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今年1番良かった決断は、大学卒業後、定職につかなかったこと

4月1日に同期が就職をする中で、私は違う道を選んだ。「新卒で定職につかない」という決断は、当時の私にとって今までとは種類の違う選択だった。
私は、小学生から大学生に至るまで、いわゆる「真面目」なやつだったと思う。学級委員をやっていたり、朝練や昼練のある部活に所属していたり、特に世の中への反発などは感じず、というか考えもせずただひたすらに先生や親の言うことを疑わずにやっていた。つまり、「レールを外れる」的なことを面白いくらいにしてこなかった。 そんな私が初めて、「レールを外れる」的な行為をしてみたのだ。その1年で感じたことをせっかくなので文章にしたいと思う。


定職につかないと言う選択をするまで

内定の辞退

これは計画されたものではない。かといって自分で選択していないわけでもない。むしろ計画できないほどに、直感的な自分の潜在的欲求として選択したのだと思う。
私は大学四年の3月ごろに、自分の希望する会社への内定が決定した。そこに本来入るものだと思っていて、少し早めに一人暮らしもしていた。冒頭にも述べた通り、大学を卒業して、会社に入って、それなりに生きていくと言うレールぴったりの人生への備えをしていた。実はその手前に、留学や休学、起業や大学院への進学なども検討したが、自分がそれを志すほどの強い意志がないことを確認し、タイミング的にも今である必要がないと思い、全ての選択を考慮した上で選ばなかった。
そんな中である友人に興味を持った。彼の作っているサービスが純粋に面白いと思い、自分がペルソナに近いことから、簡単なインタビューを受けた。あとからそのサービス(?)の形態が「スタートアップ」であることを知ったのだが、そのような意識もないままに、スポットで手伝うことになった。自分が今まで行ってきた知見を活かせると思ったし、このサービスの行末が楽しみだったので、就職するまでの間、貢献したいと思ったのだ。
そこから半年間、気がつけばのめり込んでいた。大学の授業をほとんど取り終えていたし、大学生活自体への満足度はすでに十分あったため、一人暮らしの費用を稼ぐことやサービスを育てていくことなど、仕事にフォーカスした暮らしになった。既存のやり方にとらわれず、目的から逆算して、最速でその道を突っ走るようなやり方が、個人的にはとてもクリエイティブで面白かった。
刺激的な半年ほどの期間を経て、チームでサンフランシスコへ行くことになった。今までもチームメンバーが短期で派遣プログラムに参加することはあったが、チームで長期間行くことは初めてだったし、私にとっては恥ずかしながら初めての海外渡航だった。こうもなってくると、就職についての考えが変わってきた。私は今までストレートで、特に休学も留年もすることなく生きてきたが、ちょっとくらい、好奇心にフルベット期間を過ごしても良いのではないかと感じたのだ。現に自分の周りの半数以上は、手段はさまざまであるが、そのような期間を設けている人が多かった。
サンフランシスコからの帰国日も曖昧であったため、私はついに内定を辞退することを決めた。少なくとも、この1年間はサービスを育てることにフォーカスしようと考えたのだ。渡航する前に、担当者の方とやり取りをし、辞退させていただいた。担当の方は快く話をしてくださり、本当に頭が上がらない。いつか必ず恩返しをさせていただきたい。この時、一人暮らしをしていた家も急いで解約した。

サンフランシスコでの経験

いざ渡航をした。私は想像できないことが多すぎたので、「サンフランシスコに、自分のような若造が行って、生きて帰ってこれるかわからない」と、よくわからない覚悟で望んでいたと思う。しかし着いてからは、予想を良い意味で裏切られたのだ。むしろ、日本よりも穏やかな環境で、集中できるための状態が整っていた。これに関しても、チームメンバーや当時協力してくださった方に頭が上がらない。いつか必ず恩返しをさせていただきたい。
チームがサンフランシスコに渡航した目的は、一つ大きなイベントがあったからだ。私たちはそれに向けて毎日朝から晩まで働いていた。時には、永遠に議論をすることもあった。そんな日々を経て、イベントを迎えた。本当にいろいろなことがあったが、なんとか終えることができた。この辺りは本トピックとズレるので細部を割愛する。イベントをやり切ったことでの自信はついたものの、自分の未熟さを痛感する部分がかなり大きかった。
イベント後、自分たちのワークを行うのはもちろん、現地のスタートアップの方や企業の方とお話しすることで大きな刺激を受けた。私は、グローバルでの経験が豊富なチームメンバーの中で、唯一実体験がなかったため、話を聞くだけでは腑に落ちなかったようなことが、するすると体に入ってきた。そもそもの仕組みが違う。その仕組みにカルチャライズされた人が死ぬ気でやっている。あの空気感は今でも鮮明に覚えている。

最終決断

目的であるイベントが終わり、現地での体験を踏まえ、私はいろいろな考えを巡らせた。当時は、考えを巡らせるにしても、思考を処理しきれなくて友人に電話しながら謎の涙を流していた。
私がこの1年・この数ヶ月で感じたことは自分の人生に対する「覚悟」の足りなさだったと思う。99%が死ぬと言われるスタートアップの世界の中で、ずるずるとのめり込んでいった私には「覚悟」が圧倒的に欠けていた。どれだけハードワークができても、「覚悟」によって伸びる角度が大きく変わってくることを痛感した。これからどう生きるにしても、気がついてしまったからには、どうにかしたいと思ってしまう性分である。どうしたら、それを確立できる人生になるかを考えた。その結果、このチームに長くいることは適切ではないと感じた。これに関してもいろいろな意図があるが、一番は、誰かの意見に賛同するよりも、自分でリスクを背負い切ることをしたいと思ったことにある。そのため引き継ぎの処理などをした上で、サンフランシスコの家を出る決意をした。この時の自分の意思を尊重してくれたメンバーにも本当に感謝している、いつか必ず恩返しをさせていただきたい。

