黒い花の屍櫃・20 長編ミステリー
『黒い花の屍櫃・1』はこちらから
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警察へ通報後、千厩警察署での調書作りに五時間半を要した。R・Jから送られた手紙を提出したが、警察は自殺と他殺の両面から捜査するという。久利生の遺体は警察署の霊安室に運ばれていた。検視官が検案した後、司法解剖に回されることになる。
調書作成の間中、桐生は頭のなかで同じ問いを繰り返していた。
――久利生は自ら命を断ち、その身を神に捧げたのか。本当に彼がR・Jだったのか。それならなぜ、『FINDER』に手紙を送ってきたのだろう。自らが悪魔に取り憑かれていることを週刊誌に書かれたかったのか。あるいは、彼のなかの悪魔が彼を死へ追いやったのだろうか。
警察署を出たのは、午後七時過ぎだった。別々に調書作りに協力させられていた北村を見やる。寝不足と空腹でげっそりしているかと思ったが、毅然とした表情で足取りもきびきびとしていた。
「いまから一ノ関駅に向かえば、九時十三分のやまびこに乗れますね」
千厩駅へ向かっているのだと思った。そこから一ノ関まで五十分はかかる。
「きょうのことは、スクープ記事になる」
北村の言葉に、桐生は耳を疑った。
「でも、もう校了時間はとっくに過ぎてますよ。それに誰が記事を書くんですか」
「桐生君が警察に通報してる間に赤石さんに連絡を入れた。現場周辺の写真はメールで送った。記事は赤石さんが書く。徳永瑛人のシャブ中・疑惑と差し替えになる」
「え……せっかく北村さんが書いた記事なのに、いいんですか」
桐生の問いに、北村は眉を上げた。
「最初からわかってたことだよ。もし遺体を発見したら、そっちが右トップに決まってる。俺たちはどこの週刊誌よりも早く久利生君の死を伝えるんだ。新聞やテレビには負けるかもしれないが、こっちにはR・Jの手紙がある。それに、これは他殺かもしれない。俺はそう疑ってる。きみだって、久利生君が自殺したなんて考えてないだろ?」
「彼がR・Jで、長山さんや正木希美さんを殺したなんて信じたくはないけど、でも、もしR・Jがほかにいるなら、どうやって久利生君の居場所を突き止めたんでしょうか。彼のスマホは電源が入ってなかったのに」
「それを調べなきゃならない。今夜はこの辺のホテルに泊まって、明日は舛添夫妻を訪ねよう。とりあえず、腹ごしらえだ」
北村は表情を緩めると、歩道を照らす赤提灯の暖簾をくぐった。
翌二月一日は水曜で本来は公休日だが、朝六時に起床した。自分から起きたのではなく、北村の目覚ましアラームに叩き起こされたのが実情だ。
目覚めてまず最初にネットでニュースを確認した。
〈きのう昼過ぎ。大籠の廃屋で、二十代の男性と思われる遺体が発見された。千厩警察署は死因の究明に全力を挙げている〉
久利生の氏名は伏せられていてほっとした。他殺と断定して捜査を開始したのではないところを見ると、自殺の線も疑っているのだろう。
三十分足らずで身支度を整え、ビジネスホテルを後にした。千厩にビジネスホテルはなかったため、一関まで戻っていた。
「やっぱり北村さんはタフですね」
桐生は好き勝手に広がったくせ毛を両手で押さえつけた。
「学生時代からショートスリーパーなんだ。四時間くらい眠ると、夢のなかで何かに追われ始めるんだよ。巨大なテラノザウルスが街を踏み潰しながらやってくるとか、見えない敵から逃げるためにビルから飛び降りたり。最近は締め切りが近づいてきてパソコンに向かってると水が押し寄せてきて、溺れかけながらまだ原稿を書いてたな。息苦しくなって、目が覚めると救われる」
北村は腕を伸ばし、気持ちよさそうに深呼吸した。コンビニでカップのホットコーヒーを二つ買い、一つを桐生にくれた。
「俺はさ、いまの時代に生まれてよかったと思うことが二つあるんだ」
「エネルギー問題とか環境汚染とか、それに少子化と高齢者増加なんかもあって、一昔前なら考えなくてもいい難問が山積みですよ。僕はただがむしゃらに高度成長を目指した時代に憧れるな」
コーヒーがこぼれないようバランスを取りながら、コンビニで買ってきたハードジェルを左手で髪に撫で付ける。『どんな剛毛・くせ毛もウェットに決まる』という謳い文句に心惹かれた。
