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【江古田ちゃんの中の人のご意見】(への感想)


▪️ 私はあなたの神様にはなれない。
https://note.com/takinamiyukari/n/nb20e97bf97c9

※中の人とは実写ドラマ版で江古田ちゃんを演じた鳥居みゆきさんのことではありません、紛らわしい表現になってすみません、作者の瀧波ユカリ先生のことです。

「江古田ちゃん」という、シニカルヒステリーアワーをOLでやってみた、みたいな漫画描きさんがおられて。(同年代の、普段漫画をあまり読まないであろう層に語りかけていますよ…そしてこの類似性はあくまでも私のイメージです…)

大人になってなお漫画大好きっ子を自認する私は、漫画描きさんのエッセイを読むのもとても好きで。カレー沢薫先生をむしろ漫画よりエッセイで読むのが好きなように、瀧波ユカリ先生もテキストスタイルでモノローグならぬエッセイや対談という、濃縮された思考のエッセンスを読むのが好き。

(はっ!これはいつもの、褒めたつもりが怒られるというパトゥーンの表現かもしれません…両先生方の漫画ファンの方々すみません)

ついでに脇道に逸れると、私の人生のバイブルたる岡田あーみん先生の好き放題劇場はエッセイ漫画好きという私の原点かもしれない。あーみん先生がもしSNSをやったら秒でフォローする。(なんのこっちゃ)

冒頭のリンク先、瀧波先生の文章。もう頷きしかなかったのだけど、特にココ。

「私に対する違和感とか、拒否感とかの中に誤解があってもなくても、大事なのはそれをどう自分の中で消化していくかという作業であって、「どうか、どうか…」と願ったり求めたりすることには意味はない。私はそう思ってます。」

あー、これだな。

「私の願いを叶えて欲しい」と神様的ポジションを求められることってある。特に付き合いが浅い人から。もちろんそんなことはできないんだけど、できると思わせてしまったそれまでの自分の振る舞いも含めて、そういう事に当たると後ろめたい気持ちでいっぱいで、穴があったら入りたくなる。

期待に応えられない、という忸怩たる思い。

私は案外薄情な人間なので、その人にどう思われるか、と言う部分は正直言ってそこまで気にならない(人でなし)。私になら暴言吐いても許されると思っている手合いには甘えんなよ、とすら思う。

でも、その人にそう思わせてしまった、「その人の脳内に生み出されてしまったなんかイイ感じの私」に対して、どうしようも無いほどの申し訳なさと愛惜の想いがある。

その人を救いたいんじゃなくて、その人の中に居る、なんかイイ感じの自分を死なせたくない、という思い。やだなぁ。しっかり書くと実にカッコ悪い🤣

で、そのちょっとイイ感じの自分を切り捨てることがグズグズとなかなかできない。そんなのその人の中にしかない幻想の自分なんだけどね。

「それをどう自分の中で消化するか」と瀧波先生は言っているけれど、私の場合は消化というより消去なんだろうな。グッバイ、イイ感じの自分…という。

でもよくよく考えてみれば、結局は鏡に映った(しかも実物より細く映る的な嘘鏡)自分を眺めるだけの、自分一人しか観客のいない【自作自演+自観】という究極のひとり相撲なので、そんなものさっさと思い切った方がいい。これを書いていて、しみじみそう思った。

▪️今日のお歌…久しぶりに自作曲を。【ばかみたいにあふれる涙とか】作りかけて放置してた新曲の断片。ふとハナ歌を吹き込んだにしてはなかなか完成度が高かったと我ながら手前味噌。もちろん考えながら(作りながら)歌ってるから音程(ピッチ)も歌詞もユラユラして不安定なんだけど、久しぶりに聴いてみたら思ったほど悪くない。でも一曲とするには若干短すぎる。とは言えこれ以上新たなフレーズが出てくる気もしない(^^;; #未完の完成 #たまたま映った映像がキレイ
https://youtu.be/UjDEIgvsiGk

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