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黒い花の屍櫃(かろうど) ・1

 第一章 苛虐かぎゃく

     1

 夢を持っているといえば、みんな応援してくれた。小学校の卒業アルバムを見返すと「宇宙飛行士になる」と書いてあったが、誰も非難なんてしなかった。

 クラスで一番できる男子は「公務員になる」と書いていて、つまらないと思った。職業についていっているのではない。まだ小学生なのに、すでに自分の適性を見極め、着実に歩み始めていることがおもしろくない。

 知らない世界を旅してみたかった。想像を絶する景色を見て、味わったことのない感動に浸りたい。誰も見たことのない新しい何かを探しに行きたかった。

 宇宙への憧れがあったのは、SF漫画の影響だと思う。悪に脅かされている地球を救うため、主人公の青年は宇宙の彼方にある惑星へと旅に出る。その惑星には地球を救うことができる魔法のような科学がある。

 正義の味方になりたかったのか。正義とはなんだろう。愛する人を守るのが正義だと、子供の頃なら答えただろう。だが、いまは答えられない。

 ――お前は人様に迷惑をかけて生きている。畳の上では死ねないと、わかっているのか。

 三日前、父に言われた言葉が耳に残っていた。ステージ3の大腸癌だと診断され、これから手術を受ける父は、病院のベッドに横たわっていた。頬は痩せ、眼窩がんかは落ち窪んでいる。子供の頃は見上げていたはずの父は、小さくなっていた。手術は成功したと、父方の叔母から聞いていたが、まだ見舞いには行ってない。

 スクープを取るためならどんなことでもする。読者が求めていることが自分たちの求めるものだ。その思いは週刊誌『FINDERファインダー』に配属されてから今まで変わらない。先週出した大スクープで『FINDER』は六十万部売れ、完売となった。雑誌が売れない時代でも、スクープがあれば結果が出せることを実証していた。

 記事を書いたのは六つ年上の北村きたむらで、桐生きりゅうはアシを務めた。北村は一年近い取材の末、人気ロックバンド『シザーズ』のボーカル・徳永瑛人とくながえいとがシャブ中であることを暴いていた。

 休みなく働く北村は特派記者だった。契約は一年で、毎年契約更新する。
『FINDER』は三つの班で構成されており、「特集班」には桐生を含めた十五人の社員と二十五人の特派記者が所属していた。政治・経済から芸能・皇族などニュース全般を扱う。

 巻頭のカラー写真などは「グラビア班」が撮り、コラムや小説は「セクション班」が担当する。

 彼らはそれぞれに得意分野を持っていた。北村は顔が広く、芸能ネタが得意だった。彼らはいつも単独で取材に出ていて、いま何を取材しているのかを知っているのはデスクと編集長だけだ。そうやって独自に入手したネタがスクープとなる。

 毎週木曜日に行われるデスク会議には特派記者たちも出席し、各々ネタを出す。右トップと左トップの多くは彼らのネタが飾った。そんな精鋭部隊のなかで北村はエースだった。

〈景色が変わるんだよ。自分以外、まだ誰も知らない真実ってのは、魔法の薬みたいなもんなんだ。この真実を世の中の人に知らせることができたら、ほかには何もいらないって思える〉

 徹夜明けのコーヒーを飲みながら、北村は笑っていた。スクープ連発する男の言葉に背筋がゾクゾクしたのを覚えている。

『FINDER』ではネタを持っている者が主導権を握る。新米でも確かなネタさえあれば誌面に書かせてもらえる。
 いつも誰かのアシばかりでまだカキを任されたことがない桐生は、いつかスクープを掴む日を夢見ていた。それは宇宙飛行士を夢見ていたころよりはるかに実現可能な夢だと思っていた。

 桐生は目の前に置かれた箱に意識を戻した。透明なアクリル樹脂の箱で、金色の文字が刻まれている。

   死は眠る。黒い花のなかで。

 文字の両端には翼の生えた獣が二頭、互いに睨み合うように設置されていた。箱の大きさは大型の水槽くらいで、なかに黒い花が敷き詰められている。黒い花の箱は、十五畳ほどの応接間の入口に飾られていた。