「安心と安全は何よりも大切だよな。でも、モノを調べるのが格段に便利になったと思わないか。桐生君は若いから、子供の頃からなんでもネットで調べられたかもしれないけど、俺なんかレポート書くのもいちいち図書館に行って調べてたもんな」
北村はスマートフォンを取り出し、タイムズ駐車場へ入っていく。以前璃子と来たのと同じ駐車場だ。北村もカー・シェアを利用しているらしい。
「僕も子供の頃は図書館の百科事典で調べてましたよ。そういえばものすごく時間が掛かってました。辞書引きは苦手だったし、資料も何を選んだらいいかわからなかったな。いまの子供たちはタブレットを学校で支給されるみたいですよね。自分用のスマホを持ってたり」
髪はいい感じに固まってきた。指で触ると、四方八方に跳ねたくせ毛は数十本ずつ結束し、ぱりぱりしている。
「そうなんだよ。だからすぐに必要な情報が得られる。それで調べてみたんだよ。久利生君が自ら望んで幻覚を見ていた可能性はないのかってね」
北村は駐車場の左端に駐められていた青いセダン前で立ち止まった。スマートフォンに何やら打ち込む。電子音が響き、ロックが解除された。
「悪魔は幻覚だってことですか」
「その可能性はあるだろ。っていうか、そうとしか思えない。言ったろ? 俺は悪魔なんて信じてないって。自分から摂取したか誰かに吸わされたかはわからんが、幻覚剤の作用だと思ってる。調べてみると、田舎の道端なんかには栽培禁止のケシが咲いてたりするらしい。それを植物に詳しい五歳の子供が発見して通報したって、ニュースになってたのは割と最近だったな」
北村は車に乗り込んだ。桐生も助手席のドアを開ける。
「たとえ大籠のどこかに違法植物が咲いてたとしても、舛添さんたちは違法だと認識してないかもしれないですよ」
「ああ。だけど、その幻覚を見せる植物は、きっと彼らの身近な場所に咲いていると思うんだ。正木希美さんの実家の付近とか。希美さんのお兄さんに聞けば、実家の場所はわかるだろ」
北村はエンジンをかけた。タッチパネルにナビが表示される。舛添の自宅住所は桐生が入力した。
「もう一つは何ですか。いまの時代に生まれてよかったものって」
「淹れたてのうまいコーヒーがコンビニで買えることだよ。朝一のホットコーヒーと、這いつくばって取材したあとビールのために生きてるんだよ、俺は」
「ずいぶんと安上がりですね」
冗談を言っているのかと思ったが、北村の顔は真剣だった。
午前七時四十分。気仙沼にある舛添夫妻の自宅は、気仙沼駅から通り一本向こうに入った住宅街にあった。道幅は広い。路肩に車を駐め、二人は車から降りた。
「この辺だ。一軒ずつ表札を確かめよう」
北村は右側の家を見ていくので、桐生は左側に立ち並ぶ家の表札を確かめた。どれも二階建ての一軒家で、窓に障子の家が多い。
歩きながら、前回、舛添翔子に会ったときのことを思い返す。
翔子の話では、夫の登輝は正木耕助のことをよく思っていないようだった。妻子持ちだった耕助は、家庭を捨てて希美と一緒になった。その後、生まれた有紗は悪魔に取り憑かれ、あのあげく自殺している。
その上、希美まで亡くなったいま、舛添登輝はどんな気持ちでいるのだろうか。それに耕助は本当に殺されたのか。生きているとしたら、どこにいるのだろう。別れた妻子と一緒にひっそりと暮らしている可能性はあるのだろうか。
「あった。桐生君、こっちだよ」
数メートル先にいた北村が声をあげ、手招きしている。
そばへ駆け寄り、家を見上げた。クリーム色の外壁に赤茶色の瓦屋根の家で、二階の窓は開いている。障子も片側に寄せられ、部屋には明かりが点いている。
「桐生君は舛添翔子さんと一度会っている。きみがチャイムを鳴らしたほうがいい」
言われるままに桐生は玄関横のチャイムを鳴らした。ほどなく男がドアを開けた。五十代半ばだろうか。口元に深い皺(しわ)が刻まれている。濃紺のスーツに、黒いコートを羽織っていた。これから出勤するところのようだ。桐生と北村を見比べ、戸惑っている。
「てっきりお隣さんが回覧板を回しにきたと思ったんですが、違ったんですね。どちら様ですか」
「申し遅れました。僕たち、週刊誌『FINDER』の記者です。舛添登輝さんですか」
桐生は名詞を差し出した。男は名刺を受け取り、頷いた。
「家内からあなた方のことは伺っています。私もあなた方に訊きたいことがあります。でも、これから会社へ行かなくてはならないんですが……」
「駅まで一緒に歩きながら話しましょう」
