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[2/1000]得意・不得意、上手・下手、を超えられる大切なある意識について。

今日の朝は、小学校で絵本の読み聞かせに行ってきました!

上の子が3・4年生くらいの時は頑張って毎週参加していたのだけど、
頑張って行っていたと言う言葉からわかるように、
親の役目としてやらなきゃいけないから、本当はやりたくないけど
読み聞かせに行くことを頑張っていたのです。

読み聞かせは保護者の中から希望者、有志で行われているもので、
私も1、2年間はやってみたのですが、
私の声ってちょっと低くて遠くに届きにくいので、
大きな声を張り上げて出さなきゃいけないのがしんどくて・・・
やめてしまっていたんです。

今回は、読み聞かせ人数が足りないので助っ人で来て!と頼まれて。
予定も空いていたし、
毎回はしんどいけど、たまになら全然大丈夫!と思って
助っ人として参加してきました。

結果、思ったよりも楽しくできてよかった。
たまになら全然、また参加してもいいな!って感じました。

でも果たしてそれでいいのだろうか?

他の保護者さんたちも、暇なわけではない中、
毎週読み聞かせをしに行き、子供達のために尽くしてくれている。
調整をしたり話し合ったりすることもあり時間もそれだけ取られている。

私は、大きな声を出すのがちょっと辛いししんどい、
という理由で行くのをやめて・・・
本当は人数が足りているわけではないから
私が行けば助かるはずなんだけど、行かない選択をしてる。

これは逃げなのだろうか??
薄情だろうか??

私も毎週やるべき?

と、モヤモヤと考えてしまいます。


一つの考え方として
・苦手なことは無理せず、得意な人や好きな人にお任せしていればいい。
ということがある。

読み聞かせが得意な人、好きな人がいて
一方で苦手な人もいる。
それなら、得意な人が得意分野をやればいい、
その方が世界のためになる。

という考え。

苦手な人が無理してやると、
「無理」「やりたくないけどやる」「頑張る」「辛い」「しんどい」
みたいなエネルギーが世界に生まれることになる。

得意な人や好きな人がやると、
「楽しい」「好き」「軽々とできる」というエネルギーが世界に生まれる。

だから、得意で好きな人がやった方がいい。
そのほうが世界が良い方向へ回っていく。

読み聞かせは苦手だという人も、他のことなら得意かも知れない。
その得意分野で自分を活かせばいい。

だから、苦手分野を無理してやる必要はない。
全世界の人が自分の得意分野を担当すれば世界平和、
世界は幸せでいっぱいになる。

という考えを採用し、そう思っていたのだけど・・・

それって本当なのかなー?
それでいいのかな?
これは逃げじゃないのかな?

うーーーーーん。


うんうん考えて答えを出す前に、今日私が感じたことは?
ちょっと書き出してみようと思う。

・導入のために少し色彩心理学に基づいたカラーの話(思春期の子供達が興味を持つような)をしてみたのだけど、ちょっとでも興味を持ってもらえたかなー?興味は持たなくても新しい視点を持ってもらえたかなー?
・届いてるんだか届いてないんだかわからない。
・興味持たれてない?あー失敗だったかな
・声が届いているかな?心配。
・時間が足りるか心配。
・絵本の選択は合ってたかな?
・前の方の女の子はよく聞いてくれてる。嬉しい。安心する。
・人の前に立つのは結構慣れてきてるな。緊張してない。

こうやって書き出してみると、その時の自分の状態が感覚で蘇ってくる。
そして、書いてみてわかったことがある。

そうか、私は、相手の反応がわからなくてモヤモヤしていたんだなと。

伝わってるのか伝わってないのか、
喜んでくれてるのかつまらないと感じてるのか
それがわからなくて、手応えがなくて
読み聞かせ難しいなぁ、苦手だなぁ、と感じているのかも知れないと。

でも、それも1回やっただけで手応えなんてわかるはずもないのだから、
試行錯誤で自分のやり方を続けて、工夫したりしてみて
それから判断するべきものなんだろうな。

その試行錯誤や創意工夫とは、
「育む」という意識。

得意、不得意の観点のみではなく、
「育む」という意識があるかどうか?

読み手と聴き手のコミュニケーション(読み聞かせという場では一方通行ではあるけれど)なのだから、
独りよがりではダメ。

私が絶好調で気分良く本を読めたとしても、
やはり聴き手側に楽しかった、面白かった、と感じてもらえなければ
ただの自己満足で終わってしまう。

それは、上手・下手という問題ではなく、
きっと、読み手と聴き手、私と子供達の関係づくりなんだと思う。
それが「育む」という意識。

過去の1、2年間の読み聞かせではその「育む」意識が
なかったかも知れない。

「育む」意識がないだけの関わりはただの行為。
ただの行為にはそれ以上の意味も成長も繋がりも生まれない。
やって終わり、読んで終わり。

「育む」意識があれば、
もしかしたら得意・不得意は気にならないのではないか?

得意なことは得意な人が、苦手なことは別の得意な人がやればいい
という議論以前に、
「育む」意識があるかどうか?
そこを見つめ直した方が良さそう。

「育む」意識を入れて今日の読み聞かせを振り返ってみたら、
もっと別の私の在り方があったなぁ、と
もっとできることがあったと、見えてきた。


これでいいのかな?
これは逃げじゃないのかな?

と感じていたのは、
読み聞かせに参加するかしないかということに対してではなく、
この在り方、やり方でいいのかなぁ?
そこに「育む」意識があったか?ということに対してだったようです。

何事をするにも、「育む」意識。

これを持っているかいないかで
ただの行為になるか、成長やつながりに発展していくか、
大きく違っていく!!

そんなことを今日の読み聞かせでの経験が教えてくれました。

今日から「育む」意識でnoteも書いていこうと思います🎶


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連続投稿1000日チャレンジ始めました!

継続、私もできる!を積み重ねる旅です。

そして、「私にとって書くことは当たり前に自然にできること」にしていきます。

1000日後の景色は、きっと、やり切った充実感と、
でもどこか当たり前の感覚。

自分の文章の持つ私ならではの雰囲気、
私らしい表現、言葉、が見つかっています。

そして、このnoteをふと見つけて読んでくださった方が
また読みたいな、面白いな、気持ちが軽くなった、人生が楽しくなった
など、思ってくれて更新を楽しみにしてくれている。

これから私は私らしく私の世界観をこの宇宙に発信していけますように。

渾身の2日目!
(0002/1000)

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