「黒い花なんて、珍しいですね。薔薇ですか」

 箱に顔を近づけた。波打つようにウェーブした花弁はなびらは先が尖り、幾重にも重なっている。
 桐生の横で、カメラマンの武藤むとうがシャッターを切った。二人はオカルト同好会『sorbetソルベ』の取材に来ていた。ここは主宰者・梶木憲一かじきけんいちの自宅である。取材のきっかけは、編集部に届いた一通の手紙だった。


  『FINDER編集部御中』

 毎週『FINDER』を楽しみに拝読しております。このたび、編集部の皆様に確かめていただきたいことがあり、お手紙を送ることにいたしました。
 オカルト同好会『sorbet』をご存知でしょうか。同好会と聞き、オカルト愛好家が集まって談義に花を咲かせているなどと思わないでください。彼らが毎月行っている儀式は、現代を生きる私たちの心をいやすとうたっておりますが、あれはまったくのインチキです。
 主宰者の梶木憲一は会員に高額な贖宥状しょくゆうじょうを販売し、私腹を肥やしています。もしかすると贖宥状以外にもっと高価なガラクタを売り付けたり、寄付を要求している可能性もあります。どうか梶木の悪を暴き、記事にしてください。そうすれば、だまされている会員たちを救うことができるでしょう。
 今後も『FINDER』を応援しております。記事が出る日を楽しみにしています。

              R・Jリズム・アンド・ジャーナル

 手紙はワープロ文字でA4の紙に印刷されていた。梶木の自宅住所が記された地図が同封されていたが、差出人の本名も住所も記載されていなかった。ネットで調べて取材を申し込むと応じると返事があり、梶木の自宅前でインターホンを押したのがほんの十分ほど前だった。

「その薔薇は造花です。その作品を作った方は去年美大を卒業したばかりなんです。素敵な作品ですよね」

 二人をここまで案内した女性は、笑顔を浮かべた。白いモヘアのアンサンブルに黒のタイトスカートを合わせている。黒髪はロングのストレートで、パールのピアスがよく似合っていた。落ち着いた雰囲気だが、ぴんと張った頬は二十代だろう。いや、まだ十代かもしれない。

「きみ、学生さん?」

「もう社会人です。ずっと学生のままでいられたらよかったんですけど。梶木はもうじき参ります。飲み物をお持ちしますね。コーヒーと紅茶なら、どちらがいいですか」

「じゃあ、コーヒーで」

 二人が同時に答えると、モヘアの女性は微笑みを湛(たた)えたまま応接間を出ていった。

「四十も越えると体がきしむんだ。しっかり寝たつもりでも眠りは浅くなるしな。この前なんか璃子りこちゃんに注意されたよ。徹夜はやめたほうがいいって。前日は九時間も寝たのに、よっぽど俺の顔色が悪かったんだろな」

 武藤はソファーに座り、肩をすくめた。武藤は桐生より十六歳上の四十五歳だが、本人が思っているよりずっと若くみえる。長身のモデル体型で、きょうも何気ない黒のタートルネックがクールにきまっていた。離婚歴があり独身だが、その気になればあと二回は結婚できると桐生は思っていた。

「青春って、十代とか二十代のある時期を指すんじゃなくて、心の様相をいうんだって。この前、たまたま書店で見つけた詩集に書いてあったよ。『青春』って詩、武藤さんは知ってた?」

 桐生はソファーには座らず、壁の右側面を埋め尽くす書棚を眺めていた。ジョン・ダンの『魔獣意識と神秘意識』の隣に、ボードレールの『悪の華』やエミリー・ディキンスンの詩集が並んでいる。

「幻の詩人サムエル・ウルマンだな。ココ・シャネルによれば、五十歳を越えると自分の価値が顔に現れるらしいぜ」

 武藤の言葉を聞き、桐生は『FINDER』編集長・鳥居(とりい)の顔を思い浮かべた。五十代半ばを過ぎており、愛用のマグカップには『万事塞翁が馬』と記されている。敗北は誰の人生にもかならず訪れるが、寛容と自省で臨めば窮地を脱して成長できる。鳥居はよくそう言って桐生を励ましていた。その顔を一字にたとえるなら『厳』だ。あるいは『難』か。

