【それゆけ!凸凹ママ日記】恋の歌とりまぜてアソート
おざます。4時間半睡眠。ちょっと短いな…。
やはり和歌といえば恋。写実主義実存主義の風景描写は後年の俳句に譲るとして、和歌の真骨頂は恋文にあります。というわけで、最近の私の中の和歌ブーム…雲のうた、西行のちぎりうた、ときて今日はついに恋のうた。和歌日記第3弾です❣️
朝日記リミットの時間までに何首紹介できるかな❣️もしかするとアップロードした後で付け足すかも。なんせ恋歌は選ぶにも数が多いのです。オポッサム❗️(謎の気合)では一首め。
■薄紙の 火はわが指を すこし灼き 蝶のごとくに 逃れゆきたり(ひたくれなゐ・斎藤史)
「薄い紙を燃やした火は、私の指をほんの少し焼き、まるで蝶のように逃げていきました。」
ここ数日、万葉集やら古今和歌集をさんざん紐解いていて、恋文がどうのと前置きしておいて、いきなりのっけから現代和歌を紹介するアテクシ。外しっぷりがさすがだわ。(自分大好きっ子)だって昨夜ツラツラと和歌世界を渉猟していて、この歌がハッと心に響いたのだもの。
私は現代和歌には全く詳しくないので以下は色んなWEBページの作者略歴まとめです。
斎藤史は言わずと知れた(私は知らんかったが)歌壇のゴッドマザー。彼女の父斉藤瀏は、二・二六事件の中心人物だったと言うから社会的にも足跡のあるお家柄なのでせう。2005年に93歳で亡くなるまで、明治から平成を駆け抜けたモダニズム和歌の重鎮なんだとか。まぁ一言で言うと、偉いおばあちゃん。いや、超偉いおばあちゃん?(言い直す意味とは?)
で「薄紙の」。良いですね、チリチリっと指先に心の端に痛みを残す恋。ごく薄い紙の燃えさしが、まるで蝶のようにふわりと舞い、風に崩され消える様子がありありと目に浮かびます。あれ?と思う間もなく、恋になり切る前に終わる恋。これぞ大人の恋というヤツですね。なんとオシャレ❣️業界風に言えばシャレ乙❣️
せっかくなので?斎藤史のモダニズム恋歌をもう一つ。
■植物は歩めず涙ながし得ず枯れゆく樹皮をわれはさすりぬ
この樹皮が本当に樹皮なのか、シワの深く刻まれた己の顔なのか。ハウルの動く城に出てくる荒地の魔女こと恋多きおばあちゃんを思い出します。立場のせいなのか相手の心に自分が居ないからなのか、なにかが彼女の足を捉えて樹木のように地に埋め、恋の一歩を踏み出させない。涙すらうっかり流せないほどの秘めた恋。
しんとした情景描写とは裏腹に、心の内に激しい恋の気配を予感させます。しかしその恋に火を灯すことなく枯れるがままにしておく。そっと樹皮をさすりながら。それもまた恋のカタチなのではないかなと思います。切ない。
■ゆふぐれは雲のはたてにものぞ思ふ 天つ空なる人を恋ふとて(万葉集・読人知らず)
「夕暮れになると雲を眺めては、物思いにふけています。あの空のように手の届かぬところにいる恋人を思って。」
この歌はね、「雲のはたて」(果たて=果て)という一語がとても好きなんでありんす。(突然のくるわ言葉)
同じような情景で好きな歌がもう一つあります。
■つれづれと 空ぞ見らるる 思ふ人 天降(あまくだ)り来む ものならなくに(和泉式部)
「なんとなく空を眺めている。愛しい人が天から降りてくるわけもないのに。」
出た!恋歌の名手、和泉式部その人ですよ。現代で言うところの西野カナというポジションでしょうか。特にこの歌にめちゃくちゃ好きなフレーズや技巧があるわけではないのですが、個人的に「人が空を見上げる」、という描写が無性に好きなんですな私の場合。
サッカー選手がユニフォームの腹をまくって顔の汗を拭くのが無性に萌える人もいるかと思いますが、そういうのと同じです。(同じなのか?)
