全血縁がカルト信者の話 その8
お久しぶりです。またつらつらと書いていきます。今回で「全血縁がカルト信者だとどんなことになるのか」の時系列概要を完結させ、次回以降は人格形成に影響したであろうエピソードや鬱の話、ただの日記などを書くところにしようと思います。
・全血縁がカルト信者だとどんなことになるのか ~休学後編~
休学するまで様々な抑圧や強迫を根底に生きていたわけですが、一旦社会的な時間から外れることで、「やりたいことをやっても良い」と言う文字を質感を伴って理解し始めることができました。世紀の大発見。
これまでは「(この中から)やりたいことをやればいい」と言う、自分に発案の権利がない選択ばかりであったため、本当に自分のやりたいことなどと言うものは空想の産物であり、何か言い訳を探し、自分にはできないものであるとモザイクをかけていました。
今でもその思考の癖は根強く残っています。かなしいね。この時ふっきって就職とかもっとチャレンジすれば良かった。とか言ってしまっているのが上記の証左です。今が一番早いのにね。
モザイクは取れても直視はできていません。コンビニのエロ本みたいに視界の端でチラチラ見ています。そんな歳でもないな。
当時はとりあえず、自分がしたいことのためにお金を稼いで使ったり、面談の担当医や友人の紹介で現代思想や精神療法、発達心理に手を出したりしていました。この程度のことしか思い浮かばなかったしできなかったけれども、今現在もこのくらいのことしか出来ていないけれども、大きな一歩だったと思います。
しかし、この発見は諸刃の剣でもありました。やりたいことの輪郭が以前よりハッキリと見える一方で、諦め癖フジツボの固着した自分がどうせ…と耳元でボソボソ言い続けることになるのです。お前ほんまやかましいねんカス。
こんなしょうもない発達は中高生で通り過ぎるはずなんですね。ちょっと病弱なセブンティーンはとうの昔に過ぎたはずなんですけれども。
「やりたいこと」の眩しさに引き寄せられた私は、さっさと「血縁」のことを考えなくてよい、自由な生活を得るために次回の院試を諦めて就活を始めます。
めっちゃややこしいのでまとめておくと、
4回後期休学→4回part2前期休学&公務員就活→(後期までに内定がなかったので)4回part2後期休学→4回part3前期休学&民間就活→4回part3後期復学&卒業
という流れになります。
最初の半年以外は秘密裏に卒業用の研究活動も進めていましたが、4回part2後期の休学が決定したので教授が研究の進捗を後輩君に譲渡なされました。かなしいね。
当時思想がバチバチだった私は、自治体で相談員をやりながら体制を内部からチクチクしてやりたい。犯罪せん限りクビにならんから食うのにも困らんし…と考え地方自治体を3つほど受けました。しかし面接が進むにつれて社会的弱者に寄り添ったことは到底できないと判断し、民間企業にシフトすることになります。内定もらえなかったしね。
民間企業の就活では、唐突な解雇や転職に対応できるようにSEを志望していました。もちろん本当の休学理由は隠しました。SE志望の動機といい人間と社会に対する不信が強いね。何なら頭を真っ白に染めていたため初期はウィッグ被って就活してました。頭おかしいよね。
そんなこんなあって東京の企業からの内定にYESを返し、尖りすぎた学生の就活は終幕を迎えました。めでたしめでたし。
4回part2後期休学をする旨の報告以降、「実家」には行っていないので特にカルト話はできませんでしたね。どちらかというと数回のノンアポ家凸施設へ拉致未遂や関係各所への電凸など、当該カルトに染まる人間共通のヤバさからくるものが主であった期間でした。
所属研究室の位置情報や進路情報に関しては大学の保健センター、学生課、教授陣が連携して徹底的にシャットアウトしてくれていたのでなんとか雲隠れまで耐えることができました。家凸に関しては都度、友人に協力してもらい事なきを得ました。よかったね。みんなありがとう。いやほんとありがとうございました厚く御礼申し上げます。
まあ就職後は就職後で別のだるい話だったり、今までの人格形成や固定化された鬱が問題でうまくいってないことがあるのでそっちも今後は書いていきますね。
いつになるかわかりませんが、次回からの直近は最初に書いた通り、「実家」の機能不全さや鬱に焦点を当てたものを殴り書きしていこうと思います。
ぽやしみ~~