
【運動が苦手な子の傷つきとドッチボールと読書を同じように尊重するクラス】
昨日遅くにツラツラと書いた日記に関連する?ツイートを見つけた。子どもの尊厳についてまたアレコレ考えさせられた。
https://twitter.com/clstsri3majrij2/status/1419034030234734594?s=21
「もう20年以上前のこと。クラスで全員遊びの提案があり、多くの子が賛成していた。ある子が「私は読書していたい」と発言。わがままだという意見が優勢だったが、「それは本当にわがままか」という問いが出され、「休み時間とは何か」「全員遊びをしなくては仲良くなれないのか」「自由とは何か」と意見」
このツイートを引用して書かれたこの言葉が心に刺さった。
「少し違うかもしれませんが
運動苦手な子は全員遊びが出来ないのです
参加したくないのではない
参加したくてもできない
出来なすぎて足を引っ張るからクラスメートのお荷物になり
悪口も言われます
私の小学校は強制だったのです
クラス全員で何回長縄を飛べるか競争
私は必ず引っかかる
辛かったです」
この引用元ツイートの後ろのツリーもぜひ読んでみてほしい。
オリンピックは素晴らしい、スポーツは素晴らしい。
しかしスポーツなどの輝かしい自己実現をする子の陰で運動が苦手なタイプの子が尊厳を奪われる場面が、教育現場でなかったとは言えない。
ウチの息子も身体の使い方が下手で運動はニガテなタイプだ。
スポーツは無批判に良いもの、とされやすい。でも強くて強いのだ。(語彙)趣味や楽しみとして捉えるなら、音楽も、読書も、同じように尊い。
オリンピックが開催できて努力してきたアスリートにとって喜ばしいと思う。でもコミケも、野外フェスも、たくさんのカルチャーが我慢を強いられていることも頭に置きながら、その上でアスリートの頑張りが報われたことを喜びたい。
後から追記したので先に読んでくれた方に届かなかったかもしれない昨夜の日記の追記部分を貼っておく。
「苦しい練習に耐えて自分で自分を持ち上げるオリンピック選手はすごい。でも苦しい心に耐えて悪魔的にクリアして、アスレチックを最後まで心折れずにやり通したウチの息子もすごい。どちらも尊い。
#尊厳とは…(哲学…ではなく、むしろわかりやすく具体的に)このホームページの定義と解説が平易でわかりやすかった。
https://kaigolab.com/column/33148
「みじめな思いを強要されないこと。」
尊厳は高齢者介護や障害者福祉でよく見かける言葉ではあるけれど、イマイチ意味がわかりにくい。立場の弱い人ほど尊厳を大切にされる必要がある。
ちなみにウェブ辞書だと「とうとくおごそかなこと。気高く犯しがたいこと。またそのさま。」(デジタル大辞泉)…ふんわりしていてわからん(^_^;)
「尊厳を保障するとは、その人の体面を貶めず、名誉や自尊心を傷つけない、ということ」と書かれたページもあった。いろんなページをザーッと見て(介護と憲法のページが多かった)、上の「みじめな思いを強要されないこと」が一番わかりやすく、私のイメージにしっくりきた。その解釈に至る解説もよかった。
発達障害や色々な凸凹や困難を抱える子の場合、教育現場でみじめな思いを強要されずにできないことをがんばらないで済む権利と安心を保障される必要があるように思う。昭和の根性論や自己責任論は令和に持ち越さない。その子らしさを大切にしながら子どもの心に寄り添って子どもを育てていきたい。私と子どもは別の人間ですし、おすし。」
興味が出た人は昨日の日記も読んでもらえたら嬉しい。子どもを尊重するのは、誤魔化しやズルを受け止めることは社会のルールとぶつかる難しい部分で…私も自信を持って言えることではない。子育てに正解なんてない。でも良いもの、と自分が思う方向にジリジリ進んでいく。迷いながら。怖がりながら。
https://note.com/kirakiramamama/n/n1c18d1c31a0e