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【演劇によるSST効果とオフロスキーと眼福】
こないだ息子の療育仲間と話していて、「自分が子どもの頃にもSST(ソーシャルスキルトレーニング)があれば受けたかったな!」という話で盛り上がった。
彼もコミュ障、我もコミュ障…
(子どもの発達障害と親の遺伝の関係はハッキリとは明らかにされていないけれど、ある種暗黙の了解的なパンドラの匣でもある。沢山の人々が発狂するのでその匣を開けてはならぬ。ぬうぅうぅぅーん…パタリ)
でその話を別の療育仲間としていて、演劇ってSSTじゃね?っていう話になって…昔はSSTはなかったけど、児童劇団はあったから、そこにぶち込んでもらえたなら自動でSがTされて今の私はちょっとはマシだったのだろうか…?などとふと思った。
実際親から一度「児童劇団に入るか?」というオファーをもらったことがあった。あの時思い出ぽろぽろの主人公のように「入る!」と決断していたら、その後私のコミュ障は治って別の人生を歩んでいたのだろうか…いやどうだろう…
演劇人には奇人変人が多いと聞くので(友人よすまぬ)かえって個性が助長されていたかもしれず…しかし己と同質の仲間やコミュニティを得て安心な思春期は送ったかもしれぬ…あとどちらかといえば演じる人よりは脚本を書く人になりたがるかもしれない。
小6の卒業式の後の謝恩会(親も参加する)の出し物でうちのクラスはなぜか演劇をやることになり、私が脚本を書いたのだったそういえば。クラスに影響力のないぼっちキャラにそんな大役よくやらせてもらえたな…昔は先生の権威が強かったから、ツルの一声だったのだろうか…?
ちなみに脚本はシンデレラと白雪姫を足しっぱなしにして主人公を男子にやらせるという完全なギャグ路線でした。当日どんな仕上がりだったかサッパリ覚えていないけれど、練習がめちゃくちゃ大変だったことと、いつもふざけてばかりの主役に抜擢した〇〇くんが意外とちゃんと練習に参加してくれたのと、ピンクのドレスと金髪のカツラがやたらと豪華で似合っていたのを断片的に覚えている。いやこれは実際の記憶なのか?妄想なのか?(←記憶があいまい)
思えば私が子どもの頃は演劇ってわりと身近だった気がする。なんだかんだと親を招いてやってた気がする。そう考えると今息子たちの小学校では演劇発表ってあまり見ないな。秋の感謝集会は毎年合唱だし。
学習指導要領が変わって、私が子どものころとは教科書も指導内容もずいぶん変わってきている。「生活科」や「総合的な学習の時間」なんて昔は無かったし、道徳や英語(外国語)に評価が入ったりし始めた。
喜ばしい変化である場合もあるけれども、1点私がすごく残念なのは、「演劇」に関わる活動が少なく、または無くなってしまったことだ。
昔は「大きなかぶ」や「かさこじぞう」といえば、だれがおじいさんをやるか、おばあさんをやるか、という…国語で低学年の柱となる物語学習の仕上げは演劇仕立てになることが多かった。(ように思う)4年頃の「円盤空を飛ぶ」はそのまま脚本のようなト書き教材だったように記憶している。(うろ覚え)
あとは土曜日の全校集会の時間。
ここは月毎なのか隔週なのか定かではないが、学年ごとの全校発表の時間で、衣装も役ごとに家庭で準備したりと、昔はけっこうガチの演劇発表会だったと記憶している。
2年生のときの「ピーターパン」は推薦されたタイガーリリーの役を辞退して男子に交じってじゃんけんで勝ち取ったワニの役で、母に張り切ってカッコいい衣装というかワニの頭をつくって貰って超張り切って演技?した覚えがある。(今思えば女子としてちょっとアレな子だな)
で、SST。略さずに言うとソーシャルスキルトレーニング。精神医学的なSSTだと服薬コントロールや生活自立コントロールのためのトレーニングも含まれるが、今回日記で取り上げたいのはコミュニケーションに関わるスキルの獲得。
コミュニケーションって、①自分の気持ちを適切に発信できる ②自分の気持ちが尊重されるように根回しや説得力を持って相手に働きかけられる(勝率が3割を越える) ③相手の気持ちを適切に理解できる ④相手の気持ちを自分に過度な負担にならない範囲で尊重できるキャパシティや技能を持つ、の4つだと思うんだよね。
発達界隈では①と③が強調されがちだけど、発信しただけ、理解しただけ、だと日常生活はうまく回らないことが多くて…(^^;;
逆に自分の気持ちを隠したままでも②ができれば日常は回るし、相手の気持ちなんてサッパリわからなくても④ができれば相手は尊重されて嬉しいわけだから、どちらかと言えば息子たちには②と④をしっかりできるようになって欲しいし、私もそうなりたい。
で、演劇。他者になり切るわけだから、ものすごくコミュニケーションの原因と結果が客観視できるわけだよね。
ただ、演劇に造詣が深い友人が言うには、それはその通りだけど、やらされてるでは身につかないらしいので、本気で演劇に取り組めないのなら、SST感覚で手を出すのは本気で演劇に取り組んでいる人達に失礼ってもんだな、とは思った。
ならせめて演劇を描いた不朽の名作「ガラスの仮面」の月影先生の役作り指導シーンをSST教材として使えないだろうか、と考えてみる。
「この時〇〇(役名)はどう思うの?」
「それはなぜ?」
「わからないなら感じることね」
→でマヤちゃんは一晩中雨に打たれる
→病気の気持ちがわかった!!
