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【差別という思考(哲学書)・差別に加担する・今朝のえいなかさん】


モラハラなどを「してしまう」悪意のない加害者支援団体GADHA代表えいなかさんがリツイートしていた哲学書『差別の哲学入門』。読んでみたい。

以下本文より

「「対等な人格としてフラットに尊重するということは、「人間みんな同じだ」という思想とは違います。対等というのは、それぞれの人間は別の存在だという前提のもとでの人間間の関係を言います。別々の存在だという点に「人格」という言葉を使うポイントもあります。」(『差別の哲学入門』P106)」

「「問題を一面化したり単純化したりすることは、それ自体、差別に加担することにもなるのです。問題をごまかさずに自分自身で真摯に問うことがはじまったとき、問題にはじめて向き合っていると言えるのです。」(池田喬・堀田義太郎『差別の哲学入門』アルパカ、P106)」
https://twitter.com/honnoinosisi555/status/1471709824560025600?s=21

私の中にも差別ってあって。「スクールカーストが高かったであろう人(自分が多数派だと信じて疑わない人・同調圧力を努力と表現する人)はこういう物言いや考え方をする(だから怖い)」とか「人格否定など自分を傷つける物言いをする人とは関わらない方がいい」とか。

上みたいな言い方だとまだやんわりするけど、もしこれの主語を「黒人は」とか「同性愛者は」とか「自己愛性パーソナリティ障害の人は」とすれば、それは差別だと言われてしまうだろう。しかし自分の抱える問題を人と共有するために発信するという、本人の意図しているところは同じだったりする。その違いはなにか。

やはり本書の引用にもあったように「問題を一面化したり単純化したり」している点だろう。それこそが「差別に加担する」ということなのだ。差別に加担する。なんと嫌で恐ろしい響きだろう。私も無意識にやってしまっているであろうことなので、なおのこと忌避感がある。

前に武闘派Twitter哲学者(あるいはエリクソン研究家)めんたねさんのnoteかな?で、自分の傷つき体験を押し広げてしまう、という問題について書いてある話があった。

『動物のお医者さん』を通読したことがある人なら読んだことがあるはず。「カラスの巣を撤去したら漆原教授に『似た人』がカラスに襲われる現象」の人間バージョンである。

(似たような話はハチにもあって、ハチミツを食べにくるクマを覚えていてクマに似た黒い服や頭をした人を集中的に攻撃するという話がある。)

なにをもって「似ている」とするのかはその人(カラス)本人の判断でしかないのだけど、めんたねさんの話では確か「少年サッカーチームのコーチをやっているが、チームの教え子たちの保護者に対して不思議とどうしても良い感情が持てない」という悩みを持つ人がいて、めんたねさんとその背景を掘り下げていった結果、大元はそのコーチが自分の支配的な母親を好きになれないために生じていたものだった、というような話だった気がする(うろ覚え)

つまりある人を嫌うと、カラスと同じように無意識の範囲でその嫌悪感を勝手に押し広げて、本人の意思とは関係なく「同じ属性の人全体」が嫌いになってしまう、という問題があるらしい。トラウマによる過剰防衛みたいなものだろうか。

おそらくカラスの例からしてみても、生物の生存戦略としてありうべき行動様式(恐怖刺激を学習し忌避によって生存率を上げる」の一例であるように思う。

たとえば山菜採りでキノコを食べて当たったことがある人が、次からは似た模様のキノコを避けるというようなことだ。(人によっては山菜採り自体をやめてしまう場合もある)

山菜採りをしなければ生きていけない時代には、毒のあるキノコや巣を襲うクマや漆原教授を覚えて避けたり攻撃したりすることは、死活問題であるから、本能的な嫌悪感・忌避感に繋がるのは十分に納得できる話だ。

ただ問題は、クマやキノコは「私たちを悪いものだと決めつけるのは差別である」とは言わなかったが、人間同士であればそう言われてしまうという点だ。

つまり人間が人間になる以前の遠い昔には属性ごとばっさり嫌って予防的に攻撃したり忌避したりすることで捕食者から身を守る戦略で生き残ってきたのだけど、今はその本能に【理性の力】で立ち向かう必要があるということだ。

社会が複雑で高度になるというのは本能を理性で抑えることができる、という前提で進んでいく。現に今の世の中では、食欲をコントロールするダイエット成功者は賞賛され、性欲をコントロールできずに不貞行為を行うと非難されるといった状況をよく目にする。

今また新たに【無意識の恐怖】という本能に理性で逆らうことが求められているのかもしれない。【無意識の恐怖】こそが差別の源泉だと私は思う。差別的な発言をする人、他者に攻撃的な人ほど怖がり、という印象が私にはすごくある。(これもまたある種の差別なのか?)

