掌編小説【まとはずれ】
お題「的」
「まとはずれ」
期待に応えたい。それは人類普遍の願いではないだろうか。
そう思うからこそ、人はあらゆる武器を携えようと努力する。美とか財とか知識とか。そうすることで他者から素晴らしいと褒めたたえられ、尊重され、愛される。
私もそう思ってきた。だからまずは親の期待に応えるべく努力した。成長するにつれ、友人や恋人、会社の期待に応える必要も出てきた。私はいつも精一杯努力した。
それなのに。
今、私が抱えているものは賛美でもなければ尊重でも愛でもない。
虚しさだ。
両親は私が就職すると同時に離婚し、子育ては済んだと清々しているのか、それぞれ新しい伴侶を得て私のことなど見向きもしない。友人達は私をなんとなく疎ましく思っているらしいし、入ったばかりの会社はブラックだし、三年付き合った恋人からは、ついさっき「好きな子ができた」と振られた。その子は私の友人で、私よりもずっとバカで地味でさえない女だった。
「どうしてよ。こんなにがんばってきたのに」
私は叫ぶようにそう言うと、的に向かってダーツを思い切り投げつけた。ダーツは的を外れて床に落ちた。
「お客さん、もう少し肩の力抜いて、手首を使うといいですよ」
やさしそうなバーのマスターが言う。ここはダーツバーだ。恋人に振られたショックで、どういう店かも知らずに適当に入店し、立て続けにジンを三杯飲み干した。ダーツなんてやる気はなかったが、四杯目を注文した時、マスターにやってみたらと勧められたのだ。
「肩のちから…」
私は新しいダーツを手にとった。カタノチカラナンテドウヤッテヌクノカワカラナイ。
「呼吸を感じて、ただ、スッと投げてみるんですよ」
マスターがそう言って新しいダーツを手渡してくれた。私は言われた通り、自分の呼吸に意識を向けた。鼻や喉を、少しつめたい空気が通っていく。その感覚は少し私を驚かせた。こんな風に感じたこと、なかったかもしれない。
そしてなにも考えずにダーツを投げる…というより、放った。肩から指先に向かって何かが抜けていくような感じがした。ダーツは的の端の方にかろうじて刺さった。
「あ」
「お見事」
マスターが手を叩く。その音は大げさでもなくおざなりでもなかった。
「今の感じ、いいですよ。ダーツはね、がんばらなくてもいいんです。むしろがんばらない方が、ね」
がんばらなくてもいいことなんて、この世にあったのか。
「ぼくなんて、がんばるの嫌いだからこんな商売してるんです。気楽にね。たいして儲かりもしないけど」
白髪交じりの中年のマスターは柔和な顔で私に三本目のダーツを手渡した。まだ早い時間で店には私以外に客はいない。私は的を見据えて三本目を投げた。ダーツは的を外れて落ちた。
「今はちょっと狙っちゃいましたね。狙わない方がいいんですよ、最初は、ね」
ダッテホメラレタインダモン。私の中で声がする。私はその声をせつなく聴きながら、もう一度呼吸だけに意識を向けて四本目を投げた。
ダーツが、トスッと音をたてて中心に近い所に刺さった。
「いい感じですね」
私はそれから何十本も投げ続けた。最後にはもう何も考えず、ダーツが逸れようが当たろうが落ちようがどうでもよくなってきた。ただ、ただ投げ続けた。マスターは黙って次々にダーツを手渡してくれたが、最後にダーツではなくティッシュが手渡された。いつの間にか私は泣いていたらしい。涙を拭き、鼻をかんで、私はスツールに座った。
「どうでしたか」
「…肩の力が抜けたみたい」
泣いたせいもあって、肩だけではなく全身から私は力が抜けていた。
「がんばらないのも、わるくないでしょう」
マスターが氷水をカウンターに置いて、にっこりと笑った。
私は店を出た。入る時には見もしなかった小さな看板にはこう書かれていた。
「ダーツバー・まとはずれ」
こんな名前で客が来るんだろうか。私はクスッと笑った。
たまたまここに入ったことは、私には大当たりだったけれど。
おわり (2022/8 作)
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