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【自分のために謝るということ(無意識を汚染から守る)】

Twitterで無双している武闘派メンタル研究家(私が勝手につけた)めんたねさん(あぶない・やさしい)が無料公開してくれているnoteが非常に役立つ内容なのでシェアしようと思う。(なんかゴツゴツした文章になったな)

▪️ 無意識の汚染を謝罪で予防する
https://note.com/mentane/n/n044d7b707f27

これ謝罪の概念を覆す面白い理屈🤣【謝れない系思春期男児】にこの理屈は非常に刺さるのではないかしら。少なくとも私の心の中に常駐する小5ダンディズムがコレを読んだ瞬間に歓喜して小躍りしたので私の中の小5男子には刺さった模様。

私の【外の】リアル小5男子(=次男)には刺さるかどうかわからない。あと謝れない系女子はまた別の理屈(見捨てられ不安)で謝らない方向に動いてる気がするのでめんたね理論より不安解消の方が近道な気がする。(個人的な意見です。)

このめんたね理論を次男に試してみたい気もするけど、まだ早いかもしれない。

まず次男の読解力ではこの文章が読みこなせないだろうし、かと言って口頭で説明するにはこの概念を次男にわかるよう噛み砕いて説明できる気がしない。(神様私にわかりやすく喋るプレゼン能力をください。)

次男も私に似て漏れなく謝り下手なのだけど、ASDタイプの男性にありがちな(偏見)「謝罪したらオマエはしぬ病なのか?」と周りが首をかしげるほどの【謝るの断固拒否型】や「それ僕が謝る必要あるんですか?」とか真顔で言っちゃう【(屁)理屈先行無理解型】ではなく…

ADHD強めタイプにありがちな(偏見)焦って脳みそがオーバーヒートして「謝ったつもりになって謝る工程を抜かす」【すっ飛ばし型】と「本人は謝ってるつもりだが周りから見ると言い訳を並べているようにしか聞こえない」【謝り作法誤学習型】のコンボかなという気がしている。(ちなみに私も過去には漏れなくこの後者2タイプだったゾ♪)

でめんたねさんの考察【無意識の汚染を謝罪で予防する】について。

精神活動には意識と無意識があって、めんたねさんは無意識の方を大事にすることで心穏やかに生きていくことができるという考え方をしているのだそうだ。

意識はスポットライトが当たってる表層の部分、私はこれを作業台に乗っている部分と捉えているけれど(そしてその作業台は常に散らかっている)、無意識はスポットライトの当たらない暗がりの部分。暗がりの部分は普段は観客の目には見えない(意識されない)けれど、無くなるわけではなく暗い中に存在している。


無意識を大事にするっていうのがどういうことかといえば「自分に対して嘘をつかないこと」だそうで。

なあんだそんなこと。言葉にするとありふれて、陳腐で「そんなの知ってる」と思ってしまうかもしれないけれど、説得力というのは結論ではなくその過程に宿るものなので、この結論に対して説得力がないと感じた人はぜひめんたねさんのリンク先を読んでその過程に触れて欲しい。

自分に嘘をつくとどうなるのか。少し引用する。

「たとえば、本当は自分の方が悪いと心の底でどこか思いながらも、「自分は悪くない」「あれは仕方がないことであった」「あんな風にふるまわせる相手の方がもっと悪かった」そんな風に自分に言い聞かせて、一時的に自分の意識の安定を図る。

そのようにして、自分の意識を騙せたとしても、無意識までは騙しとおせない。無意識には罪悪感が蓄積されていく。日常生活の中でその罪悪感が刺激されるような出来事と出会ったりすると、急にコントロール不能な激しい感情に突き動かされて愚行を繰り返す。意識に上ってこようとする無意識の罪悪感と、それを抑え込むために生じる反動的な感情がせめぎあうからだ。それはだいたい、他者に対する激しい攻撃性となって表れる。」

めんたねさんはわざわざ書いていないけれど、その怒りが自分に向けば激しい自責となって「自分を消したい」「なにもしたくない」というような思いにつながるだろうと思う。他責と自責は根っこは同じものだと私は思う。

