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黒い花の屍櫃(かろうど)・12

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 第三章 瀆聖とくせい
 
     1
 
 黒い石に囲われた枯れ葉の下に、白い骨は埋まっていた。全部ではない。頭部や骨盤はなかった。それでも人骨だとわかったのは、両掌(てのひら)の骨だった。五センチほどの間隔を空け、土を掴むように置かれていた。アクリル樹脂の花は骨と枯れ葉が風で飛ばされないための重石のようだった。

 桐生は新幹線のシートにもたれたまま、以前、東京都監察医務院院長の山辺武彦やまべたけひこに取材したときに聞いた話を思い返した。
 通常、地上に置かれた場合、遺体が白骨化するのに三ヶ月以上かかる。土中なら三年だが、脂肪が完全に消失するには五年から十年の時間が必要だという。

 発見された手の骨は白く、脂肪はなくなっていた。だが、五年も経過したものだとは思えない。白骨化したというより、肉を削ぎ、血を洗い流したのではないか。樹脂の花が艶を保っていたことも考え合わせると、あの場所に遺棄されてまだ数日から数週間ほどかもしれない。

 正木希美が住んでいた敷地にあったことを考えると、あれは正木希美の骨である可能性が高い。R・Jが彼女を殺し、骨を残したのか。だとすると、R・Jが二通目の手紙に書いていた『真の儀式』のためなのか。

 千厩せんまや警察署での聴取は五時間に及び、東京行のやまびこに乗り込んだのは午後八時を過ぎていた。久利生から連絡があり、体調が悪いので一関に一泊して帰ると伝えられた。

「俺たちはツイてるな」

 武藤が呟いた。二人掛けシートの通路側に座り、飲んでいた缶ビールを座席ホルダーに置く。

「正木希美さんから話を聞くことはできなかったんだよ。十年前に何があったのかは、川瀬 神父から聞いたことしかわからない。有紗ちゃんが自殺したことについては、確かめようがない。おまけに調書作りで五時間だよ。しかも僕は今月二回目だし。たしかにスクープだけど、よく耐えてるなって自分でも感心するよ」

 桐生はペットボトルを掴み、ミネラルウォータを口に含んだ。コーヒーは千厩署で飲み過ぎていた。

「だからツイてるって言ったんだ。きょうも無事に生き延びたんだからな」
「じゃあ、R・Jを捕まえるまでツキに守ってもらえるよう願うしかないね」

 桐生の言葉に武藤は缶ビールを持ち上げ、祈るように目を閉じた。

 
 深夜十二時に自宅アパートへ辿り着き、ソファーに座ったところまで覚えている。猛烈な睡魔に襲われ、泥に沈み込むように眠った。夢は見なかった。顳顬こめかみの奥がずきずきと痛み、目を覚ました。時刻は午前六時前で外は薄暗い。

 コートを脱ぎ、エアコンのスイッチを入れた。コーヒーを淹れ、パソコンの前に座る。ホーム画面に表示された東光新聞電子版のアイコンをクリックした。

 昨日桐生と武藤が発見した人骨は、写真入りで報じられていた。家の周囲はブルーシートに覆われているが、写っている茅葺屋根と落葉樹は正木家のものに違いない。身元は不明だが、骨が見つかった民家の住人の行方がわかっていないことから、関連を調べているという。黒い花が置かれていたことは報道されてない。

 桐生はブラック・コーヒーをすすり、取材ノートを開いた。『R・Jからの一通目』と書き込む。

 手紙のなかでR・Jは『sorbet』をインチキ同好会だと糾弾していた。真偽を確かめるため、『sorbet』を取材したのが一月十三日金曜日だ。

 二十六日の月曜日に二通目が届く。その日、倉戸口の廃屋で長山恵里香の遺体を発見した。遺体はまだ腐敗も膨張もしておらず、亡くなって間もないように見えた。あれから骨の発見まで二日しか経ってない。あの骨が正木希美のものだと仮定すると、彼女はいつ殺されたのか。

