ」
妻は乳の出が悪かったので、赤ん坊のミルクはたいてい僕が作った。妻が受け取った哺乳瓶をくわえさせると、赤ん坊はすぐさま勢いよくちゅうちゅうと飲み始める。哺乳瓶を抱えようとする手は福々しくて、紅葉というよりもみじ饅頭みたいだ。
元気に育てよ、もみじちゃんと僕が言うと、この子の名前『紅葉』にしましょうよ、と妻が言った。
秋の日が、早くも山の端に隠れようとしている。
妻が赤ん坊の頬をつつこうとすると、ふっくらした小鳥みたいな指が伸びてきて、妻の細い指をきゅっと握りしめた。窓から差し込む残照が、青白い妻の顔を一瞬輝かせ、その笑顔をくっきりと浮かびあがらせる。
時間よ、止まってくれ……。
しかし、願いは叶わなかった。
残照はゆっくりと消えて、部屋は影に覆われた。僕の心に忘れられない光景だけを遺して。
紅葉は妻の命を受け継いで、すくすくと育った。
それから三十五年経った錦秋の頃、紅葉は嫁いで行く。
お父さんを一人にできないと言っているうちに、妻が亡くなった時の年齢になってしまったけれど。良い人と出逢えてよかった。
嫁ぐ日の朝、紅葉が茶を淹れてくれた。器に添えられた手は、まだ艶々として福々しい。妻の細かった指を思い出し、健康そうな手に安堵する。
「大きな鳥になったなぁ」
「なぁに、鳥って」
僕はふふっと笑って答えない。紅葉鳥の話は娘には話していない。あの日、心に焼き付けた光景は僕だけのものだから。
「幸せになれよ」
錦秋の陽光を背に、コクンとうなずく娘の影が僕をやさしく包み込んでいる。
おわり
(2023/11/4 作)
小牧幸助さんの『シロクマ文芸部』イベントに参加させていただきました。
『紅葉鳥』って鹿のことなのだそうですが…(今回知りました!)
……知らないふりして書きました(;・∀・)
ぷぃぷぃ
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