大好きな母が亡くなった日のこと。
こんにちは。
カウンセラーのKikiです。
今回は、母が亡くなった日のことについて書きたいと思います。
母は、長年、ある病気を患っていて、もう25年以上の間、一人で外出することができませんでした。
通院もいつも父が付き添い、二人で出かけていました。
なくなる前の1ヶ月、母は、体力が急激に落ちていきました。
体もいつも痛みがあり、本当に、以前にも増して辛そうでした。
元々小柄で細くて、あまり物が食べられなかった母。
最後の1ヶ月は、本当にほとんど食事を口にできていなかったと思います。
それでも、私がお見舞いに行くと、いつも最高の笑顔で迎えてくれていました。
激痛で薬もほとんど効かない痛みの中、なぜあんなに優しい表情ができたのかな。
私は今でも、本当に母を尊敬しています。
子供の時は、怒られたことももちろんありますが、とにかく、家族を最優先で、優しく、笑顔を絶やさず、私たちを心から愛してくれた母でした。
そして、何よりもとても強い人でした。
10代、20代の頃は、そんな母の優しさを「当たり前」と勘違いしてしまい、うっとうしいなぁ、と思ったこともありますが、今までもこれからも、私に無条件で優しさや愛情をくれる人は現れないのだと思うと、本当に幸せだったなと思うんです。
母は、ある病気の末期症状で、最後は痛み止めの劇物を使用していました。
医師の予見通り、劇物の投与後数日で息を引き取りました。
劇物を投入するまでは、会話ができていたのですが、その後は、
意識が錯乱してしまい、ほとんど会話が成立しませんでした。 文字も書くことができなくなりました。
私たちが、医師から、母が末期症状で、もしかするともう長く生きられないかもしれない、と聞いたのは、亡くなるわずか2週間前のこと。
その時には数ヶ月単位で悪くなるでしょう、とのことでしたが、告知から、逝去まで本当にあっという間でした。
今思えば「家族に絶対に迷惑はかけたくないの!!」とか、「病気で苦しみながら長生きしたくはないの!!」と彼女が若い頃から言い続けていましたから、本当にその通りになったんだな、と、ある意味驚いています。
彼女は強くて、とても潔い人でした。
私は、彼女より強くて潔い人を見たことがありませんし、
この先の人生で、彼女のようになれるのか、まだ自信がありません。
でも、母のDNAをばっちり受け継いでいるんだから、
「きっとそう生きることができるのだろう」、と前向きに考えています。
亡くなった時の彼女は、「闘いに疲れて一休み」といった様子でした。
人が亡くなる時は、息を吐ききって亡くなっていくということなのですが、
呼吸が苦しかったのでしょうか、少し肩で息をしていた名残を感じました。
以前、一緒に暮らしていた時、
母はベッドで疲れて居眠りしていることがあったのですが、
その時のように、また起きてくれるんじゃないか、そんな期待が一瞬胸をよぎりました。
ただ、私は母が亡くなった直後の姿を見て、同時に「あぁ、もう本当に逝ってしまったんだな」とはっきりと感じました。
誰もがそうだと思うのですが、動かない母を見るのは初めての経験だったので、本当に悲しかったです。
人が亡くなってしまうと、もう、声を聞いたり、笑顔を見たりすることができません。
私は大好きだった母の笑顔や、笑い声、優しい声が、もう私が生きている限り聞けないのだということに気がつき、深い暗闇に突き落とされた気分でした。
きっとそれは家族も同じ気持ちだったと思います。
次回に続きます。
Kiki