【母と私と母と似た人々への一考察】
【母と私と母と似た人々への一考察】
空気が読めない、と誤読、についてのめんたねさんの一連のツイートで、つらつら考えた。
https://twitter.com/dmentane/status/1555695253700890624?s=21&t=X9lb2dTYTlhGlg7aVE1ofA
映画や漫画であれば映像で読み取れている(と思う)ものが【現実世界で自分をよく思っていないであろう人】が発する情報はものすごく誤読しやすい。そして誤読して萎縮するので更に自信がなくなりまた誤読するという悪循環。共同体感覚を仮にでもいいからそういう人相手に発揮できれば変わるのだろうか
私がこの世界の「空気」を理解し始めたのは結婚して夫に生活場面で随行してもらうことが増えたお陰で
特に実家、母親の理解がものすごく進んだ
それまでは「謎に突然不機嫌」「理不尽に怒り出す」「嬉しそうに話してるのにどこか不満げ」という摩訶不思議な生き物だった母
実家から帰ると毎回反省会
「あそこの場面で怒ってたよね?」
「あーあれはそのずっと前にほっこりはんが「これちょっと味濃いね」って料理をひと口食べた途端に言い放ったからだよね。あそこからずっと目が笑ってなかったよ」
「マジで?そんなに前から怒ってたの?」
「多分味が濃いけど美味しいねって言えばよかったよね」
なんか自分の言動が悪くていつも怒らせてたのはわかるのだけど、具体的な場面で「ここのこれ」が悪くて「こうすればよかった」を示してもらえるとものすごく助かる
こんなことを20年繰り返して今はようやく実家に行っても母を怒らせる(傷つける)頻度が減ってきたように思う
実家に帰るのはしんどい
母のむずかしさは、「怒る理由」と実際に「怒る場面」が離れていることが多いこと
きっかけがあったらそこから別のことで少しずつ怒りのゲージが溜まり出して、あるリミットを超えるとそこでドカンとくる
ゲージがたまり切るタイミングの出来事はわりと些細なことで本当の理由は開示されないので難しい。
母の言動を誤読しやすい理由に母がおそらく「本音を隠したい」という願いを強烈に持っていることが挙げられる
おそらく私は母の「本音を隠したい」というコマンドを最初に読み込んで「本音を読み取ってはいけない」という誤読モードを発動するように思う
そして案外この誤読モードを誘発する人は多い
母は、自分の母親(私から見て祖母)と母から見て叔母(私から見て大叔母)に当たる人が大嫌いで「絶対に似てると言われたくない」と繰り返し語っていた
その2人は、母曰くワガママで周りを振り回すタイプ。大叔母は会ったことがないので知らないが祖母はよく言えば素直でわかりやすく私は好きだった
「ワガママを自分にも他人にも最大のタブーとする」母の教育方針は子供としては非常に苦しい家庭環境だった
本音が言えない
母自身も自分の方針にがんじがらめになり苦しかったと思う
(本来母は友人といる時のモードを見ると祖母譲りの自己中心性を可愛らしく発揮できるタイプの末っ子気質なので)
母は兄の新生児期がひと段落した段階でスポック博士の育児書を読み、第二子の私には1人部屋を与えて泣いても放っておいたと言っていた。一歳台で祖父の仕事の手伝いに駆り出され、私を人に預けていたとも(その頃私の頭は円形脱毛症だらけになったらしい)
https://gentosha-go.com/articles/-/25082
こんな風に過去に原因を求めるのはアカンと #嫌われる勇気読書会 で習ったけど、どうしてもここが私の「自分には価値がない」「助けを求めても助けてもらえない」の根本になっているような気がしてならない
それに加えて強烈な「本音を言ってはならない」の縛りがあり、なんだか生きづらいなぁと思う
母とのやりとりで印象深く覚えていることがある
結婚式の衣装選びでネックレスを決めるのにスクエアの宝石がついたものと、丸い宝石がついたものを選ぶ場面があった
スタッフさんに
「どちらがいいですか?」と聞かれ
正直「どっちでもいいな」と思ったので
母に「どっちがいいと思う?」と聞いた
「私はどっちでもエエから、あんたの好きな方にしぃ(しなさい)」と母は晴れやかに言う
(うーん、好きな方と言われても、元来装飾品をあまり付けない私は別にどっちも好きではない。まぁ強いて言うならこっちかな?)
