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『12』私がスイス🇨🇭に旅立つ訳:ツインレイの軌跡:


こうやって突然、彼の実家暮らしが始まった。彼の妹さんもドイツの他の街から実家に戻ってきていた。
私は彼の家族とその一員のように食事をした。お母さんがレストランに連れていってくれたこともあった。

おそうしきについてだけど、私はドイツでも日本のお葬式のように亡くなって数日以内に行われるものだと思っていた。
でも、ドイツではそうではなく、お葬式は万全の準備をして数週間後に行われるのが普通とのことだった。
ちなみにご遺体は火葬されるが、そこに家族が立ち会うことはなく、いつの間にか遺灰になっているのだ。
そして、彼が会社に確認したところ、父親が亡くなった場合、1ヶ月休むことができるとのことだった。
流石に彼もそこまでは休めないし、必要ないとは言っていたが、これも彼の父からのプレゼントだったかもしれない。

その時は私も彼もいつまで彼の実家にいるのか検討がつかなかった。
でも私にとって彼の実家は案外居心地がよかった。
私が若い頃に書いていた手紙がこの家に届いていたことを、彼のお母さんは覚えていた。

不意に、私がここに生まれていたとしてもおかしくないような気持ちになった。

実家での朝食

チャペル

彼はお葬式の準備などで忙しくしていたけれど、一緒に近所を散歩したり、自転車でライン川沿いを走って、フェリーで向こう岸へ渡ったりと、私に彼の世界を紹介してくれた。

彼の実家の比較的近所に小さな無人のチャペルがあった。それはひっそりとあり、日本で言うと人が入れるサイズの祠(ほこら)のようなところだ。
そのチャペルにはベルがあり、それを鳴すと願いが叶うというものだ。
私達はそこを通るたびにそのチャペルに立ち寄った。

そして、
その時その状況に感謝の気持ちでいっぱいであることを、見えない何かに伝え
”どうかフローと永遠に一緒にいられますように、、、誰も傷つけない方法で、皆んなが幸せになれる方法で、、、”と願った。

ある夕暮れ、またそのチャペル立ち寄り真っ暗な祠の中にロウソクを点けてた。そので彼は私に素敵なネックレスをプレゼントしてくれた。

夜のチャペルの中

そして後で知ったことなのだけど、このチャペルの名前は、私の短大のチャペルと同じ名前だった。


2人の幼馴染

私は時差ボケというよりは、日本にいる時からほとんど眠れない生活を送っていたので、いつも少し意識がもうろうとしていた。
睡眠導入剤を飲んでも一度に2時間以上は眠れず、もう一度眠れたとしてもトータルで4時間眠るのがやっとだった。
でも彼は私が薬に依存することを心配して絶対に導入剤を飲まないように言った。

彼は鬱の時に薬を飲んでいたが、自分を律して薬を完全にたったらしい。
でも、その時の私にとって睡眠導入剤は溺れかけていル時にしがみ付く浮き輪みたいなものだった。眠れないので夜は辛く、次の日を普通に過ごせるか不安でいっぱいになり、余計に眠れないという悪循環。

彼に内緒でこっそり飲んでも良かったのだけれど、なぜか絶対に彼に嘘をつきたくなかった。

そんな中、彼は彼の幼馴染のローランドに私が退屈しないように、どこか観光にでも連れて行ってくれないかと頼んでくれていた。私は一睡もできないままその日を迎えた。
ローランドはホームドクターだった。ホームドクターと言うのは、何か健康面で困った時に、とりあえず何でも相談できる診療所のようなところにいる町医者のような存在だ。
フローは私の睡眠障害を彼に伝えてくれて、無理そうならいつでも途中で家に戻っても良いと言ってくれた。

ローランドはとてもソフトな感じの人で、何を話しても受け入れてくれそうな雰囲気を持っていた。
その見た目とは別に、彼はアウディのスポーツカーで迎えにきてくれた。
「この車でアウトバーンを飛ばしてアーヘンへ行こう。ついでに少しだけベルギーとオランダの国境を越えてみよう。」と言ってくれた。
何だかワクワクした。私は車が大好きだ。(フローは車が嫌いだ。)

車中で私達は沢山話をした。
彼はフローが一番大切な人(私)を自分に託してくれたことを嬉しく思い、友達として自分を誇らしく思うと言っていた。そして自分はけして怪しい者ではないからね!と付け加えた。

車中で彼は沢山の質問をしてきた。
フローと私のこともだし、日本の政治のこと、世界情勢のこともあった。
例えば、日本から見て今のドイツはどう見えるか?など。
私はスラスラと自分の口から自分の考え、思いを言うことができた。

多分、5年くらい前の私なら、笑って誤魔化すトピックだった。
私は数年前にある政党の党員になった。(もう辞めてしまったが)私はそれまで全く政治には興味はなかった。
でも私は急に世の中で起こっていることが、自然発生的に起こっているのではないということに気がついた。
そして、色んな情報をむさぼり、自然に色んな考えや知識を得た。だからその時の世界情勢もよくわかっていた。

今思えば、3年前から意図せず私は準備をしていたのかもしれない。海外に出て他人からこのような質問を受けた時のための。

ローランドは「フローのお父さんが亡くなって私がそこへ入ってきた…
それは意味があるよ」
と言っていた。
彼は少しスピリチュアル的な話をする人だった。

次のお話に続く

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