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【それゆけ!凸凹ママ日記】母性と父性をめぐる旅…黄色くない帽子のおじさんについて
【母性と父性をめぐる旅…黄色くない帽子のおじさんについて】
おざます。5時間半睡眠。対話って難しい。
さて表題の件。
子育てには母性と父性が必要だとよく言われるけれども、自分の中にどのくらいの配合で母性と父性を塩梅しようか、というのは難しい問題だと常々思う。
あーもう、すぐ影響を受ける自分がイヤだなぁ。。。🤣
昨日SNSであるアンチの方と私の文体について侃侃諤諤(かんかんがくがく)と意見を交わしてみたのです。普段はその方が毎日熱心に書いてくれる「主語が次々に入れ替わるゴミ撒き散らし文」というコメントに超いいねだけを押して放置していたのですが、昨日は誕生日だったので、つい記念に?普通と違う反応をしてしまったのですな☆
結局話し合いは平行線を辿り、最終的にはその方の薦める「小論文の書き方」を読んで私が【正しい文体に私の日記を近づける】という風に決着したのですが。(色々諦めた)
そして今まさにその気なく思わず小論文の書き出し方をしてみて(私って素直だなぁ)思うこと。
小論文形式だと、次に「例えば」で事例を語り、「つまり」で持論を展開し、「私たちは」でまとめて、自分の考えを一般論に落とし込み、あたかも誰しもの考えがそうであるというように論を強めて終わる…
そういう典型的な小論文の型に自分の日記をこれから当て嵌めて展開する、という今後の展開の想像をしてみて、いやーこれストレス半端ないわーって思った🤣
昨日の今日だけど、書き出しで早速に挫折です✨
受験対策の小論文の基本については、実は私はある程度わかっている。なぜならば私は塾講師をしていた学生の頃にずっと小論文対策の講師をしていたから🤣(いやだまた「なぜならば」とか使っちゃった…ホント影響受けやすいのよ。記憶に引っ張られる)
私とその方のコメントのやり取りを読んで別の方が「マンプレイス?」あれなんか違うな…調べたら「マンスプレイニング」でした。で、そのマンスプレイニングではないかとコメントをくれたけど、マンスプレイニングは男性による女性蔑視のひとつで、女性の方がモノを知らないと決め付けて男性が延々と偉そうに説教する、という事らしい。
男女間の、というよりはその方が他からの意見を一切受け付けないという個性なんだろうなーと思う。男女問わず、私以外にもよく特定の人めがけて独特の論調で話しかけているので。(相手を完全否定)
まぁマンスプレイニングという新しい単語が知れて良かったです✨ジェンダーを複雑骨折している私にはイマイチ使いづらい単語だけど🤣
で学生の頃の小論文講師。学生の頃には真面目だった私は、自分で都内の有名予備校の有名講師の授業に短期で潜り込んで現代文解説と小論文の大学受験講座を受けてから臨んだりした。いっぱい受験攻略本を出してる出口先生という方ね。特に現代文は早◯田対策に強い感じ。授業はとっても面白かった。
パターンに入れ込んで論を展開する、というHOWTOはその頃散々やった。たしかに学校の作文以外書いたことがないっていう高校生を相手に、書くことのやり方を教えるには良い方法だと思う。小論形式は。(「たしかに」、というのも小論文では頻出ワードだわ🤣)
しかしつまらん。以上。
…いやもう少し噛み砕こう🤣なんというかなぁ…もともと文章を息を吸って吐くように読み書きしてきた人間にとっては、小論文形式で書け、というのは、会話の話法を強制されるような息苦しさ。無理やり日常会話を落語の話し方で話せ、と言われているみたいな…落語というよりはある意味軍隊の喋り方かしら。
日記は私の場合、徒然なるままに語らないとストレス発散という役割は果たせない。あとストレス発散以外の役割も。
昨日の日記でも書いたけど、私の朝日記は思考実験という側面もある。流れのままに前日の出来事を振り返り、その出来事の時点では見つけられなかった考えに至る、思わぬ帰着点に漂着する、ということを狙っている。