「じゃあこっち(スクエア)にする」
と告げたところ、母は急に焦り出し
「ええと、それも素敵やけど、今の衣装は柔(や)らかい感じやから、宝石もこう、まるぅい方が映る(似合う)かもしれんで?」
「それなら、丸い方にする」
「いやアンタが四角い方がええんやったら、そっちにしぃ(しなさい)」
すったもんだして四角い方になった。(なんだかすごく疲弊した。)
訂正。最後どうだったか記憶が怪しかったので夫に確認したところ、すったもんだして【丸い方】になったらしい。(念のため記念写真を見てみたら矢張り丸い方だった)
まぁ心底どっちでもいいのだが。
(思い出し疲弊)
衣装合わせの後夫にこの話をすると
「あーそれは、どっちでもええで(どうせアンタは私と同じ意見だろうから)のカッコの部分を読み飛ばしてるからそうなる」
と言われて心の底から納得した
母は一時が万事この調子で、自分の意見と私の意見は絶対に同じになるはずだ、といつでも確信していて、その上で私に(自分と同じ)意見を求めてくる
織田信長に近いものがある…ちゃんと母の望み通り鳴かないと殺されてしまう
小さい頃からの違和感が、このカッコの中身、という夫の指摘を受けて氷解した
生まれつき父親似(母とは真逆の性質)の私は、素直に選ぶと、たいがい母と同じ意見にはならない
自分の生育歴を鑑みて【主たる養育者と性質が似てるか似てないか】というのは子供にとって死活問題だと思う
特に他人に同一性を求める養育者の場合【ちがうことは罪】だからだ
ワンオペはキツい(子にとって)
父は仕事人間で平日を職場近くの宿舎で過ごし日曜だけ帰宅する【お客様スタイル】だった
平日は母という女王が支配する完全な密室空間で、しかも関西出身の両親と周りの文化も違っていて、わが家は陸の孤島のように周囲から分断されていた
母も周りに助けを求めないタイプだったから誰の助けも借りずに歯を食いしばって育児をしていた
母もキツかっただろうが、育てられる私達もキツかった
毎朝5時になるとジッジッジッと母の草刈りの音で目が覚める夏休みの朝を思い出す
もっと家のことを手伝えばよかったと今になって思う。母を孤独にさせていたのは私たち子の無関心でもある
もっとも母は家事を「自分の仕事」と定め手伝いを申し出ても「アンタらは勉強しぃ」と断られたりもしていたが
当時カッコの中身をもう少し読み取ることができたなら
「アンタらは勉強しぃ」の後に続く(勉強がひと段落したら手伝って欲しい)も読み取れていたかもしれない
主たる養育者と子の性質が違う場合、子には【反抗期】が必要
この国産車とF1カーに例えた話が非常に分かりやすい
https://jp.quora.com/%E6%BF%80%E3%81%97%E3%81%84%E5%8F%8D%E6%8A%97%E6%9C%9F-%E3%82%92%E8%BF%8E%E3%81%88%E3%82%8B%E5%AD%90%E4%BE%9B%E3%81%A8-%E7%A9%8F%E3%82%84%E3%81%8B%E3%81%AA%E5%8F%8D%E6%8A%97%E6%9C%9F-%E3%81%A7%E9%81%8E%E3%81%8E/answers/313935759?ch=17&oid=313935759&share=e7eee9d6&srid=u1lJvx&target_type=answer
わが子が自分に似ているか似ていないかは子育てを左右すると思う
最近自覚してきたが私は母に似た人(というかそう感じる人の群)がニガテだ
母に似ている要素があると感じるだけで勝手に萎縮してしまう(そして誤読する)
本音を抑圧し自分の本音を知らず正しさを自他に強要し自分と同一であることを周りに強いるように見える人々
同調圧力の高い場所に多いと思う
ウチは次男は私似、三男は夫似なので、問題が起きた場合自分に似た方を担当(弁護)する
(昔の多世代同居システムは、家庭内の多様性担保というか、こういう場合にある程度機能したのだろうなと思ったりする。)
あときっと娘か息子かでも接し方のコツは違うのだろうと思う。
(私は息子しかいないのでそのあたりはわからない)
ともあれ、子育てはむずかしい。これに尽きる。
母は許せても母に似た人には怒りが湧くことがある…母に似た所を直したいと無意識に余計な手出しをしようとする
これは私の課題なので、課題の分離が必要
母やそういう人が、どういう生き方をしてきて、どうしてそう思ったり行動したりするのか、その人と同じ人生と心を持ったつもりで考え、共感する
母へも母に似た人々へも最大級の尊敬を払う
その人の関心事に関心を寄せる
(この辺り、読書会で今読んでいる『幸せになる勇気』から学んだ考え方)
自分とは合わない考え方、感じ方の人の近くにいる時の居心地の悪さを、過去の母への思いと勝手に重ねていないか点検し、自分ばかり見つめないでその人自身を見つめ、その人の関心事に関心を寄せる
ちがいを楽しみ、面白がる
なかなか私は人といてリラックスすることがむずかしい
母との生活がずっと緊張の連続だったから
どうしても母に似た人か近くにいると緊張してしまう
女子の集団にも馴染めなかった学校時代のアレコレも重なる
それが女性全般をニガテとする意識に繋がっていると思うが自分を狭めず女友達を作りたい