9* 自分を再定義して
こんばんは。四藤です。なんか文章って《文章を書こう!と思った時》よりも《言葉が詰まって声が出なくて、伝えたいことや自分の思いがちゃんと誰かに正しく伝わっていないモヤモヤがある時》の方が、ものすごい力を発揮する気がしません? 自分はそうです。
さて。もう9月ですね。外ではこおろぎが鳴いていて、夜はちょっとひんやりした空気が流れるようになりました。季節の変わり目は体調を崩しやすいですが、この季節が流れる時期がわたしは一番好きです。一番好きで、さみしいです。
自分のできることを仕事にしたいな、と思ってもう半年が過ぎちゃいました。自分の目標にはまだまだ届いていません。わたしの目標は、毎日を美しく生きることです。まだまだです。まだまだ力が足りず、精神力も足りず、うまくいかない日々を過ごすこともある。もっと仕事を好きになりたい。息をするようにだれかの役に立っていたい。まだまだ、未熟です。
それでも、きっと一年前の自分と比べて、「個人で仕事をしてみたり」「目標を立てて物事に取り組んでみたり」「失敗したり」、ちょっとずつ歩いているんだろうなと思います。というか、そう思えるようになりたい。自分は、突然飛行機を操縦して世界中を回るような、そういう大層な夢を描きすぎるんです。突然夢が切り開けるような夢物語を思い描いちゃう。でも、たぶん成功している人たちって事業を始めて一日で成功しました!みたいな人たちじゃないと思うんですよ。
わたしが動けないなって手が止まったり、足がすくんだりするときって、自分の未来を案じすぎてる時なんだなって、最近わかった。今日がだめだから明日もだめだみたいな時。その時って自分のことしか考えていないんですよね。だから自分の失敗のことばかり気になる。でもさ、そんなときに「誰かの役に立ってるか」を軸にしてみたら、そんなこと言ってる場合じゃないってことに気が付いた。
大人になってから、いろんな人がえらいなあと思えるようになりました。仕事している人、サラリーマンをしている人、主婦をしている人、ニートになっている人、学生の人、年金暮らしの人、いろんな生き方があるけれど、どれもすげえよと思う。どれもその立場につきまとう悩みや問題があって、それと必死に闘っている。でもわたしに会う時は、みんなわたしの話を聞いたり、共感してくれたりもするわけで。すげーな、本当にさ。だから、そういう人たちのために自分ができることを考えたいし、その人たちのために頑張ることなら、《あ~~~もう表現やめたい》って思った時に、投げ出したくないだろうなって。自分なら。
だから、これからは、頑張る理由を「表現したいから」じゃなくて、「疲れたけど、こんなきれいなものがあるなら明日も生きてみようかな」とか「ああ、この気持ちって自分ひとりのものじゃなかったんだ、さみしいって思っていいんだ」って思ってもらえるように、やっていこう。
今日は全然文章を上手に書けない日なんですが、それでも言いたいし、伝えたいから書いてる。完璧主義者の自分だと、下書きに放り投げちゃうんだけど、そうやって下書き増やして結局公開しないままなら公開した方がいいかなって。ほら、あとで編集もできるじゃん!?(ずるいな!?) そういう風に、ちょっとでも言いたいことがあるなら、書きたいことがあるなら、ちゃんと形にして世に出すことも大事かなって。もしかしたらこの大暴投が、誰かのこころに刺さるかもしれないしね。
大暴投も、賽も投げられた。あとは、誰かに届くだけ!
君はこの文章を見て何を思う? 何でもいいんだぜ。読んでくれてありがとう。