掌編小説【かろやか】
お題「係(かかり)」
【かろやか】
今夜はひとりだからなにを食べようか。
お昼は恋人とフルコースを食べたので軽いものとワインにしよう。
そんな気分。軽いもの、かるいもの。
ふと、美容院で手にした雑誌で読んだ記事を思い出す。
毎日ツナのサンドイッチしか食べないのに、百二十歳になっても元気なおばあさんがいるという。変化がないことは心身のストレスにならない。だから、そんな生活でも健康でいられるのだろう、と解説されていた。
いいなぁ。
買い物に行っても買うのは毎日パンとツナ。パンツナ、パンツナ、らんらんらん。なんてシンプル、なんて清々しく軽やかなんだろう。そのおばあさんは、食事以外のこともほとんどルーティンだった。
うん、今日はそのおばあさんを真似てみよう。
サンドイッチ用の薄いパンにバターを塗る。ほぐしたツナに塩コショウとレモン汁を混ぜる。マヨネーズは重いから今日は使わない。それをパンに挟めば出来上がり。つまみやすいよう、小さく四つに切り分けて皿に載せる。
ベランダに出て冷やした白ワインを開ける。
外はまだ薄明るい。五月の夕暮れ。
今日は、夫は翔子さんの所に行く日だ。
だから私の心はふわりと軽い。そんな心に、おやつみたいなツナサンドがぴったりくる。白ワインが喉をするりと滑り落ちる。
今頃、翔子さんは酢豚を作っているだろう。夫の好きな春巻きにコーンスープも。中華は重い。あれを全部手作りするのは本当に面倒だ。だから中華は翔子さんの係にしてもらった。料理上手な人がいてくれると本当に助かる。私ができなくても文句を言われないから。
私は夫とは本の話をする。お互い本好きなので、最近何を読んだとか、読んだ本について意見や感想を交わし合う。私と夫はお互いに『本の係』だ。
翔子さんと夫は「おいしいね」を交わしているのだろう。私が今日のお昼に『美味しい食事をする係』の恋人と交わしたように。
ツナサンドのおばあさんも誰かのために何かの係を担っていたのだろうか。それを卒業してシンプルな人生になったのかもしれない。
おばあさんはこんなことも言っていた。
変わりゆくものは自然に変わっていきますもの。
あたくしはそれを見ているのが大好きですの。
今のおばあさんは、ただ見ている係なのかもしれない。
ちょっと神さまみたいだ。
風が吹く。
ワインでほんのりと温まった頬に夕暮れの風が心地よい。
翔子さんがいてくれてよかった、と思う。今頃ふたりは楽しく過ごしているだろう。今この瞬間、私も楽しいように。
赤く染まりつつある空を見ながら、ツナサンドをつまんで齧る。そしてワインをもう一口。
まもなく夕日が山の端に沈む。変わりゆくものは変わりゆく。たしかに。
さて、今夜は『電話でおしゃべり係』の年下の恋人に電話でもしようか。
彼の声はマシュマロみたいに甘く、話はポップコーンみたいに軽い。
私はそれを聞きながら、コロコロと笑う。
まだ神さまにはなれないから。
おわり
(2023/4/30 作)
※ツナサンドのおばあさんの記事【繰り返し】はこちらです…(*´ω`*)