『韓国が嫌いで』訳者あとがき

先ごろ出版された『韓国が嫌いで』(ころから)について、思うことを翻訳者から発信します。男性作家の書いた隣国のフェミニズム小説から、今私たちにできることを考えてみませんか? フェミニズムはこわくないよ!

『韓国が嫌いで』に掲載された訳者あとがきを公開します。ネタバレにならないように一部変更しています。フェミニズム小説って何? この本、嫌韓本じゃないよね?と、気になるみなさん、まずはこちらからお読みください。

 二〇一五年、SNSを中心に若者の間で流行した言葉がある。〈ヘル朝鮮〉。地獄を意味するヘルと大韓民国ではなく前近代的な朝鮮という言葉を組み合わせた自虐的な言葉は、働いても働けなくても生きづらく、未来にビジョンの持てない若者の閉塞感を反映した言葉だ。ちょうどそのころ韓国で刊行された『韓国が嫌いで』は閉塞感のその先を描いて二〇一五年一番の話題の本となった(出版社は『1982年生まれ、キム・ジヨン』と同じ民音社で、「今日の若い作家」シリーズの一作というのも同じ)。
 本作が初めての日本語訳となったチャン・ガンミョン(張康明)は一九七五年ソウル生まれ。日刊紙『東亜日報』の社会部で十一年の勤務経験を持つ元新聞記者だ。二〇一一年に『漂白』(未訳。以下同じ)でハンギョレ文学賞を受賞し作家活動を開始した。さかのぼれば学生時代からネット上でSF小説を連載し、兵役中には長編を書いて文学賞に応募していたという。
『熱狂禁止、エヴァロード』(二〇一四年)で秀林文学賞、『コメント部隊』(二〇一五年)で済州四・三平和賞、今日の作家賞を『大晦日、またはあなたが世界を記憶する方式』(二〇一五年)で文学トンネ作家賞を受賞した。デビュー以来、単行本だけでも一六冊が発売されているが、取材力をいかした社会派の労働小説からSF恋愛小説まで内容も多岐にわたり、筆が早く多作で知られる。
 精力的な創作の傍ら、現在はケーブルテレビ番組『本をお読みします』『外界通信』に出演し、さらにインターネット放送とポッドキャストではシンガー・ソングライターのヨジョとブックトーク番組を配信するなどマルチに活躍している。ちなみにヨジョは『人間失格』の主人公、大庭葉蔵から名付けたことで知られ、現在は済州島に本屋を構える大の文学ファンだ。

『韓国が嫌いで』というタイトルは、韓国の書店に並んでいても十分に挑発的だ。もちろん特定の民族を差別・排外するようなヘイト本ではない。韓国社会を痛烈に批判しているのだが、だからといって日本スゴイ! とはならない。主人公であるケナの、友人に話しかけるようなフランクで辛辣なおしゃべりを読んでいるうちに、私は自分の友人と話しているような気持になった。よその国のこととは思えなかった。さすがに日本ではどの家でもキムチを漬けるわけではないし、恋人を軍隊に送ったこともない。しかしケナが聞かせてくれる数々のエピソード、鎖骨の折れそうな満員電車、下ネタで盛り上がるセクハラ上司、低賃金で働く非正規雇用者、働く女性への無理解、白人コンプレックスと表裏のアジア人蔑視、そして何といっても気持ちに余裕がなく笑顔のない人たちのいる風景は、日本と全く変わらない。
 韓国では都会暮らしに疲れた若い人たちを中心に海外や済州島に行って一か月だけのんびり暮らすというひと月暮らしが流行中だ。それだけストレス社会だということでもある。〈ヘル朝鮮〉の背景としてOECD加盟国中で最も高い韓国の自殺率が話題にのぼることがあるが、日本の自殺率も第三位と決して低くはない。男も女も生きづらく、そして女性のほうがもっと生きづらいという状況を女性主人公に語らせることで、この作品はフェミニズム小説として読むこともできるだろう。
 スニーカーで働いていて本社社員にケチをつけられるくだりは #KuToo を思い出す。この場合はどちらも女性で白人の本社社員と店舗採用の外国人労働者だが、いつでも抑圧は権力の高い方から低い方へと加えられる。そして多くの場合、女性は抑圧される側にいる。実際にこの『韓国が嫌いで』を読んでから著者が男性だと知って驚いたというレビューをいくつも見ることができる。
 占いによればケナは桃花殺(ドファサル)女なので、さまざまな男性と付き合っては別れる。まず一行目で「礼儀正しくて、偉そうなところがなくて、目標がはっきりしていて、優しくて、責任感があって、社会に対して自分がどうやって貢献できるかなんていつも考えている」恋人のジミョンを捨てる。自分のことを一途に思ってくれるジミョンを選べば、経済的に安定するのはわかっている。しかし、ジミョンがどんなにいい人でもケナとジミョンは決して対等な関係にはなれない。「なあ、僕のこと好きなんだろ?僕を愛してるならどこにも行かないで、僕のそばに、韓国にいるのはだめか? オーストラリアに行くのがそんなに大事なのか?」/ 「あなただって私のこと好きなんでしょ。私を愛してくれるなら私についてオーストラリアに来るのはだめなの? 記者になるのがそんなに大事なの?」(四六ページ)は、ミラーリングのお手本のような見事な切り返しだ。
 それぞれの男性をふって、自分が縛られていたものを一つずつ蹴飛ばして前に進む。ケナに甘えるだけのソヒョンも、ケナを「キエーナ」と呼んでそのエキゾチックさに夢中の白人のダンも、アップデートされていない古い価値観そのものだ。女性は傷ついて自信を無くした男性のケアをして機嫌をとってあげるために存在するのではないし、ましてやアジアの女性が白人男性のアクセサリーとしてそこにいるわけではない。
 しかしインドネシア人の富豪の息子、リッキーのプロポーズを断ったことで、自分の中にも西洋的価値観が残っていることに気づく。また作品の中では何度か、韓国に来た移住者たちが差別されていることを示唆する部分もある。自分たちが加害者にもなりうることをちらりと書き表すのは現代の韓国文学らしい。