 書棚には詩集のほかに魔術や占星術、タロットについて書かれた本が、ぎっしりと並んでいた。そのうちの一冊に目を留める。大型の写真集で、『シャーマン』と題されている。本を抜き取り、武藤に視線を向けた。

「武藤さん、『シャーマン』って知ってる?」

 デジタルカメラの画像を確かめていた武藤は顔を上げ、首をかしげた。

「それって呪術師だよな?」

「それは、ある意味では当たっていますが、正確にはもっと多くの役割を担っています」

 ドアが開き、長身の男が武藤に答えた。髪は茶色で肩まで伸ばし、毛先が軽くウェーブしている。歳は桐生と同じかいくつか上だろう。蒼白く優雅な顔立ちだが、眼光は鋭い。

「お二人の会話を立ち聞きしていたわけではないんです。つい聞こえてしまったので。申し遅れました。『sorbet』を主宰しております梶木です」

 梶木は痩身で、黒いスーツに臙脂えんじ色のサテンシャッを合わせている。
 まるでロックスターのようなオーラに桐生は気圧された。名刺を差し出して挨拶し、勝手に本を抜き出したことを詫びると、梶木は微笑んだ。

「自由に見ていただいて結構です。『sorbet』では、シャーマニズムの儀式を探求しているんです」

 梶木は二人にソファーを勧め、桐生の向かいに座った。桐生が手にしている本の帯には『シャーマンとは何者なのか』と書かれている。表紙はモノクロで、男がどこか遠くを見詰めていた。目を引くのは、男が頭に被っているものだ。それは羽が飾られた帽子ではない。まるで鷲が男の頭に留まり、大きな翼を休めているように見える。

「シャーマンとは、どんな役割を担った人たちのことをいうんでしょうか」

「トゥングース語で『シャーマン』とは、忘我恍惚トランス状態で自身の肉体から離れ、天空界から地上界まで自在に旅する人のことを意味します。呪術師でもあり、呪医でもあります。でも、それ以上に魂を導く者なんです。」

 梶木が言葉を切ったタイミングで、モヘアの女性が戻ってきた。トレーに載ったカップから、コーヒーの芳醇な香りが立ち上っている。感じのいい笑顔を浮かべ、すぐに部屋を出ていった。

「では、梶木さんがシャーマンなんですか」

 目前に座る梶木は、非日常的ではある。桐生は手帳を広げ、梶木に視線を向けた。

「私は子供の頃から霊感がありました。自分の神秘体験の源泉を、ずっと知りたいと思っていたんです。それで大学を卒業したあと、南東アラスカの港町シトカを訪ねました。そこでクリンギット族の男に出会いました。彼は入巫(にゅうふ)儀式を終えたばかりの若いシャーマンでした。彼のもとで五年ほど暮らし、イニシエーションとトランス技法を学びました。彼から学んだことを、『sorbet』の供犠に活用しているんですよ」

「クリンギット族とは、いったいどんな部族なんですか。シトカがどんな街なのかも教えていただけるとありがたいな」

 聞き慣れない街の部族のシャーマンを思い浮かべようとして、桐生は前髪を掻き上げた。天然パーマの猫っ毛はかなり伸びていたが、散髪に行くのを先伸ばしていた。短くするとボサボサに広がって収拾がつかなくなる。長髪にしてゴムで結うのが一番楽だが、そんな髪型で出社した日には、鳥居にバリカンで坊主にされるのではないかと恐れていた。

「シトカは、車で五分もすれば走り抜けてしまうような小さな町です。一八〇四年から六十三年は、ロシア領アラスカの首都として栄えました。クリンギット族は、トーテムポールの文化を築いたインディアンです。シベリアおよび中央アジアには、ほかにもチュクチ族、トゥングース族、サモエード族、トルコ・タタール族など、いくつもの重要な民群のなかでシャーマニズムが世襲されているんです」

