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黒い花の屍櫃(かろうど)・15

     『黒い花の屍櫃・1』はこちらから 

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 翌土曜日。正木希美の義姉である舛添翔子ますぞえしょうこから『FINDER』に連絡が入り、桐生と璃子は翔子が住む気仙沼けせんぬまへ向かった。東京駅から新函館行はやぶさ十九号に乗り、一ノ関に着いたのは正午過ぎだった。

 気仙沼まで大船渡線おおふなとせんに乗り換えるものだと思っていたが、璃子は構内を突っ切って、足速に駅から出ていく。スマートフォンを取り出し、ロータリーを横目に通りを渡る。

「理子さん、乗換口はそっちじゃないけど」

 新幹線のなかでうたた寝していた桐生は、璃子が気仙沼まで電車で行くと思っていた。

「ここから大船渡線に乗り換えるより、車で向かったほうが早く着くわ。私、カー・シェアの契約をしてるから、全国各地にあるシェア会社の車を一時間七百八十円でレンタルできるのよ」

「それ、便利そうだけど、つねに違う車を運転するってことだよね」

「ときどき同じ車に当たることもあるよ。私、車の運転が大好きだから、色々な車種を運転するのは楽しいんだよね」

 璃子は通り沿いにあるタイムズ駐車場まで来ると、辺りを見回した。中央レーンに赤いワゴン車がめられている。カードをリヤガラスにかざすと、十秒ほどでドアロックが解除された。

「一時間で着くはず。舛添翔子さんとは、駅近くのレストランで待ち合わせてるわ。行きましょう」

 璃子は颯爽と運転席に乗り込み、収納ボックスから鍵を取り出した。桐生が助手席に乗り込むとエンジンをかけ、慣れた手つきで車のオーディオとスマートフォンをブルートゥースで繋いだ。アップテンポの洋楽が流れ始め、赤いワゴン車は軽やかに走り出した。

 
「遠いところ、よくお越しくださいました。四時間ほどかかりましたでしょう」

 舛添翔子は骨格のしっかりした女性だった。歳は五十代半ばくらいだろうか。落ち着いた雰囲気で、一つに結った黒髪には白いものが交じっていた。
「一関から車で来たので、三時間ほどです。道も空いてましたし」

 璃子は紙のおしぼりで手を拭いながら微笑んだ。桐生と璃子は、気仙沼駅から五分ほどの距離にあるホテルのレストランで舛添翔子と向かい合っていた。

「そうでしたか」

 舛添翔子は申し訳なさそう視線を落とし、運ばれてきたコーヒーカップを見詰めている。

「希美さんとは、いつから連絡が途絶えていたんですか」

 桐生は手帳を広げ、舛添翔子を見た。後ろの壁には額装された写真が飾られている。小さな白い花が放射線状に広がり、白い花瓶に活けられている。背景は黒で、花と花瓶はまるで光で作られているかのように際立って見えた。

「うちは、希美さんの自宅とは車で十五分ほどの距離で、以前はよく行き来してました。あの家は、耕助さんが土地を買って建てたものです。美術大学で彫刻の勉強をしたとかで、作品を作って売るのが夢だったと聞いています」

 翔子はカップにミルクを注ぎ、ソーサーに添えられていたスティックシュガーを入れた。

「あなたのご主人というのは、希美さんのお兄さんですね。お兄さんのお名前は……」

「舛添登輝とうきといいます。希美さんとは三つ歳が離れています」
 翔子はティースプーンでカップを掻き混ぜ、一口啜った。桐生は手帳を翔子に向け、希美の兄の名前を漢字で書いてもらった。

「主人は大学に通うために上京し、そこで私たちは知り合いました。卒業後は東京で就職したんですが、五年ほどで転職し、いまは気仙沼にある水産加工会社で働いています」

「翔子さんは東京の方なんですね。ご結婚を機に、こちらに移られたんですか」

 璃子の問いに、翔子は頷いた。話しているうちに気がほぐれてきたのか、顔を上げた。

「大籠には、いまも神様を信じている人がたくさんいます。主人の両親もそうです。耕助さんの彫ったマリア様とキリストの像には、慈愛があふれていると涙を流していました。それで、義父母は希美さんと耕助さんの結婚を許したんです。でも、それが間違いだったんです」

