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私の季節は夏で終わる

誰かのことを面と向かって「信じている」と言う機会ってあるかな、と、仙台へ向かう高速バスの中でPerfumeのドキュメンタリー番組を久しぶりに見ていて思った。

一番最初の東京ドーム公演(20歳になったばかりの私もそこにいた)の開演直前、ステージの地下、3人で手を合わせて話す場面。あ〜ちゃんが他の2人に向かって言った言葉。「ふたりのことを信じているし、先生のことも信じている」。

すごい言葉だなと思った。見るたびいつもここで泣いてしまう。私も誰かにそんなことを言ってみたい。誰かのことを信じるって凄いことだよ。「信じている」っていい言葉。


実家に帰ってきた。やっぱり母の作るごはんは異常に美味しい。おふくろの味というバイアスを抜いても異常なくらい美味しい。そりゃ外食しないわって思う。母のご飯を食べるためだけに仙台まで帰ってきていると言っても過言ではない。仕事もして夜遅くまで働いてご飯も作ってコーヒー飲みながら寝てる。かっこいい。生きててくれて嬉しい。


明日を少々ハードスケジュールにしてしまった。できるかな?明日天気悪いのやだな。偏頭痛の薬持ってきてよかった。明日はずっと欲しかったものが手に入る。少し緊張する。気に入ると良いな。

実家の自室の本棚には一人暮らしの部屋に持って行かなかった本がたくさんある。持って行かなかった理由は様々だけど、「今はまだよくわからない」という理由で置いている本がいくつかある、ということに今更気づいた。そのうちのほとんどが佐内正史に関する本だった。意外と私、佐内さんの事が気になってはいたんだなと思った。そして見事なまでに全てを実家に置いていた。写真に関する本はほとんどすべて持っていったはずだったのに。不思議。


日々は地続き、しりとりのよう。さーそろそろお金を稼ごう。バイトでもしよっかな。私本当は30歳で独立する予定だったから、そう考えるとまだ若い。なんでもできるね。自由って素晴らしい。セクハラもパワハラもない。ごはんも作らされない。これだけで本当に幸せだ。誰がなんと言おうと私は以前の環境を「幸せだった」なんてこれっぽっちも思わない。そんな風に言わないで欲しい。あなたは私ではない。世界はあなたのお友達ではない。「客観的に見て」とか言うけど、一対一の対人関係に「客観」が存在すると思うのかな?果たして?本当に?辛いことは大体忘れたけど怒った事はほとんど全て覚えている。

バチが当たる仕組み、人は誰かから許された時にバチが当たるらしい。本当の極悪人は誰からも許される事が無いのでなかなかバチが当たらず、結果的に長生きするらしい。変なの。ずーっと許さないでいて、ふとした瞬間に許すのが一番大きくバチが当たるんだって。この仕組みを悪用すると地獄が見られる。オススメはしないけど、覚えといても良いかもしれません。少なくとも私は、このことを割と意識して生きている。かれこれもう10年くらい。

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