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「自己啓発の罠」読書メモ
こちらの読書メモですが、思ったよりも重めで哲学系の内容で、読みにくい部分も多々ありました。
新しい人と出会うと、まあ間違いなく「何をしているんですか?」という話になります。僕も聞いたりするし。
40代の働き盛り真っ盛りの僕ですが、「何をしているんですか?」と聞かれるのが結構嫌い、というか苦手です。
前は、CCCというTポイントの会社で営業をしていました!とか何も考えずに言っていましたが、会社員を辞め、法人にして、勢いよく仕事をしている時は良かったのですが、最近はくつろぐために仕事をしているので、人さまに誇れるように自分の仕事を言えません、というか言いたくない。
肩書きだけみると会社社長ですが、個人法人みたいなものだし、いわゆるみなさまが思っているような、ちゃんとした社長がいて、ちゃんとした社員がいて、ちゃんとパーパスのあるビジネスで、SDGsの時代に合ったESGのなんちゃらで、AIによるDXでどうのこうので、というようなのが一切ないので、40代の働き盛りど真ん中で「何しているんですか?」と聞かれることが本当に苦手です。
「あー、僕がサウナ入ってお酒飲んで、iPadでいろんな漫画アプリで漫画を読んでいて、何も成長を実感していない一方で、多くの働き盛りの同世代は、自己成長を感じながら仕事をしているのでは、、、」そんな不安がよぎります。
そんな不安を解消しようと手に取ったのが本書です。
「やっぱり自己啓発ってしなくてもいいよねー。よかった★」という免罪符をもらいたくて手に取りました。もっとさらりとした内容だと思ってました。
死は常に存在し、私たちが思うより近くにある。時間を無駄にせず、大事なことに集中し、自分に嘘をつかないことだ。他人が期待するような人生を送ってはならない。
おお、、、思ったよりも重めメッセージ、、、
自己の起業という新種の起業。
私たちは自分自身を再発明しなければならない
何者かにならなければならないような、そんな自己啓発の時代です。
「クツロギスト」という職業で起業したい。そう思ってます。
くつろぐだけで食べていきたい。
私たちがデータやお金を提供している限りにおいて、私たちは自己啓発の「草原」を歩き回ることを許され、最新の自助テクニックを試すことができる。「データカウボーイ」が私たちを厳密に監視している。
私たちは羊です。GAFAMが羊飼いです。
私たちは個人的なストーリーを、神の玉座の足元に置かない代わりに「友人」や「フォロワー」の足元に置く。シェアや比較のために、心を病む人もいる。
私たちは落ち着かず、不安を抱え、心配する。彼らは私をどう思うだろうか?どのように判定するだろうか?
私は十分に自己を啓発しただろうか?
他者の認識の中で、私のイメージはどのようなものだろうか。
頑張っている(ように見える)、充実している(ように見える)人が多すぎて困りますね。
自分の実存を他人の判断で基礎付けてしまう。
SNSはコメントが支配するような現代社会を作ってしまった。
「カモのネギには毒がある」でも、マルチ商法などに引っ掛かりやすい人は、自分を持っていないヤツだ、と言っていました。自分の実存を他人の判断で基礎付けてしまう。コワい。
データ化され、心も体も裸にされた私たちが表示され、経時的に比較され、カテゴリー化され、値踏みされる。友人がライバルになり敵になる。評価付は最後、自己嫌悪で終わる。決して勝つことができない競技だ。私たちは常に敗者である。
一体どうすればこのスパイラルから脱出することができるのだろうか?
「くつろぐ」ということを自分の最上位に位置付けてみると結構解決できます。その仕事や、その行動は最終的にくつろぎに通じているのか?
世界がもっとくつろげば、もっと平和になり、環境にもよくなります。
私たちは、私たちを自己強迫的にし、永遠に不幸な自己啓発者にする社会的・文化的な環境(近代社会)に注意を向けるべきだ。
余暇も自己啓発も資本主義の利潤の再生産の強力な運動に飲み込まれます。気をつけましょう。
過度の自尊心は、人を傲慢、自己中心的、利己的にし、最後はだめにする。
FOR MR TRUMP.
スピリチュアル・ナルシシズム
自我を鎮めるためのスピリチュアルがしばしば自己中心性を煽るという逆効果をもたらす。他人より多くを知っていると感じ、優越感を得てしまうのである。
まだくつろげてないの?ダサいね。そう思って優越感を得てしまうのか、、
セラピーにいかないものは、自分への適切な働きかけをしない怠け者と見られる。自分自身を改善していくことは、あなたのパートナーや家族、友人や周囲の人々に対するあなたの責任となった。自分自身への責任だった。
自分をもっと大事にしなければならない。本当の自分に出会わなければならない、そのためには○○をしなければならない。となってしまいますね
人々は資本主義によって二重に搾取される。1つは、労働時間中パフォーマンスを改善しようとする労働者として、もう1つは労働から回復を図る余暇時間に「ウェルネス」を消費する消費者として。
しっかりキャンプ用品を買って、自然豊かな施設で、日々の疲れを癒し、ウェルビーイングを高めるために稼いだお金を使いましょう。と。
今日の人々は、フィットネスやヨガ、オーガニック食品、あらゆる種類の自制などを通じて、徳性や鍛錬を誇示している。下層階級は自分を管理できないとして、肥満が不道徳の徴候と見なされる。そして自己啓発にはお金と時間がいる。こうして自己啓発活動は「ブルジョア的価値の作り手」および「社会的不平等を維持する手段」となる。美徳や階級の手段となるのだ。
もはやヨガが好きで、サウナも好き、割と家で食べる食事には気を遣うような僕は、徳性と鍛錬を誇示し、下層階級に対するマウンティングを行なっている、、、、ということですね、、、
中流以下の人々は監視下におかれ、テクノロジーによるサポートを必要とし、そして「監視資本主義」を肥え太らせていく。オフラインで自己啓発をし、個人間サービスを利用するというのが、新たな贅沢なのである。リラックスし、本を読み、おしゃべりをする、ネットに振り回されることなく、1%の人だけが享受できる排他的な自由を楽しむ。
常にスマホにつながれているのは、データ労働プロレタリアートであり、「99%」の人々だ。
丁寧な暮らし、とかクツロギストとか言っているのも、何をゆとりあるやつが言っているのかね?というようなものなのでしょうか、、、
同意する部分がある一方、そこまで言わなくても、というような感じがします。結局そうならないためには、自己成長・自己投資・自己啓発をしないといけないってこと?そうしないと、我々はデータ労働プロレタリアートになってしまうってこと?じゃあもっと自己を啓発しなきゃじゃん!!