黒い花の屍櫃(かろうど)・17
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第四章 一粒の砂
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少女は悪魔を呼び、父親を殺した。もしそんなことが可能だったとして、遺体はどこにあるのか。悪魔が正木耕助を殺したのなら、遺体は残されていたのではないか。有紗が遺体を隠した。あるいは遺体を見つけた希美が処理したのか。
――一番いいのは、遺体が見つからないことです。
以前、北村のアシとして東京拘置所に同行したときに、取材対象の男が話した言葉が浮かぶ。男は十歳のときガレージで父親を殺し、遺体をばらばらにして肉片は新聞紙に包んで生ゴミとして捨てたと話し、桐生は背筋に冷たい汗が滴るのを感じた。
父親の行方はわからないまま、法的には死亡したものとみなされている。正木耕助の遺体もばらばらに切断されて遺棄されたのだろうか。
有紗が悪魔の力で父親を殺害したのなら、自殺するまでの半年間、有紗は悪魔とともに暮らしていたことになる。悪魔祓いさえ受けなければ、自殺しなかったとも考えられる。希美が悪魔を拒絶したのなら、なぜその後『sorbet』の会員になったのだろう。考えれば考えるほどわからなくなる。
桐生は梶木に会うため、渋谷の駅ビル内にあるカフェに来ていた。昨夜、赤石から連絡を受けたあと、梶木に電話を入れた。昨夜は繋がらなかったが、今朝になって折り返しの電話をもらい、夕方なら会って話をしてもいいと言われた。指定された店に着いたのがつい五分前だ。
暖色系の間接照明が壁に飾られたレリーフをほのかに照らし、明暗が落ち着いた雰囲気を醸し出している。入口で名前を言うと、奥の個室に案内された。ここの壁にもレリーフが飾られている。セットされたメニュー表には、ビールやワインのほかに色とりどりのカクテルが表示されていた。
「桐生さん、お待たせしてしまって申し訳ありません」
梶木は硬い表情で頭を下げ、桐生の向かいに座った。光沢のあるダークグレーの開襟シャツに黒のダブルジャケットを合わせている。
「警察で事情聴取を受けたそうですね。僕は長山さんを発見したときに、調書作りで五時間拘束されましたよ」
「それはキツいですね。私もかなり絞られましたよ。ワインを一杯だけ付き合っていただけますか。朝から何も食べてないので」
梶木は桐生が開いていたメニュー表に視線を落とし、赤ワインのボトルを指差した。
「いいですね。梶木さんは、よくこのお店に来られるんですか」
「月に一、二回程度です。ここのローストビーフとボロネーゼがおすすめですよ」
梶木はオーダーをとりにきた店員に赤ワインとローストビーフを注文し、桐生に向き直った。
「動物虐待の罰則は五年以下の懲役または五百万円の罰金です。梶木さんは、本当に動物を生贄としていたんですか」
桐生は単刀直入に切り出した。
「使っていたのは鳥の剥製です。儀式は暗がりのなかで恍惚状態になりますから、本物と見間違えた会員が通報したみたいです。ただ、ごくたまに鳩の死骸を見つけることがあって、儀式で供養したことはあります。事件の報道もあって、会員の方々はピリついてます」
梶木はテーブルにセットされていた使い捨てのおしぼりで指を拭った。運ばれてきたワインのグラスを手に取り、桐生のグラスに軽く合わせた。ガラスが触れ合う音がかすかに響く。
「でも、警察署まで任意同行を求められたんですよね。その見間違えた会員は、どなただったのか目星はついているんですか」
桐生はグラスに口をつけ、酸味と苦味が溶け合った液体を味わった。喉を通ったあとに独特の香りが広がっていく。
「久利生君のことがあってから、多くの会員が敏感になっています。
『sorbet』の儀式にも不安を持っているのかもしれません。正木希美さんのことはまだ報じられていませんが、大籠で見つかった骨が希美さんだとわかったら大変なことになると思います」
梶木はローストビーフを小皿に取り分け、桐生に差し出した。ベビーリーフとフルーツトマトが添えられ、彩りが食欲をそそる。
「梶木さんは、希美さんのご主人のことは何か聞いてませんか。ご主人の耕助さんは、お嬢さんが亡くなる半年前から行方不明なんです」
ローストビーフを口に入れ、奥歯で噛み締めた。グレイビー・ソースと絡み合った肉の甘みが口に広がる。
「ご主人のことは、希美さんが会員になったときに聞いています。希美さんは亡くなったと話していましたが、行方不明だったんですか」
「ご主人には離婚歴があったそうです。希美さんは、ご主人の別れた家族のことを何か話してませんでしたか。どこに住んでいるとか、お子さんはいたかなど」
「都内に元奥さんの実家があるから、あまり東京には来たくないと話していました。子供がいたかどうかは聞きませんでしたね。儀式は奇数月の最後の土曜日に私の自宅で行っていましたが、希美さんは一月と七月だけ参加していました。そのときはビジネスホテルに泊まっていたようです」
「希美さんは上京したときに、失踪中のご主人が元の家族と会っていないか確かめていたのかもしれませんね」
あるいはすでに耕助は死んでおり、希美はそのことを知っていた。だから梶木には主人は亡くなったと話していたのかもしれない。
「『sorbet』の儀式は、二月も行う予定ですか」
桐生はワインを口に含み、梶木を見た。
「ええ、来週の日曜日を予定しています。よかったら桐生さんも一度参加してみてください。桐生さんなら、精霊の力を体で感じることができるはずです」
梶木は深紅のワインを飲み干し、微笑みを浮かべた。
つづく