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SS【風向き】#シロクマ文芸部

小牧幸助さんの企画「風鈴と」に参加させていただきます☆

お題「風鈴と」から始まる物語

【風向き】(1378文字)

 風鈴といえば夏だと思うのだが、トモエさんの家の縁側には一年中風鈴がある。
 三月に私が引っ越しの挨拶にうかがった時、家の奥から『ちりーん』と音がして、あれ?風鈴みたいな音……と思ったら、やっぱり風鈴だった。

 私が引っ越してきたのは祖父母の家で、二人が亡くなってから長く空き家のままだったため、アトリエ兼住居として使うことにしたのだ。
 二十代の時、たまたま時流に乗って売れた私のイラストは、その後の時代の変化に乗り切れず取り残されつつあった。
 転居には、そんな風向きを変えたいという思いもあった。

 隣家のトモエさんは八十代ではあったが、とても可愛らしくお洒落な人で、祖父母とも親しかったらしく、私が孫だと知るととても喜んでくれた。
「まぁ、あなたがこの絵を描いた方なの?」
 トモエさんは私が描いてデザインした百貨店の包装紙を、ブックカバーにして大事に使ってくれていた。
 そんなわけで、トモエさんと私はすぐに仲良くなり、はじめて居間に上がらせてもらった時に縁側の風鈴を見つけたというわけである。

「やっぱり風鈴だったんですね」
「やっぱりって?」
「ご挨拶にうかがった時、三月なのに『ちりーん』って音がしたから」
「そうなの。うちでは一年中、風鈴付けっぱなしなのよ」
「外すのに手が届かないとか?なら、手伝いますよ」
「ありがとう。でもいいのよ。私、風鈴の音が大好きなの」

 その時は四月だったけれど、風鈴はやはり『ちりーん』と風に吹かれて鳴っていた。
 たしかに、とてもいい音だ。長閑で、ひっそりと、柔らかい。

「風鈴の音って、いつも同じだと思うでしょ?」
 トモエさんは、私の前にこれまた季節外れの冷たい麦茶を置いて言った。
 きっとこれも大好きなのだろう。
「違うんですか?」
「この世には、まったく同じことって起こらないのよ。同じ風は吹かないし、風向きは常に変わるから、当然風鈴の音も毎回違うの。あなたの描く絵も違うでしょ?」
 たしかに。人が見たら、いつも同じような絵を描いていると思うかもしれないし、依頼主にもそう言われるけれど、まったく同じではない。
「そうですね。違う……と思います」
 風向きは常に変わる、か。
「なにもかも変わっていくのよ。それがいいの。だからいいの」
 トモエさんは、風鈴の音みたいに長閑に、ひっそりと、柔らかく、微笑んだ。

 私たちはこんな風に、何度も風鈴の音を一緒に聞きながら、お茶を飲み、お菓子を食べ、おしゃべりをした。
 そして五年後、トモエさんの言ったように風向きが変わり、再び時流に乗った私はイタリアに拠点を移すことになった。
 その時、トモエさんは残念そうに、でもキッパリとこう言った。
「この世では、なにもかも変わっていくけど、変わらないこともあるわ。私はあなたが大好きよ。どこにいてもね、ずうっと」

 そして私の手に、風鈴を載せた。
 私はびっくりした。
「これは、いただけません」
「私ももうすぐ拠点を移すの。でも、そこへはなにも持っていけないから。もらってちょうだい」
 五年の間に、さらに背中が曲がり小さくなったトモエさんは、長閑に、ひっそりと、柔らかく、微笑んで言った。
 風鈴は、トモエさんのぬくもりと共に、おとなしい小鳥みたいに私の手に収まった。

 トモエさんの風鈴は今、私のアトリエでミラノの風に吹かれている。
 あの縁側と同じように、長閑で、ひっそりと、柔らかく。
 でも、いつもすこしだけ違う音色で。 


おわり


© 2024/8/4 ikue.m

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