#21 【退院報告】止まらないための選択
先日10月中旬頃、
長くお世話になりましたリハビリ病院を
退院いたしました。
3月の入院から実に211日、
入院生活を送りました。
気付けば雪の舞う初春から
木々が色づく秋になっていました。
本当は12月中旬までの入院を勧められましたが、
様々なことを考慮しての退院となりました。
本当に、いろんなことがありました。
いろんな感情を抱きました。
そして、これからを生きるために
僕は病院を去るという決断をしました。
僕の決めた様々な選択に
「最善の流れになったと思います」
「よく出るって選択したね、私ならできない」
と、前向きなことばをお世話になった方々は送ってくれました。
ひとには、其々の、考え方が、ある。
どうしたら最善の結果になれるだろうかと
何かを選ぶ時は考えると思う。
僕の場合(状況)は、
術後から半年経って漸く
足の動きがみられるか、全くみられないか、
その二択が待っている。
一縷の望みにかけて残り2ヶ月を耐えるか、
質を下げても日常に近付くか。
悩んでも、悩んでも、
結論なんて出せなくて。
その中で頂いたことばがあった
選択というものは、
どちらを選んでも必ず後悔する。
だから、選んだ結果よりも
どっちを選ぶかを考えた時間の方が大切。
考えて、考えて、
ああもう限界だってくらい考えて、
そうしてこっちにしようって
結論を出したらいいと思います。
20代の限られた、過ぎ去った時間は戻らないし、
これから過ごす時間も、過ぎてしまったら戻らない。
どちらを選んでも
どっちみち後悔しますから、
がんばって考えてください。
そう言ってくださったPTさんは
「貴方に任せます」と
何度も選択を迫られた局面で
僕にいちばん助言をくださったひとだった。
ここまでの約半年
無駄なことなんてひとつもなかった
と思う反面、
この半年という時間があったら
何ができただろうか、という考えは
何度も何度も過ってしまった。
それでも自然と後悔がなかったのは、
ひとつひとつの選択が
僕の人生を大きく変えてしまうという
自覚をもって
その都度僕なりに考えて
その時の最善を選んで
結論を出してきた
その積み重ねであったからだったと思う。
リオペ後の3ヶ月間
どんどん引き籠る時間が増えて
上手くいかないことなんて沢山あって
気力を紡ぐのも難しくなってきて
慣れが故の甘えもきっとお互いにあって。
それでも、
できるようになったことも増えて
その中でのたのしみや喜びも沢山あって。
変わっていくタイミングだなって思って。
自分が動かないと何も変わらないから
変えるための選択をした
その結果、退院をしました。
退院直前まで
少しでも改善させることに重きを置いてきたリハビリが、
決断と共に少しずつ変化して
“日常に戻る”という生活者に向けてのものになった。
リハビリというのは
目標や目的で内容が変化します。
僕の場合は
「もう一度舞台に立てるようになりたい」
という目標があったので、
スポーツリハビリができるPTさんが
スポーツ選手が取り組むような内容を
自主トレとして組んでくださったり
身体の使い方/弱点などを
一から見直すリハビリを行ってくださいました。
神経麻痺に対するリハビリ以外にも
沢山のことを教わりました。
「自分」という商材を知る機会を
沢山もらいました。
長期入院だったから取り組めた内容と
通院リハビリでできる内容には
どうしても違いがあります。
それはどっちがいいのかと言われたら
どちらもメリット/デメリットがあります。
ただひとつ言えることは、
入院リハを続けたメリットは、
僕がまだ20代と若く、
回復が見込める年齢であったことは大きいようです。
「貴方が60代だったら
装具生活一択だったと思う」
でも幸い僕には
一般的に生きることができれば
まだまだ沢山の時間が残されています。
いくつもの選択を重ねても、
「装具なしの生活に戻す」
というひとつの目標は失っていません。
まだまだ時間はかかるかもしれないけれど
これからも自分自身との戦いは
長く続いていくと思います。
この障害の難しいところは
いつ改善するのか
目安はあっても
確実な結果は予測できない
ということ
だから
今も変わらず
宇宙を漂い続けています
退院をしても未だに実感が全然無い
それはコアが何も変わっていないから
漸くハジマリに辿り着いたに過ぎないから
恐らく僕は
大切なものを失った分
大切なものを沢山得ました
脳内で思うことはいつだって変わらない
何をしようかな
何ができるかな、に
変わってしまった部分もあるけれど、
それでも、
身体は上手くついてこなくても、
脳内はいつだって
自分がワクワクすることを求めている
現在は7ヶ月振りに自宅に戻り、
新たな病院で通院リハビリを続けています。
此処で出逢ったドクターが
また、新しいチカラをくださった。
最初の主治医からの紹介だったので
状況や情報は既に共有されており、
それでも僕の話をしっかり聞いてくれて、
普段こどもを多く診ていることもあってか
親身になって僕の装具や今後について
考え、導いでくださる先生。
この半年近く
「ご本人にお任せします」
と言われ続けた僕としては
こっちに進んでみない?
と導いてくださることは
本当に頼もしくて、
初めて逢った日、最後に
「今は様々な方法があるから」
「大丈夫だよ、
(装具なしで)歩けるよ、走れるよ。」
そう言ってくださったことが
本当に
そう
溢れ出る感情を抑えることができなかった
そうして初めて
「大丈夫」
の適切な使い方を知った。
浦島太郎と化してしまった時間を
埋めることはできないけれど、
少しずつ、
いろんなことと
改めて
向き合っていこうと思います。
目標達成には
まだまだ時間はかかるけれど
それまでの時間も
かけがえのないものにできるよう
僕は
今を
大切に
生きます
幽閉生活とは一旦さようなら
ここから
ハジマリ