 遺体を解体し、骨だけを土の上に並べるのにどのくらいの時間が掛かったのかはわからないが、枯れ葉の下に埋もれて二日ではない気がした。表面に付着していた黒い染みは、もっと長い時間の経過を感じさせる。

 二十六日より前に正木希美は殺され、どこかで解体されたのだろうか。アクリル樹脂で作られた黒い花が、最初にあの木の囲いのなかに置かれた。あの花が置かれていたことの意味は大きい。なぜならまだ長山恵里香の遺体が発見される前で、遺体が花に埋もれていたことは報道されていないからだ。

「……R・Jは、二件の殺人を犯している。奴はどこで正木希美を知ったんだろう」

 ノートに正木希美と長山恵里香の名前を走り書きし、線で繋いだ。長山恵里香の下に『sorbet』と書き付ける。

 正木希美も『sorbet』の会員かもしれない。それを確かめに行こう。
 桐生は『sorbet』の文字を、ボールペンで二重に囲んだ。
 
 通常なら編集部に出社するところだが、赤石に連絡を入れて梶木の家を訪ねることにした。府中駅前で天麩羅定食を掻き込んでいると、テーブルの上でスマートフォンが振動した。画面に『高輪』と表示されている。店の外へ出て、通話アイコンをタップした。

「やあ、斗真君。もしかして昨日、大籠へ行った?」

 高輪の声はいつにも増して朗らかだ。

「どうしてそう思うんですか」

 内心ぎくりとしながら疑問形で返す。

「だって、久しぶりに大籠の話をしたのが水曜日だったでしょ? いま、斗真君たちは悪魔祓いを取材してるわけだし、十年前と同じ祓魔師ふつましが関わってる。調べに行ったんじゃないかって思うよね。そして骨を見つけた」

 簡単な連想ゲームだ。答えるしかない。

「正木さんの住所は、十年前と同じでした。だから武藤さんと一緒に訪ねたんです」

「で、どうして木の根っこを掘り返したんだい?」

「土を掘り返したりはしてないんです。大木が石で囲われていて、落ち葉が敷き詰められていました」

「それだけじゃ、枯れ葉の下を探ってみようとは思わないよね? 昨日発売された『FINDER』の記事、読んだよ。〃R・Jの儀式とは、神に生贄を捧げることだったのか〃って、あれ、斗真君が書いたんでしょ?」

『FINDER』の記事は基本的に署名が入らない。それでも高輪には誰が書いたのかわかるようだ。専門家やノンフィクションライターに依頼した記事には署名が入る。

「……枯れ葉のなかに、黒い花が混じっていたんです。アクリル樹脂で作られていました」

「なるほどね。じゃあ、あれはR・Jの犯行で、発見された骨以外、すべて神に捧げられたってことか」

 高輪の声は活気があり、電話の向こうで満面の笑みを浮かべている様子がわかる。

「高輪さんは、悪魔を信じますか」

「急に変なこと訊くね。俺は霊感ゼロだから、まあ信じてないかな。まさか斗真君は信じてるとか?」

「僕、体験したんです。久利生君の祓魔式に参加した時に暗闇に堕ちて、川瀬さんと悪魔の遣り取りに地面が波打っていました」

 あの時に感じた冷気は本物だった。

「それって、催眠術にかかったのかもね。斗真君、思い込んだら一直線に進んじゃうタイプだから、暗示にかかりやすそうだな」

 高輪の言葉に呆気に取られ、気付くと通話は切れていた。

 
 午後一時過ぎに梶木の家のインターフォンを押した。数秒後に梶木が応答し、ドアから顔を覗かせた。

「桐生さんは、よくいらっしゃいますね。短期間に三回もお会いすると、何だか有名人になった気になりますよ」

 光沢のあるライトグレーのシャツに黒い厚手のカーディガンを羽織っている。黒皮のパンツは細身で、これからライブ演奏をすると言われれば信じるだろう。

「梶木さんて、もしかして本職はロック・スターですか」

 初めて会った時から聞いてみたかったことを口にした。桐生が知らないだけで、実は有名なロック・ミュージシャンではないのか。

「よく訊かれますけど、違います。しがないシステムエンジニアですよ。もしお時間があるなら、コーヒーでもいかがですか」

 梶木の誘いを桐生はありがたく受けることにした。

 最初に訪問した時と同じ応接間に案内された。入口には黒い花の箱がある。遺体が埋められていた黒い花より花弁は薄く、幾重にも折り重なっている。大輪の薔薇のようだが艶がなく、掌に載せたら簡単に崩れてしまいそうなほど華奢で繊細に見えた。