 舛添翔子は顔を上げたまま、桐生と璃子の反応を見ている。

「それは、耕助さんが失踪したからですか。その後、娘の有紗ちゃんが悪魔に取り憑かれ、悪魔祓いをしたと聞いています。その三日後に、有紗ちゃんは自殺した。この一連の不幸の発端が、耕助さんだったということですか」

 事故で利き手を負傷し、思うように彫刻が彫(ほ)れなくなったのは不幸だが、怪我を負うまでは木彫り店にも貢献していた。久利生は耕助の木彫りを見て、彫刻の道に入った。誰かに影響を与えられる作品を作っていたのは、才能があったからだ。希美と耕助の出会いが間違いだったというのは、少々言い過ぎではないか。

「二人の結婚は間違っていました。耕助さんには家庭があったんです。誰も、他人の家庭を壊していいはずがありません。私たちはずっと、耕助さんに妻子があったことを知らなかったんです」

「耕助さんに妻子があったことは、いつ知ったんですか」

「耕助さんが失踪したあとでしたから、十年前になります。有紗ちゃんがあんなことになって、希美さんは打ちひしがれていました。なんて言って慰めたらいいか、私たちも途方に暮れていたんです。そしたら、希美さんが呟いたんです。バチが当たったって。どういう意味かと問いただしてやっとわかったんです」

 舛添翔子は顔を歪め、カップの持ち手に指をかけた。スティックシュガー一本では足りないのか、苦そうにコーヒーを啜る。

「それから主人と希美さんの関係が悪くなり、行き来もしなくなりました。正月に短い挨拶を交わすくらいでしたが、今年はそれもなくて……。そこへあなた方からメッセージをいただいたんです」

「もしかすると、耕助さんは元の家庭に戻ったとは考えられませんか」
 桐生はメモを取りながら翔子に視線を投げた。

「そのことは私たちも考えました。でも、希美さんは否定してました。自尊心の高い人でしたから、自分が捨てられたかもしれないなんて考えられなかったんでしょうね」

「耕助さんの元の家族の名前はわかりますか。住所とか」

 桐生の問いに、翔子は首を振った。

「希美さんがオカルト同好会に参加していたことは、ご存知でしたか」

 璃子はホットココアを掻き混ぜ、ミルクで描かれたハートが切れ切れになって消えていくのを眺めながら訊いた。

「有紗ちゃんがあんなことになった原因は、悪魔崇拝だったと聞いています。それなのに、どうして希美さんはそんなものに参加していたんでしょうか。私にはとうてい考えられません」

 翔子は眉間に皺(しわ)を寄せ、コーヒーを飲み干した。

 正木耕助には家庭があった。二人はどこで出会ったのだろう。舛添翔子によると、耕助には両親も兄弟もおらず、どんな生い立ちなのかも聞かされていないという。

 舛添登輝から話を直接聞きたかったので、翔子にその旨を伝えてくれるよう頼み、レストランをあとにした。

「希美さんのお兄さんから、連絡来るといいですね」
 ワゴンに乗り込み、璃子はエンジンをかけた。すぐにアップテンポの音楽が鳴り始める。男性ボーカルが寂しげな旋律で〃ホーリーデイ〃と歌っている。

「いくら仲が悪かったといっても、妹の行方がわからないんだ。R・Jが真実を書いているなら殺されてる可能性が高い。事件を解明したいと思うなら、きっと連絡してきてくれるよ」

 シートベルトを締めたところで、車が走り出した。

「ここから大籠は近いのよ」

 璃子はハンドルを握る指先でリズムを刻んでいる。

「翔子さんも車で十五分って言ってたよね。大籠と気仙沼って県は違うけど、距離は隣町って感じなんだね」


「新幹線の予約時間まで、まだ間があるわ。正木さんの近所の方に聞き込みに行ったら、何かわかるかもしれない」

 インストルメントパネルに表示された時刻は午後三時十分だ。正木邸を訪ねた時に、有紗と耕助のことを近隣住民から聞きたいと思っていた。
「よし。せっかくここまで来たんだし、行ってみよう。車の返却時間は大丈夫ですか」