北村が笑みを浮かべて促すと、舛添も同意した。いったん玄関のなかへ戻り、ショルダー鞄を肩にかけて出てきた。A4サイズのファィルが楽に出し入れできる大きさで、ペットボトルが入るくらいのポケットがついている。ドアに鍵を掛け、鞄のポケットにキーホルダーを入れた。
「二階の窓は、閉めていかなくていいんですか」
桐生が窓に視線を向けると、舛添は「家内がいるんで、大丈夫です」と答え、歩き出した。
「早速ですが、舛添さんが我々に訊きたいことというのは、妹さんのことでしょうか」
北村が口火を切る。桐生は北村と舛添が並んで歩く一、二歩後ろを従いていった。周囲には木が植えられ家が多く、落葉した枝が朝日に向かって伸びている。空気は冷たく澄んでいた。赤いマフラーを口元まで巻きつけた学生が、桐生たちの横を走り抜けてく。
「……希美は、亡くなったんでしょうか」
舛添は顔を上げ、北村に視線を向けた。
「先週、希美さんの自宅の庭で見つかった骨は、まだ誰のものかわかっていません。警察は正式に身元を断定していません」
「でも、希美なんでしょ? 少なくともあなた方はそう思ってる。だから、わざわざ東京から私のところまでやって来たんじゃありませんか」
舛添は立ち止まった。唇を引き結んでいる。
北村は何と答えるつもりだろう。R・Jから送られた手紙には、あの遺骨は正木希美のものだと書かれている。そのことは明日発売の『FINDER』にも掲載される。本誌を読めば、桐生たちがどう考えているのかは明らかだ。
「われわれがこちらへ伺ったのは、先週の事件とは別の件です。きのう、大籠で男性の遺体が発見されたニュースはご存知ですか」
北村の言葉を聞いて、舛添はまた歩き始めた。
「……亡くなった方は、まだ若いようですね。じゃあ、きのうの事件を調べにいらしたんですか」
「彼を発見したのは、我々なんです。この青年は、希美さんが参加していたオカルト同好会のメンバーでした」
「彼はそのオカルト集団に殺されたんですか」
「わかりません。青年はオカルト集団の儀式で、悪魔に取り憑かれたと言われていました」
「……希美の娘の有紗も、悪魔に取り憑かれて亡くなりました。きのう亡くなった青年も悪魔に殺されたということですか」
「私は、彼が亡くなったのは悪魔の仕業ではないと思っています。舛添さんは、本当に有紗ちゃんが悪魔を呼びたして耕助さんを殺したんだと思っていますか」
「それは……どこかで否定している自分がいることは否定しません。耕助の遺体は見つかってないんです。希美と有紗を置いて、元の妻子のところに戻ったのかもしれないと考えたことは何度かあります」
「耕助さんの別れた妻子について、何か知っていることはありますか。住んでいる場所とか、お子さんはいつくだとか」
北村の問いに、舛添は力なく首を振った。
角を曲がると、バス通りに出た。前方に水色の屋根の建物が見える。平屋造りで横に長い。気仙沼駅だ。桐生は二人のやり取りに注意を払いながら危惧していた。駅は目前だ。北村は幻覚を見せる植物のことを聞き出せるのだろうか。
「舛添さんのご両親は、いまどこに住んでおられますか」
北村はまるで何かを思い出したかのような調子で訊いた。
「昔からずっと大籠の集落にいます。父は三年前に他界し、母が一人で暮らしています」
「集落ではどうやって連絡を取り合うんですか。スマホは繋がるんでしょうか」
「場所によっては繋がりますよ。通信速度は遅いかもしれませんけどね。それに、各集落には赤電話が設置されているんです。そこへ架けると、拡声器で呼び出してもらえます」
公衆電話自体が減少しているという記事は知っていた。運営するNTT東日本と西日本は赤字だが、携帯電話を持たないなど一定の利用者がいるため、すべて撤去することはできないとされている。そのため、一電話番号あたり月額二円のユニバーサルサービス料が運営費に当てられているようだ。
「でもいろいろと不便だし、気仙沼で一緒に暮らそうと提案したんですが、断られました。まだ足腰はぴんぴんしてるし、希美も近所にいるからって。でも、希美の消息もわからないし、母に何かあったらと思うと気が気じゃありません」
「よかったら、我々がお母さんの様子を見てきてお知らせしますよ。希美さんの自宅からどう行けばいいか教えてください。そのときに何か差し入れもしたいから、お母さんの好物も教えてもらえますか」
北村の申し出に、舛添は安堵の息を漏らした。
つづく