「恍惚」
「お前は誰だ!」
夫が叫ぶ。
もうこんな毎日が半年続いている。
マッチングアプリで1年前に結婚した二人。
夫は妻を亡くし再婚ではあったが、
とても優し人で、酒、タバコ、ギャンブルもやらず所謂
いい人だった。
夫の持ち家も新しかったし、外観に少しのリフォームをして
そのまま移り住んだ。
夫の様子がおかしくなったのは、結婚後半年くらいからで、
病院に連れて行くと若年性アルツハイマーであると告げられた。
マッチングアプリでもそこまでの予測は出来かねる様だ。
30代後半の結婚であったが、平和な日々は半年、夫の介護に明け暮れる日々となっている。
「疲れた」
妻は、まだ新しかったので使っていたソファーや家具を処分し、
自分のマンションを売った代金で新品の革製の座り心地良い長椅子を買い、
壁紙もイタリアから取り寄せ、模様替えをした。
カタルシスは彼女の不安を取り除き、勇気に変えてくれるのだった。
太陽の差し込む窓辺の長椅子に寝そべり、温かい日差しに目を細めると
自分が何者かさえ解らない感覚に陥った。
冷蔵庫も整理しようと、冷凍品を見たが一番奥にタッパーがあった。
自分が入れた記憶はなかった。
蓋を開けて、溶けて行く中身はカレーだった。
その時、夫がふらふらと入って来て、前妻の名前を呼んだ。
強烈なスパイスの匂いで脳が覚醒したのか、夫は正気に戻ったかの様だった。
部屋数の多い家の中の一つにまだ手つかずのクローゼットがあり、
前妻の料理レシピが出て来た。
「決め手はスパイスの配合」と書かれていた。
「カレーはまだか!」夫の声がする。
彼は今もパラレルワールドと現実の間を行ったり来たりしながら
生きている。
Fin
オリジナルストーリーNo.10
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