「六時間借りてるから心配無用よ。いくらでも延長できるし」

 璃子は音声案内でナビをセットし、アクセルを踏み込んだ。

 
 白い雲が空を覆っていた。気温が下がっている。桐生と璃子は車から降り、正木邸から五十メートルほどの距離にある民家を訪ねた。だが誰もおらず、さらに一キロ先の家の戸も叩いたが留守だった。

「おめら、うぢに何が用が」

 振り向くと、男が立っていた。カーキ色のオーバーオールに薄手のジャンパーを羽織り、頭に白いタオルを巻いている。

「正木さんのことで、お聞きしたいことがあるんですが」

 桐生が名刺を差し出すと、男は黒く日焼けした顔を歪めた。

「骨が見づがったって聞いでらよ。んだども、まだ希美ぢゃんの骨だって決まったわげじゃねぁーじゃ」

「確かにそうです。最近、あなたは希美さんを見かけましたか」

 慎重に言葉を選ぶ。遺骨の身元が確認できない以上、正木希美が生きている可能性は残されている。

「刑事さんにも訊がれだよ。最近は見がげでねぁんだども、生活のリズムが違うがら、珍しいごどでねぁー。おらは朝五時さ起床して、六時さ畑さえぐ。ひるまに一度帰宅して、夕方にもう一度畑さえぐんだ。その間さ知り合いに会うごどなんて、滅多にねぁよ。でも、去年の十月さ収穫手伝ってもらったよ」

 去年の十月と聞き、桐生は璃子の顔を見合わせた。R・Jの手紙の内容と一致する。

「十年前に悪魔払いが行われたことはご存知ですか。正木さんのお嬢さんが悪霊に取り憑かれていたという話は……」

「ああ、おらもあの悪魔払うって行事は知ってら。おらだげでねぁー。この辺の者はみんな知ってらよ。最初は病院さ入院させだらしい。んだども、あの娘はどんどん具合が悪ぐなってった。そったなときって、神や仏さ祈るべ。希美さんは教会さ行ったんだ。それで、東京がらエクソシストが来だって話だ」

 璃子の問いに男は畳み掛けるように答え、空を見上げた。暗くなり始めている。そろそろ家に入りたいという意思表示のように肩をすくめた。

「その教会というのは、大籠キリシタン公園のなかにあった教会ですか」

「いや、こごがらすぐ近ぐにある教会だ。小せえが、この辺の者は日曜のミサさ通ってらよ。教会の隣さ離れがあって、神父様がいづもいらっしゃるがら、話聞ぎに行ったらいい。えぐんだら、地図書いでけるよ。キリシタン公園がら一ノ関駅さ向がう道はわがるべ?」

「ええ、一ノ関駅へ向かうところです」

 璃子が手帳を差し出すと、男は二本線で道を描き始めた。キリシタン公園から少し行ったところに小さな脇道があるらしい。

「曲がり角のそばに刑場跡がある。円描ぐように大ぎな岩が並んでらがらわがるはずだ。少しえぐど丘がある。そご上っていぐど教会が見えるよ」

 二人は男に礼を言って帰りかけた。男はほっとした様子でポケットから鍵の束を取りだし、ドアの鍵穴に差し込む。男の様子を横目に、桐生は足を止めた。

「あの、最後に一つだけ。正木耕助さんは、生きていると思いますか」

「いや、もう生ぎではおらんさ。あの男は殺されだんだ。やったのは自分の娘さ」

「耕助さんが事故に遭い、右手が思うように動かなくなったことは聞いています。そのせいで酒に溺れ、希美さんの顔には痣ができていたそうですね。耕助さんは、希美さんに殺されたとは考えられませんか」

 希美が耕助を殺した。そんな噂が立っていたと、タクシーの運転手は話していた。

「あの娘は小せえ頃がらちょっと変わってらったんだよ。真冬の寒空さ、一人で庭にしゃがみごんでらごどがあった。何してらのが訊いだら、死んだ鼠さ蛆がわぐの待ってらって言うんだ。あの娘でゃーば父親を殺せる。んだがら、あの娘は悪魔さ取り憑がれだんだよ。おらはそう思ってら」

 男は渋面を作り素早く十字を切ると、家のなかへ入っていった。


      つづく