注がれた愛は溢すほどない
対人で少しでも気まずくなると、
自分が悪いような気がして
無理やり明るくしたり笑ったり
ずるずると引きずってしまう。
無意識に自分をころしてるってことを
ふと思い出す。
前に導き出したのにまた忘れてる。
良い恋愛とはなんだろう。
髪に艶が出て、頬が薔薇色に紅潮し、
周りからは幸せオーラを放つ。
つまり愛に不安の関与がない状態。
私はこれを知ってる。
でも今はちがう。
今輝いてるのは自己愛自己努力であって、
彼から受けとった愛ではない。
その愛は落ち着き放っている。
一方的な愛を注ぐたびに自分を孤独にしてる。
己を磨いて湧き出たモノを彼へと注いで、
また注ぐの繰り返し。枯渇するばかりだ。
頭では見返りを求めないといっても、
結局見返りを求めてるのだろう。
目の前に差し出された人参を追いかけて
それにありつけても、気づけば吊るされていたものに差し代わっていて、気づいているのに気づかないふり。いや、ただ忘れているのかもしれない。
釣った魚に餌をやらないとはこういうことだろうか。水瓶に返ることも、注がれることもないのだろうか。