 梶木はふっと息を吐き、カップを掴んだ。くつろいだ表情でブラックのまますすり、目を細めた。武藤が梶木にカメラを向け、シャッターを切った。

「そこで行われる儀式では、具体的にどういったことをするのですか」

「一つ断っておきますと、シャーマニズムは宗教ではありません。精霊と交信して魂を治療するというもので、ほかの宗教と共存できます。イニシエーションに覚醒作用のある植物を使うシャーマンもいると聞きますが、『sorbet』ではパワー・アニマルを使います。動物の形をした守護霊で、人に力や能力、助言を与えるんです」

 梶木は桐生が借りた本に視線を移し、「儀式で動物の被り物をするのも、その動物のパワーを得るためです」と付け加えた。

 桐生は本を開き、写真を見た。肩から下は人間だが、首から上は牡鹿になった男が崖に佇んでいる。牡鹿には二本の角があり、枝分かれしながら天を突き上げるように伸びていた。

「この写真、すごい迫力ですね。シャーマニズムが宗教じゃないなら、供犠ではどんなことをするんですか」

 桐生は視界を遮るくしゃくしゃの前髪を払いのけた。梶木が行う供犠を見てみたい。桐生の心の声を読んだかのように梶木は前に乗り出した。

「心を癒すんですよ。森の木漏れ日のなかで柔らかな風を感じると気持ちいいでしょう? 精霊との交信を通じて、くよくよ悩んでいたことが嘘のように消えていくんです」

「それは供犠を体験することで得られるものだと思いますが、会員に何か免罪符などを配ったりもしてるんでしょうか。ご利益のある壺や置き物の類いとか」

 手紙に書かれていた贖宥状が売られているなら、その現物を見せてもらう必要がある。梶木が否定するなら、次は誰かに同好会の会員になってもらおうなどと考えていると、梶木はあっさり頷いた。

「免罪符と言っていいかわかりませんが、ヒーリング・パワーを封じ込めたものならあります。あなた方は、もうご覧になってますよ」

 梶木は入口に飾られた樹脂の箱を左手で示した。

「あの箱ってけっこう大きいですよね。それに蓋の上の彫刻はかなり手が込んでるから、ものすごく高額ではありませんか」

 桐生は武藤と顔を見合わせ、厳しく追求しなければならないと身構えた。

「あの箱は、『黒い花の屍櫃かろうど』といいます」

「カロウド……ですか。どんな意味なんでしょうか」

 桐生が首を傾げると、梶木も頷いた。

「熟語なんですよ。『屍』に棺の意味がある『櫃』を合わせて、屍櫃と読むそうです。カロウトともいうみたいですね。屍櫃が欲しいと言われる方には三十万でお売りしていますが、黒い花だけなら一輪五千円でお求めいただけます。すべて作家が一人で制作しているのでお安いと思います。彼が作った花に私が祈りを捧げ、ヒーリング・パワーを与えています」

 箱や黒い花を美術品と捉えるなら、梶木のいう値段は不当に高いともいえない。制作にかかる時間と材料費を考えれば、むしろ破格の安さだろう。屍櫃の制作者に会って、値段を確かめたい。本当はゼロ一つ多いのではないか。

「その作家さんにお会いして、ほかの作品も見せていただくことは可能でしょうか」

 話の流れで作家に引き合わせてもらえるのでは、と期待した。

「ええ、彼はうちの会員でもあるので、快く会ってくれると思いますよ。ただ、彼のことであなた方も知っておいたほうがいいことがあります。それを知ったら、会うことを躊躇ためらうかもしれません」

 梶木は桐生と武藤を交互に見つめ、言い淀んだ。

「教えてください。何か重大な秘密なら、プライバシーには充分に配慮します」

 桐生は前に乗り出し、先を促した。梶木の表情には翳りが差していたが、意を決したように口を開いた。

「儀式では、こちらが意図しない霊を呼び寄せてしまうことがあるんです。とくにまだ若く、感受性が鋭い方は気をつけないといけません」

「それは、悪霊という意味ですか」

 桐生の問いに、梶木はゆっくりと頷いた。

「その黒い花のオブジェを作ってくれた青年です。彼は、悪霊に取り憑かれてしまったんです」

 梶木の言葉に、桐生はしばらく返答できなかった。


           つづく

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