他人に厳しい人は自分にも厳しいし(一見自分にだけ甘いと周囲に思われている人も、自分の内なる声に責められて心が悲鳴をあげているように見受けられる)、自分に優しい人は他人にも優しい。(緩いとも言う)

めんたねさんのやっているワークショップの宣伝なのかもしれないけれど。でもこのnoteで紹介されている「謝罪のワーク」はぜひいつか受けてみたい。

自己流にSSTとしてやるなら人を介さずぬいぐるみとかでもいいかもしれない。武闘派ぬいぐるみセラピー🤣

あ、そうか。次男にこのnoteの内容をわざわざ下手にプレゼンするよりは、ぬいぐるみを使ってこの「謝罪のワーク」をやらせてみるのが一番早道か。さっそくやってみよう。

ぬいぐるみでうまくいかないならその時改めて私が本家ワークショップを受講するかどうか考えればいい。

謝るというのは人と生きる上で外せないスキルだし、上手に謝るスキルというのは、我が子にとって一生の財産になるのではないかと思う。私も身につけたいし、いつか社会に出ていく次男にはぜひ手を離す前にきびだんごのように持たせてやりたい。

続きのコチラも役に立ったのでリンクを貼っておく。

▪️謝らないで済ます罪相殺システムの恐怖
https://note.com/mentane/n/nb43069d21c73

いつも心にオズワルドの伊藤を(←謝罪の名人)。彼をイマジナリーに心の中に住ますようになってから、「お、これは謝罪案件」と思ったら出動(憑依)してもらうようにして、ずいぶん対外的な謝罪が楽になった。

まだまだうまく謝れないけれど、少なくとも【すっ飛ばし】や【謝っているつもりが言い訳しか述べてない】という事態は減ったように思う。

謝るとはまずは「ごめんなさい」を言葉に出すことと見つけたり!(当たり前)それをオズワルド伊藤は外さずにやってくれるので大助かり。彼を心に飼うと便利です。意識的感覚不統合(いいのか?)、意識的主人格交代(いいのか?)おすすめ。(していいのか?)

対外的な謝罪と、自分のための謝罪と。

対外的な部分はオズワルド伊藤に手伝ってもらうとして(任せるとまでは言いますまい)、今回めんたねさんに教わった内面的な、自分のための謝罪というのも、車輪のように両軸揃えて鍛えて伸ばすように意識してやっていきたい。

謝るって大事。罪を受け入れる、引き受ける、その上で手放す。重要で難しい精神活動だわな。そのあたり一生の修行だろうと思う。よしよし(荒川)、やってやろうじゃないの。

#今日の写真は 、通販で注文して昨日届いた「なんでも洗濯機」(ドラえもんの秘密道具感)の水流が弱すぎてネズミくんの汚れ物はピクリとも動かずもはや三男の知育玩具と化した件。心の洗濯という今日のテーマに通じるかな?(若干無理がある)詳しくはコチラ→ https://twitter.com/kirakiramamama/status/1451714218722426880?s=21

2枚目はドンキで買ったバリバリ職人(海苔)の商品シールがきれいに剥がれる仕様で感動していたら、そのきれいな空き容器に目をつけた三男が突如はじめた理科実験教室。詳しくはコチラ→https://twitter.com/kirakiramamama/status/1452074637563609096?s=21

3枚目はお菓子を色別にきれいに分けてから食べる三男の生態。私はこんなこと絶対やらないもの。地味な写真だけど今日の日記のテーマである自分のために謝るに通じるかなと思って貼っとく。


三男は誰かに強制されたからではなく自分のために好きでお菓子の袋を色分けする。好きで無意識にやっていることって自分が心地よいことなんだろうなと。そしてそれは人によって異なる。その違いを想像し合い、緩めるために【謝罪】ってあるんだろうな、などとつらつら考える肌寒い秋の朝。(はやく布団から出なさい)

#今日のお歌 …昨日に引き続き【ばかみたいに溢れる涙とか】https://youtu.be/UjDEIgvsiGk
あと【そうじゃねえ】https://youtu.be/7bxbv9VnT1c
この辺りごめんなさい系の歌を完成させたいなと思う今日この頃。
ついでに昨日のトトロの記事で思い出した【風花】も。風が強い日はあなた(トトロ)を思い出す。https://youtu.be/QE10XeQwgik

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