 物語の中でケナは何度か立ち止まり、自分の考えを言葉で整理する。後半では彼女なりの幸福論が語られる。住居問題が何度も登場して下宿を営んでは手痛い失敗をしているが、経済的な成功を収めて大邸宅にすむのはケナらしくない。彼女の考えた自分の好きなもの、ケナの求める幸せは実にささやかなものだ。そして、その幸せはパートナーによってもたらされるのでも、社会の価値観に合わせて評価してもらうものでもない。幸せも自分の人生も国籍も、自分で選んで切り開いていいよというメッセージは、競争をするにも金がかかり、逆転のチャンスなどないに等しい超格差社会へ疑問を投げかける。

 著者のチャン・ガンミョンはテレビのインタビューで「あなたも韓国が嫌いですか」と問われ、自分は韓国が嫌いだと言ってはいけない既得権側の人間だと答えている。作品発表時に四十歳だった彼は、社会が〈ヘル朝鮮〉になっていく過程で、自分たちが何をしていたのか、〈ヘル朝鮮〉にしてしまった責任を認めるのが礼儀だともいう。この本を読み終わった人には「韓国が嫌い」、では、どうしようかと考えてみてほしいそうだ。ケナは、最初は「韓国が嫌いで」出ていくが、二度目には自分が幸せになるために出ていく。逃避する人生よりも、好きで何かをする方が何倍も健康的な生き方だとチャン・ガンミョンは語る。
 本作では留学生としてオーストラリアに渡ってから永住権、市民権をとるまでの手続きがかなり具体的に語られる。英語を学び、英語の実力に合わせて仕事を変え、ビザのステータスも変わっていく様子がわかる。実際にオーストラリアの市民権を取得した韓国人は二〇一七~二〇一八の年で二〇〇〇人を超え、国籍別にみると七番目に多い(豪州留学クラブHPより。日本は上位十カ国には入っていない)。もちろんオーストラリアが楽園というわけではなく、ケナも差別にあっている。市民権をとるためのテストもある。それでも、ここで語られる仕組みや、国民とは言わず、市民権を得るという言葉だけでも、二〇一九年の息苦しい日本よりはるかにフェアだ。
なお、翻訳に際しては、自身も翻訳家として『私たちにはことばが必要だ』http://tababooks.com/books/watashitachi ほか大切な仕事をしているすんみさんの協力をいただき、大変心強かった。
『韓国が嫌いで』の準備をしながら、よい出版社に出会えたと言われることが何度もあった。挑発的なタイトルを素敵な本にしてくれたころからにお礼を申し上げたい。

『韓国が嫌いで』(チャン・ガンミョン著、吉良佳奈江訳)ころからより発売中。
http://korocolor.com/book/becauseihatekorea.html

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