定職につかなかった一年間

本来入社式の日に、アメリカの西海岸で一人

格安航空だったため、日本に帰国するにしてもすぐにできるわけではなく、数日間アメリカに滞在しなければならなかった。(もちろん元の家に飛行機の期日までいることはできたが、チームの所属を外れた自分がいるのは違和感に思いお断りさせていただいた)私はAirbnbで家を探し、住む宿をなんとか見つけ、帰国するまでの間に自分の未来を再度考えようと思った。これはちょうど4/1、同世代が初出勤する日にちだったことを覚えている。
現在、開発しているプロダクトの構想はこの時に考えた。そしてこの期間、前職の先輩や大学の先生にも相談に乗っていただいた。この時期に自分の本心を話せる相手がいたことはほんとうにありがたかった。いつか必ず恩返しをさせていただきたい。プロダクトの構想を考えているうちに、自分がいるべきはサンフランシスコよりもニューヨークだと感じた。貯金はほとんど底を突きかけていたが、日本から改めてアメリカに来る方が手間なので、来月鬼のように働く決意をし、クレジットカードでニューヨーク行きの便と、またしてもAirbnbを抑えた。

作戦を立てる

アメリカでのチームでの経験とソロサバイバルを終え、日本に無事帰国し、1年で達成すべき目標や月次のマイルストーンを設置した。これは自分の構想しているプロダクトに関してもそうだし、それを行う上での健康習慣や、自己理解、生活や開発資金の調達計画も含むものである。
この作業をするときに、大学受験のことを思い出した。当時塾に行くお金がなく、偏差値が30だった模試の結果と睨めっこをした結果、独学での大学受験の作戦を立てていたのだ。毎日15時間くらい勉強をし、計画のFBを各教科の先生に確認しながら進めることで、何とか第一志望の大学に合格した。このときに、自分を一つの物語のキャラクターだと思って、実験するのは結構好きだと感じていた。なので今回のような作戦を立てて、実験するプロセスもワクワクした。
ただ、これらを設計する上でのマクロな社会理解には少し苦労した。それこそ、大学受験のようにある程度の設定がオープンなものは設計がしやすいが、不確実性が高い社会に向けて設計をするのは難しい部分があった。だからこそ、決める部分は決めて、来月にその学びを経て調整すると言うことを繰り返した。

愚直に実行する

先述した通り、私は月次で決めたことをひたすらに行った。何をしたかと言うと本当にそれだけだったが、決めたことをタスクに落として行ったことで、本当に現実が月次で決めた方向に傾いて行ったことに驚いた。これを言葉で表現するには少し難しいのだが、「自分で決めたことだけど、本当にできるかな・・」と疑いつつ、「タスクに落としたらやれそうだ・・」という思いで実行していた。だから、少しずつ現実が変化していって、気がついたら先月とは全く違う自分になっている、と言うようなことに毎回びっくりしていた。
こればかりは、AIの影響は大きいと思う。AIを活用することで、「マジでどうしたら良いかわからない」ということにはならなかったからだ。一つわからないことがあっても、方向性があれば、問いは無数にある。そして問いがあればAIに聞くことができる。そうして少しずつ前に進めた。本当に時代には感謝である。いつか一人間として、必ず恩返しをさせていただきたい。

ひとまず進んだこと

私が1年間の目標として決めていたのは、「プロダクトのMVPを作る」ことと「新卒以上のお金を稼げるようになっておく」ということ。4月からまだ1年は経っていないが両方ほぼほぼ達成する見込みがついている。元々目指していて、そのための行動していたからある種当たり前なのだが、何だか不思議な気分だ。

学んだこと

決めることの重要さ

「決めて」行動すれば、案外できると言うこと、仮にできなかったとしても、前よりはできる状態になっていること。大抵の失敗の理由は、方法や理解すべきルールが間違っている、という部分が大きいと思う。だから、決めたことに対して、方法や理解すべきルールを探す実験を繰り返すことで、それらをしなかったときよりは良い未来になっているのではないだろうか。
そうすると案外、先入観を持ってしまっていたことが全く真実ではなかったり、”大変なことをしなければならないのでは”と何となく遠ざけていたことが、実は全然そうでもなかったり。蓋を開くと、全く違うことが多かったりする。「決めた」ことにより、たくさんのことに気づき、前に進めたような気がする。

順番は人それぞれ

もうひとつ、人生には人ぞれぞれの順番があると考えた。たとえ、同じ職業についていたとしても、それまでのプロセスは人それぞれである。”今”自分の中で、より納得感のあるものを選択することが大切なのではないだろうか。”今”何が心地よいのかは人によって、全く違う。そのあとは、勝手にそれぞれの順番で事が進んでいく。この時に、あまり納得感のない選択を先にしてしまうと、何かしらのバグが起こるのではないかと思う。人間はよくできているなと思う。

来年に向けて

今年を振り返ると、定職につかないと言うことを「決めた」事が結果として、最も最初の良い選択だったと今は感じている。良い順番だった。きっと、私のような人間は、「一度定職についたところからとびだす」ということはできないと思うからだ。
4/1、みんなが初出勤する日に、食パンとピーナツトーストでなんとか飢えを凌いでいたが、何とか生きていられるものだ。

しかしこの文章を書いていて改めて思うものだが、自分は大変で、未熟な人間である。だからこそ、たくさんの恩を返せるように、引き続き自分のなすべきことを精進していきたい。

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