「桐生さんは久利生君に会って、どんな印象をお持ちになりましたか」

 梶木の声に、桐生は顔を上げた。トレイに載ったコーヒーカップから芳醇な香りが立ち上る。

「真面目で優しい青年だと思いました。悪魔に取り憑かれてるなんて、いまでも実感がありません。もしかしたら『sorbet』の儀式だけが原因じゃないのかもしれません」

「私の知らないカルマを、久利生君は背負っているという意味ですか」
 梶木はトレイをコーヒーテーブルに置き、ソファーにゆったりと腰掛けた。ウェーブがかった茶色の髪は艶やかで、ところどころに金色のメッシュが入っている。

「十年前にも悪魔祓いがあったんです。悪魔に取り憑かれたのは久利生君と同じ歳の少女でした。久利生君は、その少女と知り合いだったんです」

 桐生もソファーに座った。白いカップは縁と持ち手が金色で、ソーサーにも金色のスプーンが添えられている。梶木はトレイに載せてあった飴色のガラス瓶を手に取り、カップに注いだ。

「メープル・シロップです。一日一回これとカカオを入れて飲むと、よく眠れるんです。よかったらどうぞ」

「メープル・シロップとは、懐かしいですね。子供の頃に母が焼いてくれたホット・ケーキ以来です。いまどきのパン・ケーキにもかかってるのかな」
 勧められるままに桐生もシロップを入れた。甘味と深い香りが喉を通って体全体に広がっていく。

「きょう桐生さんがいらしたのは、久利生君のことですか」

 梶木はカップを揺らしながら桐生に視線を向けた。

「繋がりを調べてるんです。長山さんを殺した犯人は、もう一件殺人を犯した可能性があります。その被害者は、どこで犯人と知り合ったのか。もしかしたら、新たな被害者も『sorbet』の会員じゃないかって」

 言葉を切り、梶木を注視した。

「……どなたが、亡くなったんですか」

「まだ断定されてはいませんが、恐らく正木希美さんだと思います。十年前に悪魔に取り憑かれた少女の母親です」

 桐生の言葉に、梶木は目を見開いた。かすかに上を向き、ソファーにもたれかかる。

「……どうして希美さんが殺されたと思われるんですか」

「人骨が見つかった事件はご存知ですか」

「ええ。岩手県の大籠でしたか。まさか、あの人骨が……」

「あの骨は、正木さんの敷地で見つかりました。誰かがあの場所に置いたんです。黒い花と共に」

「……希美さんは、『sorbet』の会員です。ここ数ヶ月連絡が取れず心配していましたが、殺されていたなんて……」

 梶木は沈痛な面持ちで首を振っている。

「希美さんは会員になって長いんですか」

「五、六年だと思います。希美さんが久利生君のことを自分のことのように心配していた意味が、やっとわかりました。お嬢さんが悪魔に取り憑かれたからだったんですね。悪魔に取り殺されたんですか」

「悪魔祓いは成功しました。その三日後にお嬢さんは自ら命を絶ったそうです。

 桐生の脳裏に悪魔の息遣いが蘇る。悪意を含んだ闇が体に広がっていく。光が薄れ、闇に呑み込まれていく。暗闇に閉じ込められて自分を失っていく。

 顔を上げ、入口に飾られている樹脂の箱を見遣みやった。あの場所を吹き抜けた風が箱のなかの花を揺らしたような気がして、しばらく目を逸らすことができなかった。

       つづく

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