ナンパおじさん
おじさんは京王井の頭線の小さい町に住んでいた。
筋トレが好きで、コナミのジムに通ってたし、家にも筋トレ道具があった。
たまに写真が送られてくるトレーニングしてる写真は鏡越しで全然盛れていなかった。
おじさんと言っても、当時32歳だった。
あの頃、24歳になりたての私は、その8歳の年の差を十分におじさんと言って差し支えない年齢だと思っていたし、実際に彼のことをおじさんと呼んでいた。
おじさんは、プルデンシャルにいそうなパリッとしたスーツを着ていて、持ち物はブランド物、家でも外でもラフロイグを飲んでいた。
あの頃は大人っぽく見えたけどやや見栄っ張りというか、東京に染まろうと頑張ってた人だったなといまなら思う。
夏の真夜中の西麻布で、おじさんに最初に声を掛けられた時、全力で苦笑いしたことを覚えている。おじさんじゃん〜無理〜と何度も繰り返した。
(相当失礼な女だと、反省はしてる)
連絡先を聞いてくるので、LINEも電話番号も断ると、名刺を渡された。
なんなら会社に電話でもメールでもしてきてくれて構わないよ。
そんなこと言う人は初めてで、面白かった。
面白かったので、名刺はもらったまま、私の電話番号を教えた。
電話はすぐにかかってきて、その翌週にはおじさんの車に乗った。
六本木通りに止めたクラウンの中で、
会って早々、「知らない男の車に乗るのにミニスカートは危ないよ」と怒られた。
やっぱりおじさんだと思った。
毎回、おじさんの誘い方は強引なのに適当だったし、あからさまだった。それでも誘いが途切れなかったのは、あの頃そういう誘いができる女の子は私以外にいなかったんだろうと思う。
家に行くようになってしばらくしてから、
無性にこの関係に名前を付けたくなった。
名前がない関係は不安だったし、名前のない関係をすんなり受け入れるほど私は大人ではなかった。
別におじさんのこと好きだとか、そういうのじゃなくて、私をちゃんと扱ってほしい、ただそれだけだった。その日から、おじさんは私の彼氏になった。
最初は鍵を渡すよと言われてたけど、いつのまにか家に行く時は出勤前に連絡して、鍵をポストに入れておいてもらうことが習慣になった。合鍵をもらえないことは不満だったけど、それを言ったら子供っぽい気がした。
私は仕事が終わったら井の頭線に乗って、スーパーで買い物をし、料理を作って、帰りを待った。ベランダから外を眺めて、自転車で帰ってくるおじさんに手を振り、一緒に食事をして、筋トレをしてるおじさんの横にいた。
大人になった気がして、その生活は嫌いじゃなかった。相変わらずおじさんのここが好きだとか、そういうのは無かったけど、比較的スマートな年上の彼氏は気分が良かった。
一緒に回らない寿司屋に行って、わさびは醤油に溶かさないことを教わった。釣り道具を私の為に揃えてくれて、夜中の東京湾までドライブしたりもした。CICADAのテラス席でよくわからない豆のディップを食べて、よくわからないねと笑ったこともあった。
秋に入った頃、付き合ってる一般のカップルがするようなスキンシップは一切無くなった。一緒に寝るのに、デートは行くのに、手を繋ぐことすらなくなった。
手繋ごうって言うと、伸ばしてはくれるけど、いつも離すタイミングを見計らっているような、ぎこちない間がそこにはあった。
きっと私の怠慢があったんだろう、見た目も態度も。面と向かって、前の方が細かったと言われたこともあったし、だらしないのはやめてと怒られたこともあった。
そして、それ以前に、きっとおじさんも、私のことがそこまで好きでは無かったんだろう。
私と一緒で、若い(綺麗で女の子らしい)彼女がいる自分が気分が良かったのかもしれない。
でも、その時の私は、相手が自分を受け入れないことが納得できなくて、なんとかしてこっちを向かせようと必死だった。こういうのを依存と言う。
初対面の女を名刺でナンパした勢いはどこに行ったんだ、いつの間に求められる側から求める側に立場が変わってしまったんだろうか。
クリスマスはおじさんが適当に予約してくれた叙々苑だった。外食にこだわったのはわたし。自分を認めてくれない相手に料理を振る舞う気にはなれなかったし、でも会わないと言う選択も悔しくてわがままを言った。
トラジとの違いはわからなかったし、前々から予約されてたわけでは無いその場を楽しむ気分にはなれなかった。
そんなことをしているうちに、年末年始でおじさんは帰省し、連絡は減って、休みの日も会わず、なんとなく空白期間があって、関係は終わった。
梅の季節が終わる頃、別れたいと言った。
泣く予定はなかったのだけど、終わることは何にせよセンチメンタルな気分になって、いつの間にかぽろぽろこぼれた。
もしかしたら引き止めてくれるかもなんて期待もあったけど、おじさんは
またいつでも来ていいんだよ
とだけ言った。
多分、私から言われるのを待ってたんだろう。
自分から言いだしたのに惨めな気分だった。
大抵の別れ際の言葉が嘘であるように、
それから私がおじさんの家に行くこともなかった。
ジェラートピケのルームウェアを持って帰ってこなかったことを悔やんだけど、取りに行くのも、送ってもらうのも、大人の女性の対応としては、いまいちだと思った。
京王井の頭線に乗らなくなった私はまたひとつ、歳をとったし、多分もうあの駅に降りることは無いと思う。
と、ここで綺麗に終わればいいのに、
3年後おじさんから不意に連絡が来た。
久しぶり?元気?
一瞬固まったけど、よく考えれば
もうおじさんの顔はあんまり思い出せない。
きっとおじさんも私の顔は思い出せないんだろうなと思いながら、化粧品コーナーの片隅で、そっと、非表示にした。
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