1985年12月 私の人間形成に大きな影響を与えた人 18文
お元気ですか? おかわりありませんか?
3カ月前にも同じようにLINEをしても既読となるのに返信が来ないので少し心配している。2022年9月17日、天皇、皇后両陛下がエリザベス女王の国葬に参列のために政府専用機で英国へ出発されたとテレビのニュースが流れている。
私の人間形成に大きな影響を与えた人と初めて会ったのは、プラザ合意、阪神タイガースが21年ぶりに優勝した1985年の12月頃であったと記憶している。私は大阪の営業所から東京の本社の営業本部に転勤となったばかりであった。ワンフロアに約100人の部員がいたが20代は私ともう一人だけであった。外資との合弁の会社であったため、英語のマーケティング用語が飛び交い、全く理解できず現場の営業から来た私は部員全員が切れ者にみえ委縮していた。そんな時に優しく暖かな微笑みを浮かべ師匠シュウさんは現れた。私が担当することになったハウスオーガン(社内外に向けた広報誌)数誌の企画・取材・編集を委託させていただいている取引先の方であった。10歳年上で小柄で今思えば仏様の様相であった。
取材で全国を一緒に旅した。文章の書き方から、マーケティングのおもしろさ、企画書はラブレターのように書く、おだやかな人生のおくり方等、さまざまな事柄に対する師匠の考え方や見方、やり方を真似て自分のカラダに吸収していった日々だった。今、なんとか楽しくおもしろい日々をおくれているのは、師匠のおかげであると感謝している。
どう生きるのか、そしてどう死んでいくのかを師匠は私にライブでみせてくれる。東京で企画マーケティングの会社を経営していたが、55歳でお寺の住職をお父様から引継ぎ、樹木葬や村おこし等を故郷熊本という新たな場で活動し始めた。その矢先にガンとなったが今もしっかりと生きている。コロナ禍で3年ほど会えていないが元気にしているのだろうか?
私自身も55歳で僧侶になったことも、師匠の影響が大きい。まだ、私は監査役という仕事をしているが、そろそろ軸足を坊さんの方にシフトしていくことを考えている。師匠とリアルでそんな話をしたいのだがこのコロナ禍では酒を交わしてバカ話をしながら話すことはなかなかできそうもない。
たぶん、師匠はこう言うだろう。「そんなことは、カラダが自然に決めてくれるから考える必要はないでしょう。そんなことよりも今日はのみ明かそうじゃありませんか。」
師匠の人生と私の人生、今年でお互いの37年間を観続けてきたしこれからも観続けていく。たとえいなくなってしまったとしても師匠ならどう考え、どう生きていくのかを問いつつ、対話を続けていける。シュウさん(奥様がそう呼んでいる)これからもよろしくお願いします。
翌日、6カ月ぶりにLINEが来た。「来月東京に行くので会いましょう」と。
いつものように積もる話を積もらせたまま、酒を飲むだけで何を話したのかを覚えていないこととなるだろう。
「楽しみにしております」とだけ即時に返信をした。
合掌
2022.09
この二年間で、三回シュウさんにはお会いした。会うと私は素直になれる。そして穏やかな気持ちになる。東京のご自宅に招待され酒を交わしたのは2024年10月14日、奥様と三人でお話した。奥様(シュウさんはノンちゃんと呼んでいる)も編集者で、師匠と同じぐらい昔から、私の業務を手伝ってくれていた。ノンちゃんとも取材で一緒に、いろんなところを巡った。そして助けていただいた。私はシュウさんノンちゃんご夫婦とは40年近くのつきあいとなる。
酒を交わしながら、思えばこの長きにわたり、出来の悪い私をみてきていただいた。昔よく「あなたのような人に私の息子も育ってほしい」とノンちゃんに言われて、私はとても嬉しかったことを思い出す。
そしてその息子とも今、酒を交わしている。そして「そろそろ帰らないと終電に間に合わないよ。もう五時間ぐらい呑んでいるからね。」と言われる。
私のようないい加減な人間ではなく、しっかりとして思いやりのある両親に似た人になったなと息子が呼んだくれた帰りのタクシーで思い、カラダがほころんだ。
2024年も終わろうとしている。今度はいつ会えるかな。たわいのないキャッチボールのなかに「おまえもいい感じでトシを重ねてきているなあ」と思ってほしいのかな、シュウさん。
感謝を込めて合掌
2024.12.14