先に結論ありきで進める小論文形式では、残念ながらこの報酬は得られないものとなってしまう。
そして事実のアーカイブ保存。いつ、どこで何をやった、という事を残すのもまた日記の役割。自分の論理を強めるために事例を引っ張ってくる小論文形式では、事例に相当しない出来事はカットせざるを得ない。
つまり小論文と日記とではベクトルが逆なのだ。雑多な事実ありきでそれぞれに感想を持ち日常という哲学を深める日記に対して、小論文は結論ありきで読者を説得するために論を展開する。読者を想定していない日記が読者を説得しないのは当然なのだけれども🤣
その方は「個人投稿なら何を書いても良いが、グループ投稿するなら他所でやってくれ」という話だった。
なるほど、たしかに❣️
ほらね、日記で整理すると新しい帰着点を得る🤣
そのFBのプライベートグループは発達障害のあるあるネタを投稿するグループということだったから、主催者の人に「好きなこと書いて」と参加を誘われてここの日記をシェアしていたのだけど、熱心な読者の方が毎日「長くて支離滅裂なゴミ撒き散らし文」とコメントをくれるのでどうしたもんかなーと思っていたのです。
で昨日改めてその方と色々とやりとりしてみて、最後の方でその方が「毎日読むのが苦痛である」と書いていたのね。色んな平行線の話し合いがある中で、それだけはキラリと印象に残った。
私はその方が別に嫌いではないので(むしろ好き🤣)、苦しめるのは本意ではない。苦しい、というのはおそらく思わず書いてしまったその人の本音なんだろうと思う。滅多に心情を書かない人なので。
瞬間それじゃーかわいそうだ、と思った。
可哀想って上から目線とはよく言ったもので、可哀想という感想を持った途端に自分のステージがグンと上がってその方の言葉が刺さらなくなり、色んな事が水に流せてしまった。
その方が書いてくる言葉の礫(つぶて)にコメントのやり取りをしていても、平静を装っていても毎回若干動悸が早くなってしまったのだけど、可哀想って思った途端にすうーっと心拍数が落ち着くのが自分でわかった。
可哀想ってある意味自分の心を守るマジックワードなのかもしれない。何か辛い状況にある人は試してみたら良いと思う。相手を可哀想がること。これって母性なのかな?(やっと出た表題)
かと言って私は見ず知らずのその方ひとりのために私の日記を犠牲にする気はないし…この辺りはトリアージになるよね。ここで昔なら自分を犠牲にして相手に合わせてしまっていたのだけど、そこはNOと言えるようになった。だから今昔に比べてずいぶん生きやすい。
そこのグループにシェアしなきゃ済むことだから、自由を選択してグループをはなれる、という結論を得ました。今後日記が読めるリンク先の告知はするけどね。嬉しいことに、そこのグループにも何人か私の日記を「面白い」「元気が出る」と思ってくれる人がいるみたいなので❣️
あ、告知といえば、誕生日の記念に、自分の文章を書く場所としてnoteをスタートしました✨自分への誕生日プレゼント✨新しい日記帳❣️
なので今後はFBへの投稿分をnoteに振り分ける形で業務展開しようと思う(ひとり事業者)✨
そこのグループにはまた来年のお誕生日にでも投稿してその方と侃侃諤諤しようと思う。もし覚えていれば🤣
考えてみればその方は黄色い帽子のおじさんとは真逆な論を展開しているなぁと思って表題を少し弄りました。
そして私の朝日記を何度か読んでくれている人ならわかると思うけど、今日もまた表題にちょっぴりしかたどり着かなかったのでこの話題は持ち越しです。(塩漬け案件。)
その人も黄色い帽子のおじさんみたいになればもっと幸せになれるのになぁと余計なお世話な事を思ってしまった。黄色い帽子のおじさんっていつも幸せそうだよね🤣褒め言葉しか口にしない人生ってなかなかすごい✨私も黄色い帽子のおばさんになろうかなと思う今日この頃。
#写真についてはTwitterに
https://twitter.com/kirakiramamama/status/1250921858423119872?s=21