あとこの歌の好きなところを強いて言えば、ロマンチックな描写なのに、「天降り」というただその一語の持つパワーによって官僚のオッサンが思わず頭をよぎってしまう…現代ゆえの残念さが意図せずに漂ってしまうところです。
ロマンチックに雲間に浮かぶ定年を迎えこれから天降るおっさんの面影。残念すぎる🤣和泉式部に全く罪はないのだけれども🤣
新進気鋭の女流作家に1000年後に訪れた予期せぬ落とし穴、という本筋となんら関係ない点で非常に心に残る一首です。では次❣️
■ 君が行く道のなが路(て)を繰り畳ね 焼きほろぼさむ天の火もがも(万葉集・狭野弟上娘子)
「あなたが行く長い道を引き寄せ、畳んで、焼き尽くす天の火がほしい。」
万葉女子の恋は激しい…もはや人ではなく荒ぶる神なのでは?というほどの激しさ🤣「焼きほろぼさむ」の古代パワーよ。「もがも」という現代には無いフレーズも好き✨願望の終助詞。
この特徴的なフレーズの歌は百人一首にも採られている。「世の中は 常にもがもな 渚(なぎさ)漕ぐ 海人(あま)の小舟(をぶね)の 綱手(つなで)かなしも(新勅撰集・鎌倉右大臣)」これは恋歌ではなく世の中を憂う歌だけれども、「由良の門(と)を渡る舟人(ふなびと)かぢをたえ ゆくへも知らぬ恋(こひ)の道かな(新古今集・曽禰好忠)」との関連から、ともすれば小さな舟を不安定な恋心に例えた恋歌にも感じてしまう。まぁ鎌倉右大臣は万葉びいきだと言うことだから、下手な小細工は無しで写実主義なのだろうけど。作者の思いはともあれ、受け取り方は自由だよね。
あーもう時間ない。最後にコレ。
■ しゐて行人をとゞめむさくら花 いづれを道とまどふまで散れ(古今・詠み人知らず)
(私の制止を振り切って帰ってしまう貴方を、とゞめたいの…桜花よ、帰り道が分からなくなるように散っておくれ……どこが道かと戸惑うほどに)
いいですね、恋の狂い咲き。ほんのり怨念入り❣️これもまた目に鮮やかな激しい恋歌です。道が見えなくなるほどの恋。この道が単なる道なのか、人の道なのか。そう考えると妻子ある人との道ならぬ恋の歌とも読めます。
古今和歌集の離別歌の章に分類される歴とした古典ですが、最後の「まどふまで散れ」という強い命令調に、現代歌人の作かしらんと思わせる今っぽさがあります。たとえ恋をしていなくても、桜が散る季節に、あぁ今年も散ってしまう…という桜そのものへの愛惜の思いとともにふと口ずさみたくなる恋歌です。
あともう一個だけ。これは恋歌ではないのだけど、雲のうたの日記に足そうかと思って見に行ったらあっちは「万葉しばり」だったから…これは古今和歌集なんだよね。まぁ頑張って解釈すれば恋の歌にすることもできると思うから…(力技ェ)
天の河 雲のみをにて はやければ 光とどめず 月ぞ流るる(古今・詠み人知らず)
「天の川は雲の早瀬(水脈・澪、みお)で流れが速いため、月の光が留《とど》まることなく流れていく。」
天の川を水脈に例えるの、オシャレじゃーーーーーーーん❣️(雑な感想)実際そこだけ月の公転が速くなるとかは絶対に無いのだけど、これもまた和歌にありがちなフィクションの美というヤツだし。
見かけ上の月の動き(見かけ上の動き、っていうフレーズものすごく小中学校の理科っぽいわ萌える)っていうか、背景がある天の川部分ではめっちゃ速く感じられる、というのは実際そうなのだろうと思う。時代の流れが早過ぎてついていけない…コロナとか休校措置とかテレワークとか…というそういう歌でやんす。(そうなの?)コロナに負けるな❣️(雑なまとめ)
無理やり恋歌に例えるならば、大学進学で離れ離れになるカップルを想定すると「東京に行っても仲良く付き合って行こうね」という彼氏に対して彼女が「東京の時の流れは速いと聞くので、きっと田舎にいる私のことなど忘れてしまうでしょう」という風に返歌するのに使えるという便利な恋歌になっておりますので、ぜひご活用ください。(どこでどうやって?)
ヤバイ、起きないと!(2回目)ではでは、みなさま、良い恋歌を❣️(謎の締め)ちゃおちゅーる❣️
#昨日の写真とか思考の断片とか 。
https://twitter.com/kirakiramamama/status/1267712599614881795?s=21
#キナリ杯後夜祭
#応募作より締め切りが過ぎてから書いたこっちのスキを読んでほしい (応募作は後夜祭不参加)
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