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取り繕うことだけ得意になったから、ずっと他人の人生を生きている

お久しぶりです、四藤です。生きてます。

久々に文章を書くので緊張しています。お久しぶりな誰か、はじめましてな誰か、大好きなあなた、どうかお付き合いください。

今日久々に本屋に寄った。本屋の空気感が好きで度々訪れていたのに、このごろはすっかりご無沙汰で、吸い寄せられるように入り、なんとなく手に取った本が『読みたいことを、書けばいい。』(田中泰延/ダイヤモンド社)だった。
パラパラと本をめくり、あーこんな感じの本ね、と謎の上から目線で斜め読みしていた私の手が、一節の言葉で止まった。

『あなたが書いたものは、あなた自身が読むとき、たった1日だけ、あなたを孤独から救ってくれる。自分は、なにかに触れた。心が動いた。そのことを過不足なく、なんとか、書けた。自分の寂しい世界を一瞬、追い越した。』

綺麗で、綺麗で綺麗でたまらなくなった。気づいたら買っていた。買うつもりなかったのに買ってしまった。というかこの一節のためだけにお金を払っていいと思った。それくらい、その時の私にとってものすごく綺麗で美しい言葉だったのである。

たまに生きていると、信じられないくらいに『美しい』と思う瞬間に出会う。その時の感情はその時だけのもので、もう一度体験しようとしても出会えるものではない。変な話、この上に残した一節を何度復唱しようと、最初の一回の衝撃には勝てない
でもその一回に出会えただけで、とんでもない価値だ。だから私はこの本を手に取って、買った。

本はものすごくシンプルなデザインで、白地にタイトルだけ書いてある。並ぶ言葉はとても簡単で、実直で・・・・・・心のすぐ側にある言葉を取っているように思えた。嘘がない、嘘じゃない。この田中さんという人は、自分の心に寄り添った文を書いているんだろう。だから、先ほどのような、『何かを説明するためじゃない、その人から出た言葉』が私に届いた。言葉が白い。煌びやかな装飾はなく、ただ言葉そのものが目の前にある。そんな印象だ。

どうしても私は誰かの人生を生きがちだ。誰かの『いい子』でいてしまう。誰かの脅威ではないように、いてしまう。衝突も怖いし、偏見も怖い。だから取り繕うことだけ上手になった。そうしてつまらない人間になった
つまらないと自分で思う。自分の意志が中にないから、何をやっても逃げることばかり考えている。noteに勇ましいことを書いても書いてもどうにも嘘になる。自分のことを誇張しているからかもしれない。なんとなく何かになりたくて書いているからかもしれない。そこに文章が、浮いている。

それでも文章をもう一度書きたいと思った。うまく書けるかは分からないけれど。

子どもの頃から親にとってのいい子だったから、勉強も部活もそれなりにそつなくこなした。今では勉強が部活が好きだったのかどうか分からない。楽しいと思い込もうとしていたかもしれない。親が褒めてくれるからやっていたにすぎないかもしれない。事実、褒められることでモチベーションを保っていた部分はあった。
そんな私が誰に頼まれなくても、親に褒められなくても、やり続けたのは文章を書くことと絵を描くこととゲームをすることだ。ただ楽しかった。表現をするためにたどり着くまでは苦しかったし辛かったけれど、それでも楽しかった。楽しいことだった。
だから、ここでだけは嘘をついてはいけないと思った。取り繕ってはいけないと思った。かっこよくいてはいけないと思った。
きっと、私がずっと嫌で怖かったのは何も持っていない自分を見て失望されることだったのだ。『何も持ってねーじゃん、つまんねーやつ』と言われるのが怖かった。そうやって何も持ってない人を嘲笑うような人の人生を生きていた

だからやめる。そんな人生くそくらえだ。私の脳内で今まで縛られていた嘲笑う人は燃やすことにする。カッターでギッタギタに切り刻んでやる。
そうして、何も持っていない自分がちょっとだけ、泣きそうな顔で笑った。ああ、私ってなにも持ってないよな。そうだよな。だから、別に今からどこへでも行けるんじゃん。どこへでも行ったらいいよ。どこまでも自分だしね。

あと全然関係ないけど、今までできるだけ誰かの心に寄り添うようなnoteを書きたくて書いてたわけですが、それを狙うのは無理だと突然悟ってしまった。
いやだって人の感じ方は千差万別で、どこで誰の心が引っかかるかなんて予測がつかないんだもの・・・・・・。万物に効く言葉があるなら誰か教えてほしいいし、発明してほしい。田中さんに本の感想を送るとして『ここがよかったです!!』って伝えるとするじゃん。そしたらもしかしたら田中さん的には『えっそこで感動したん!?!』とビックリすることもあるわけじゃん。意図しないところで誰かを救ってしまったりすることもあると思うし、どちらかといえばそれが理想的な救い方だったりもする。だって、『ほら!この言葉あなたに効くでしょ?救われるでしょ?』は既に傲慢だし。だから無理して誰かに届けようとするんじゃなくて・・・・・・そうだな、私がかけられたい一言とか、自分があったかくなるような一言で、誰かが『それいいな』って思ってもらえたらいいな~と思うようになりました。何となくこれは一歩前進したような気がする。

私は私として生きるよ。あなたもあなたとして生きるだろうね。いつか会えたらいいね。くらいの温度感で、noteと言葉を綴っていけたらいいなと思うのでした。どうか誰かに人生を託すことなく、自分の足で歩いていけますように。そして出来れば、私の生きる道が誰かの道を照らすようなものになりますように。(結局傲慢になってしまった)

台風が近づいていますが、皆様お気をつけて。四藤でした。


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四藤 汐 (Yotsufuji Ushio)
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