誰かの故郷 誰かの旅先
今日は朝から夜まで労働をして、その後バイト先のミュージアムショップで来年の手帳と宮沢賢治の文庫本(銀河鉄道の夜)を買い、インクが切れたのでLoftで新しいボールペンを買い、新宿にある私の好きな喫茶店に1ヶ月半ぶりに行き、今日買った本を読み、来年の予定を手帳に書き込んだ。
お昼は社食でソースかつ丼定食360円を食べながら来年のしいたけ占いを読んだ。今日は調子が悪かった。眠くて眠くて仕方がなかった。来年の乙女座は何だか調子が良さそうだけど、そんな運命に私は追いつけるかなって不安になった。
アルバイト先では1日に大体5〜10組くらいの外人さんに接客をする機会がある。
初めの頃は英語に対する苦手意識があり、外国のお客様を見つけただけですぐに英語の喋れるスタッフにバトンタッチしてしまっていたけれど、ある瞬間から喋るのが楽しくなった。
チケットを売るのと時間を選んで貰うくらいなので使う英語は大体限られているし、大した英語は使っていないんだけど、最近は喋るのが楽しい。
どんな人も話せばわかってくれるし、チケットを受け取ったら必ず感謝を述べてくれるし、施設を楽しんで退館される帰り際には私の方に向かって「バーイ」と言って笑顔で手を振ってくれる。その度に私は、もう二度と彼らには会えないのだろうということを思う。多分彼らはそんなこと考えないのだと思うけど、私は考える。
自分が海外に行った時に優しくしてくれた名も知らない人たちのことを思い出す。たまたま公園で出会った19歳の私に食べ物をたくさん食べさせてくれた台湾の知らないおじさんとおばさん。汗をかいた20歳の私の頰を、鍵の形にした自分の人差し指でぬぐって、ゆっくりとしたつたない日本語で「あなたきれいね」って言ってくれたホーチミンのホテルのフロントのお姉さん。26歳の私のことを中学生だと信じて疑わなかったパリの宿のおじいさん。意識を失う前の光のようにきれいだったドイツのヴィースヴァーデンのレストラン。てんとうむしの柄のグラス。サンフランシスコで乗った昼は数学エンジニアをやっているという車好きのUberの運転手さん。私のリモワについていたサンリオのネームホルダーを「It's so sweet.」と言ってくれた客室乗務員のお姉さん。
私の記憶はいびつで、自分の都合の良いストーリーに書き換えられていることも多いと思う。でも、その物語を思い出して、長く生きるのも悪くないなって最近は思う。10代の頃の私が聞いたら笑うかも。28歳まで生きるなんて予定外だった。
19歳で生まれて初めて海外に行ったとき、(しかも1人で、)地球上の言語がひとつだけじゃない理由が何となくわかった。
ひとつしか言語がなかったら、人類は戦争であっという間に絶滅していただろうなって思った。何でそう思ったのかをうまく説明はできないのだけど、空港に降り立って北京語だらけの世界に入った時にとてつもない絶望感とショックを受けたのを覚えている。
弟子もやめたし、もうしばらく海外に行くことは無いんだろうな。旅という言葉は嫌いだし、「世界旅行」とか言ってもどうせどこまでも地球じゃんとか思うけど、行ったら行ったで少し楽しいんだろうな。行ってる最中は「帰りたい」しか思わないんだけど…でも人生、思い出すために生きてるとこあるし、私の人生、結局、全部回想シーンなんですよね。
今日買った銀河鉄道の夜は読み物というより読む曼荼羅って感じだった。宮沢賢治はあの話を書いたせいで命が燃え尽きてしまったのでは?と思うくらい怖かった。「怖い話」というよりも、あの話の存在が怖い。あれは人間の書いた話なのか??本当に???バイト先の休憩室で読む漫画版の銀河鉄道の夜が好き。あの休憩室で私以外にも読んでる人いるのかな。宇宙は焦げたラズベリーの香り。
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