母の闘病①
こんにちは。
Kikiです。
昨年亡くなった母の記憶として、この場をお借りして日記を書いています。
母は昨年ガンで亡くなりました。
ある方の話では、私と母のつながりは、生まれる前からで、私たちの母親(両親)となるために、宇宙に計らいでこの地球に転生してきてくれたとのことです。
こう書いてしまうと「そんなことあるの?」と思われるかもしれませんが、私は母とのつながりをずっと強く感じていたので、「あ、やっぱり。そうだったんだ!」と不思議な気持ちになったことを今でも覚えています。
きっと同じように家族やお子さん、ご夫婦の「縁と絆」を感じていらっしゃる方、きっとこの時代だとたくさんいらっしゃると思います。
今日は、母の闘病について書いていきたいと思います。
母は数年前からガンを患っていました。
その時には、すでに大きな腫瘍にある体の器官一部を侵食されているような状態で(素人的にはそう見えました)、正確には「もっと前から」だったのだと思います。(お医者さんもそのようなことを話していたと思いますが、正確には忘れてしまいました)
私の母は極度の病院嫌いで、それまで健康診断に行ったこともありませんでした。
ある体の器官が機能しない故に、外出が、一人ではできない期間が長く続きましたが、それ以外は健康そのもの!
時々風邪をひいて、体調を崩していたくらいでした。
ただ、今思えば、その「体調を崩しがち」というのが大きな病気の前兆だったのかもしれません。
医師の話をよく覚えていませんが、おそらく10年くらいかけて徐々に腫瘍が大きくなっていったものだと私は感じました。
当時、医師の診断を受けた時点で、すでに手術が必要な状態でしたが、
私の母は大の病院嫌い。
最初は「手術はしません!(きっぱり)」の1点張りだったのですが、
家族の様子を見ていた母は、ようやく折れてくれました。
その時懇意にしてくださっていた方の説得も響いたのかもしれません。
子供達が大好きで、家族みんなを大事にしてくれた彼女の性格からすれば、私は「絶対に手術を受けてくれるだろう」と楽観的に考えていたので、そこは私たちから説得したことはありませんでした。
また、私に似て(母譲りの?)曲がった太刀筋大嫌いな、意固地な性格だったので、「私たちが説得しても無駄だろうなぁ」、という気持ちもありました。
その時の手術は腫瘍を取り除くというもので、術式的にも難しいものではなかったと思います。
ただ、家族が事前に同意書にサインをしたり、ということがあったので、
手術中に母の容態になにもないことを、願っていました。
そんなこんなで手術は無事に成功し、1〜2週間後に無事に退院!
そこから母の静かで長い闘病生活が始まります。
闘病生活といっても、母の場合は、通院がメインでした。
抗がん剤治療も行いましたが、脱毛だけで、特に大きな副作用もなかったようです。
しかし、体力の衰えが、側で見てみてもいちじるしく、
元々細い体が、さらに細くなってしまいました。
それに伴い、体の骨折も起こり、体調が悪い時は息をするのも大変そうでした。
「現代は医療が進歩しているから、がんになってもきっと助かるだろう」
そう考える風潮があるように感じます。
ただ、その薬や治療方が私という個人に効くかどうか、そして、金銭的なもの含めて、制限がなく投与できるかどうか、というのは、保証できないと感じます。
母の場合は、私が感じる限り、おそらく抗がん剤治療を続けることができていれば、今でも生きてくれていたと思います。
しかし、最後の半年くらい、もう彼女にはその体力がありませんでした。
抗がん剤治療をするには、定期的に病院への通院が必要になります。
長年病院へ通院していましたが、体調が悪くキャンセルすることもしばしば。
今思えば、きちんと治療を続けられる体力がなかったことが、
母が命を失う一番大きな理由になったのかもしれない。
多くの人が当たり前にできることができないことで、一人の人間が命を落とすこともある。
そんなことを考えています。
若い時にある方に教えてもらった言葉。
「この世界は不平等」
不慮の事故や難病で命を落とす人が大勢いる社会。
ただ、私個人は、人の寿命というのは神様が決めることだと思っています。
そして、その人の人生で与えられた試練は、個人が背負わなければいけなくて、
それを肩代わりすることは、親でも、子でも、兄弟姉妹でも、夫婦でも、友人でも、絶対に無理なんだな、ということを母を亡くして改めて学びました。
健康って本当にありがたいんだな。
そんなことを母の死を通じで再確認し、
毎日前を向いて生きていこうと決意しています。
では、今日はこの辺で。
Kiki