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死について考える。

昨日、ある質問をもらった。

半年前くらいに亡くなった身内の死を受け入れられず、
悲しい気持ちに支配されてしまって
まだ抜けられません。
抜け出すエネルギーが欲しいです。
どうすればいいですか?
と。

半年という月日は、
身近な人が亡くなってその悲しみが癒えるのには
短いのだろうか、長いのだろうか。
まだ半年?もう半年?
それも人それぞれ、感じ方は違うんだろうけど・・・


私は自分の身近な人が亡くなってしまったら
どんな感情になるんだろう。

まず、親の場合と、子供の場合、夫の場合、
それぞれ悲しみの感じ方は勿論違うと思う。

自分より歳をとっている両親の場合だったら
多分、大往生だったね、って
地球での人生お疲れ様!卒業おめでとう!
と、見送ってあげられそうな気がしている。

でももっと親孝行らしいことしたかったな・・・
私が娘でしあわせだったかなぁ
両親は幸いなことに仲良しだから、
素敵な夫婦でずっと過ごせてよかったね、って
そんなことを思いそう。

夫でも同じかな。
一緒に居られる時間がちょっと短かった気がするけど、
いつか来る別れが今だったんだな、って
最後まで一緒に居てくれてありがとう!
でももっと楽しいこと一緒にやりたかったなー
寂しいなぁ、と思うかもしれない。

ここで一つ思ったことは、
寂しいとは思うかもしれないけど、
悲しいとは思わないかも。ということ。

普通は大切な人の死は悲しいでしょ、
とみんな言うと思うけど
本当にそうかなぁ?と思う私がいる。

死ぬことは本当に悲しいことなのか?
という基本的な定義のところに立ち返ってしまうのだけど、

私の中では死ぬことは悲しいことではないんだよね。
もう2度とこの人生では会えない、話せない、遊べない、触れられない、

そう思うと寂しいけど、
死は避けられないし、絶対みんな死んで終わる。
死が悲しいものなんだったら、
生まれなければよかったということになってしまう?
というのは言い過ぎかもしれないけど。

死はゴールだから、
人生を最後まで生きてゴールしてお疲れ様!
あなたの人生は、どんな人生だったか、
本人のみぞ知るだけど、
きっとその人なりに精一杯生き切ったんだろうと思うから
グッジョブ!完走おめでとう!って思っちゃう。

私たちは、この世がよりよくハッピーになる方向へ向かっていく生き物だと思うから、
ゴールが悲しいことなんてことはないと思うの。

そしてもう一つ、私の勝手な持論だけど、
きっと死ぬ時って、この世でもうやるべき使命が果たされて
魂的にもうやることが無くなった時だと思うのね。

だから、
まだやり残しがある人は、まだ死なないんじゃないかと。
3次元的にやり残した仕事はあるかもしれないけど、
魂としてのやるべきこと、使命は
もうやり尽くして次の使命へ旅立つのではないかなと
そんなふうに思ってるんですよね。。。


でも、これがね、
自分の子供が亡くなってしまうことを想像すると、
そうは言えなさそうなのよね。

めっちゃ悲しみに打ちひしがれると思う。

寂しいもだし、悲しい。めっちゃ悲しい。と感じる。

なんでだろう?なんで子供は特別?

やっぱり子供が先立つなんて
若くして、もっとやりたいことあっただろうに
悔しい、悲しい、って
思ってしまうんだろうな。

若いからじゃなく、
やっぱり自分の体から生まれてきて、
大切に大切に育ててきた宝物で・・・
自分の命を分けたものだから、かな。

いつまでも元気で、これからも夢を叶えて、
幸せを掴み取って、長生きして欲しいって
そう望んでいるんだなぁ。

子供はまだ人生これからなのに、
それが志半ばで断たれてしまったように感じるから
悲しみが大きいのかな。

でも若かったとしても、
その人の使命、お役目がこの世で終わった時点で
この生命としても、この世を卒業していくんじゃないかな。

だから、本当は子供が亡くなるのもお年寄りが亡くなるのも
きっと同じこと。
使命を終えるのが早いか遅いか、それだけの違い。
何歳であっても、例えば3歳だったとしても
魂としては大往生!
死=ゴール=使命をやり遂げた、ってこと!


だから、冒頭の質問をしてくれた人にも、
死について、
そもそも死というものについてどう感じているのか?
どういう定義をしているのか?
見つめてみたらいいと思った。

自分が死というものをどう捉えているかで、
感じることも違うと思うしね。

死は最悪な出来事で
人生で起こらないほうがいいというもなのか?
そういうもんじゃないよね。
不幸なアクシデントとは違う。

その人がその人の最後まで生き切ってゴールしたんだと
その一生を讃えてあげれば
お疲れ様、またね、って
手を振ってあげられるかなーって思います。

勿論、悲しみたいならとことん悲しんだらいいと思ってる。
悲しいってことは、悲しみたいってことだから。
悲しい気持ちを引きずっていることを否定しなくてもいいんだよ。
そこはゆっくりと悲しみ切ってもいいんだと思う。

でも、いつまでも抜けられなくて、
抜けたいと思ってるけどどうしたらいい?
って悩んでいるようだったから、
死について考察してみることを
お勧めしたいと思ったんだ。

という感じ。

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