うーん、厳しい🤣でもまぁ「どう思うの?」「それはなぜ?」を常に息子との会話で使うことで熟れ(こなれ)ていくものはある気がする。まずは自分自身のお気持ちの理解、そして「〇〇さんはどう思ってると思うの?」「それはなぜ?」で他者さまのお気持ちの理解…
でもまぁあまりやり過ぎても次男を追い詰めるような気がするから、そういう手法がある、ということを頭の片隅に置いておく、という程度で息子と接していきたい。書いていて「それはなぜ?」にとても圧を感じたから…言葉を操るのがニガテな次男にはこの問答は受け止めきれないだろう…
やはり理屈抜きで役になり切って演じてみる、の方が息子には合ってる気がする…たぶん天才肌(←才能がある、とかではなく自分ができることを説明できない人たちを私の中ではこう呼ぶ)だろうから…しかし児童劇団…次男はウンとは言わないだろうな…やれやれ。
演劇といえば、Eテレで「何にも役に立たないことばかり教えて」くれるオフロスキーの中の人(すまぬ名前は出てこないので各自ググってください)は、脚本書いたり演じたり率いたり、演劇界ではかなり名の通ったデキル人なのね。びっくり。
米津玄師さんの「眼福」がある時「これオフロスキーの歌じゃね?」と思って以来ずっとあの曲を聴くたびにピンクと緑のホルスタインが頭を離れません…
2番の歌詞の「水のないバスタブに浸かり2人目を閉じている」とかまんまオフロスキーじゃね?サビの「そんじゃまたね明日ね」っていつもの決め台詞の「また会おう」じゃね?いつも「子どもみたいに笑」ってね??なによりあんなに「なんにも役に立たないことばかり教えて」くれる人って他にいなくね?ね??ね???(承認欲求が爆発する四十路)
眼福は最初敵わぬ恋の切ない歌かと思っていたのに…ソバカス(←ハンドメイド)のおっさんの歌になってしもうたよ…もう気づかなかったあの頃には戻れない(ある意味切ない)…けどオフロスキー大好きだから良いけど🤣しかしそんなエライ人だとは…演劇界出身の星野源さんも歌作ったりマルチな人だよね。
マルチな人といえば私はマンボウやしろさんが大好きだけど、いつもラジオを聞き逃してしまう…マンボウさんの声とトークは本当にヤバイ、マジで惚れる。この人も演劇人なのか芸人なのかよく分からんが舞台アートな人なんだよな…
オフロスキー、星野源、マンボウやしろ…一見バラバラな私の大好きな人全員に共通する「舞台」ってステキな場所ね…あと音楽関係だとこれにダイヤモンド☆ユカイさんが加わります。(←どうでもいい)さてもう6時だ起きよう。ホントこの日記こそ読む人に「なんにも役に立たないことばかり教えて」る気がするな…🤣🤣🤣
今日は月に一度の音楽サークル…今回参加人数が多いそうだからやる曲を絞って練習せにゃ。何やろうかなーやっぱこないだ電源入れ忘れで撮りそびれた「ひなたぼっこ」だろうな。今回からようやくパンダデッキ復活らしいので久しぶりに屋外でのサークル…外で歌うの大好きーーーー❣️
あと私は自分で思うよりずっと足が短すぎるので映像を残す時はセルフイメージを傷つけないようできるだけスカートを履こうと思いました(←先週のギター練習会ログと先々週のコンサート映像で改めて実感)。日本人体型極まれり。コロナで太ってますます短さが際立つように…旦那がよくテレビを見て芸能人に「この人足短い」とか言ってるけど、アナタの隣にいる嫁が一番短いですからーーーーー残念!(懐かしのギター侍)
#今日のお歌 …オフロスキーに想いを馳せながらお聴きください。前にサークルでギター伴奏を歌った覚えがあるけどYouTube探しても見つからなかった…よほどギターを間違えまくってあげるのをよしたのかな?
【眼福・アカペラ】
https://youtu.be/_ZrViRlSyUk
#写真とか思考の断片とか
https://twitter.com/kirakiramamama/status/1320673389963456512?s=21