掌編小説【小さな片手鍋の夢】
お題「片手鍋」
「小さな片手鍋の夢」
あたしには夢があった。
「小さな片手鍋」には仕事はひとつしかない。ゆで卵である。
でもゆで卵は料理とは言えない。
あたしの先輩で奥様お気に入りの「両手鍋」が作る「クリームシチュー」や「筑前煮」、「ラタトゥイユ」みたいなのが料理なのだ。それはきっと夢みたいに美味しいのだろう。
ああ、あたしもそんなのを作ってみたい。それがあたしの夢だった。
ある日、あたしは久しぶりに奥様の手に取られたが、どうせまたゆで卵だろうと思った。何度も期待して傷ついたからガッカリするのが怖いのだ。
でもこの日はゆで卵でさえなかった。あたしはいきなり紙に包まれ、暗い箱の中に閉じ込められた。
いやな予感がした。怖がりの予感は当たる。
知らない場所で箱から出されたあたしに、知らない人の声が聞こえた。
「これならお引き取りできますよ」
「よかった。じゃ、お願いします」と奥様が答えた。
奥様は去って行った。あたしはカタカタと震えた。捨てられたのだ。もうゆで卵さえ作れない。それなのに夢なんか見たあたしはバカだ。
うなだれたまま似たような鍋たちが並ぶ棚に置かれたあたしに、隣の大鍋が話しかけてきた。
「わたしはスパゲティゆでる時しか使ってもらえなくてねぇ。つまらない仕事だったわよ。結局はジャマだからって捨てられてさ。でもわたしの良さを見つけてくれる人もいるわ、きっと。あんたの良さもね」
大鍋に励まされて、あたしは少しだけ希望をもった。でもあたしの良さってなんだろう…。
数週間経ち、隣の大鍋は「これスパゲティゆでるのによさそう」と言う人に連れていかれた。しかめ面していたがうれしそうでもあった。あたしは「ゆで卵をゆでるのによさそう」とさえ言ってもらえず、「ちいさすぎる」とか「ちゅうとはんぱ」と言われるだけだった。
あたしに良さなんてあるのだろうか。希望はしぼんでいった。あたしはここでも傷つくのがこわくて期待しなくなっていた。
さらに数週間経ち、年末のセール最終日になった。あたしは赤札を付けられてワゴンに入れられていた。ここでも売れなければ本当に捨てられてしまう。あたしは見つけてほしい気持ちと傷つきたくない気持ちがゴチャまぜになっていた。他の鍋やフライパンは少しずつ売れていく。閉店時間が迫っている。このままでは、ゆで卵すら作れないまま捨てられてしまう。誰からも二度と手にとられることなく。そう思うと体がすうっと冷たくなった。
ひとりのおばあさんがやって来てワゴンの前で足を止めた。おばあさんの指先があたしに触れる。温かかった。あたしは鍋たちの隙間からおばあさんを見つめた。優しい顔をしている。この人に見つけてほしい。あたしはカタカタとふるえながらつぶやいた。
「おばあさん、あたしの良さを見つけて…」
おぱあさんは何かに気づいたようにあたしを手にとった。あたしは急にこわくなった。また「ちいさすぎる」と言われるかもしれない。でも…。
「あたし、おばあさんのために美味しいゆで卵をつくるわ」
ふと、そんな想いが浮かんだ。ゆで卵だって料理だもの。
おばあさんはあたしをじいっと見てから右手でフタを開け、左手で軽くあたしをゆすった。
「私にちょうどいい大きさだねぇ」
今、あたしはおばあさんの台所にいる。おばあさんは一人暮らしで料理は全部あたしだけで作る。ゆで卵はもちろん、筑前煮もシチューも。
「あんたは良い鍋だね」柔らかいスポンジであたしを洗いながらおばあさんが言う。あたしはうれしくてフタをカタカタと鳴らす。
こうしてあたしの夢は叶った。
でもひとつだけ気になっていることがある。「ラタトゥイユ」ってどんな料理なんだろう。
おばあさんは「今夜はおでん」と言っている。
おわり (2021/6 作)