小学校に刃物を持って侵入して何人も殺傷した犯人が精神疾患を持っているとわかれば、その精神疾患のある人全体を無意識に怖いと思ってしまう恐怖。放火した犯人がメンタルクリニックの患者であった可能性があれば、メンタルクリニックにかかる人全体を自分の関わる範囲から追い出したくなってしまう恐怖。同性愛者からは自分が愛される対象から排除される恐怖。

恐怖の対象、嫌悪の対象を一般化し、単純化し、属性全体に押し広げてしまうことで差別が生まれる。おそらく差別の背景には色んな【無意識の恐怖】がある。

しかし人権を考えるとき、自分の人権とともに他者の人権をも尊重しなければならない。現代社会にあって、差別は「してはいけない」のだ。

では差別の源泉となる恐怖の克服はどうやってしたらいいのか。恐怖という感情が生じることそのものを抑えるのは難しい。しかも無意識に入り込んでくるタイプの恐怖は本人は意識してないわけで、直接意識的に操作できない厄介なものだ。

私は本能的な恐怖に打ち克つ理性を育てるにはまず言語を使うことだと思っている。色や揺らぎのようにとらえ所のない抽象的な【恐怖】をひとつひとつ取り出して、その感覚や心当たりの要因を言葉にすることで、恐怖に形を与え、意識に上らせ、そうしてやっと克服することができるのではないかと考えている。理性を育てるのは言葉だ。

(言葉を持たないネズミくんのようなタイプにはどうしたらいいのか。ネズミくんが何かを怖がるたびに笑顔と手繋ぎと背中ポンポンの非言語コミュニケーションで安心を伝えてきた。私の思う言葉は、そのサインが明確な意味を持っているとそのコミュニケーションを行う二者間で共有されていれば、つまり試行による規則性やある程度の不変性があれば、音声言語に限らずそれは【言葉】であると思う。ノンバーバルなものも十分言葉であり、そういう意味でネズミくんはすでにいくつかの【言葉を獲得】していると言える。その辺りはまだ別の機会に考察しようと思う)

最後に、今朝のえいなかさんのつぶやきを引用して日記を終わる。

「言葉を選ぶって、大切なこと。

言葉を受け取る他者がいる。言葉を選ぶことは他者との関わり方を選ぶこと。

言葉の意味は使う人だけが決めるのではなく、受け手との関わりで決まる。

だからどんな言葉を使うか=誰と関わるかを決めること。

誰と生きるためにどんな言葉を使うかは自分が決めること。」

「自分が選んだ言葉に「傷つく」という人がいる。

そのとき、「あなたと生きるために」言葉を選び直すこともできる。

「お前の感じ方がおかしい」と断じることもできる。

けれど「おかしい」と断じながら「あなたと生きたい」は成り立たないのだ。

それは持続不可能な搾取と甘えの関係だから。」

https://twitter.com/einaka_gadha/status/1471956289702051841?s=21

私は【自分とは全く違う個性や障害】を持つ家族や友人と【共に生きる】ことを「選択」する。そのために【言葉を選ぶ】【言葉を学ぶ】ことをこの先もずっと研鑽していきたいと思う。状況のいいとき、悪いとき、自分のコンディションの良し悪しなど、続けるのは生半可なことではないだろうけど。(調子が悪いときは悪いときなりに無理せずやれる範囲で)

それが【選択肢である】ということ、「自分で選べる」、「自分で選んでいる」と私が知っているということ。家族や友人にどんな言葉をかけるのかを【選び続けていく意思】を持つこと。それが、一般的にみてコミュニケーションが苦手な私が、人と共に生きていく上で重要なことなのだと思う。

#最近のつぶやき … 寝る前のひと遊びとか3日くらい凹む話とかhttps://twitter.com/kirakiramamama/status/1471853971002527744?s=21

「寝る前のひと遊び。ぬいぐるみにネックウォーマーを履かせるとママになる!と大発見をした三男。(室内でフリースのロングスカートよく履くからね)ママになりきって何やらモソモソ喋っている。「おいそがしいとろこ、ようそこいらっしゃいました」
#もう眠くて舌が回ってないからはよ寝なさい

「つらそうな投稿を読むと、申し訳なく感じるのをやめたい。「私もつらいことあったよ」と言いたくなるのは、もうやめたんだけどね。つらくないとその人の前に立っちゃいけない気持ちになるのは止められない。立とうと思わない。やらない勇気。やらない優しさ。待つ。難しい。3日くらい凹む…」

#今日のお歌 …【嫌わないで(草案)】あたしはあたしになってくし、アナタはアナタになってく。それでも、嫌わないで。
https://youtu.be/v76SRPid6y8

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