【短編】起き上がらない男
河川敷の堤防で男が仰向けになっている。二十手前の大学生だ。指を組んで枕にし、七月の雑草に身を埋めている。彼はまるで悟りを開いた僧侶のような面持ちで青空を見ていた。雲の流れは緩やかで、真夏日を越える気温の中で直射日光が彼を容赦なく襲っていた。このままではこんがり焼き上がるだろう。
それでも彼は動こうとしない。
持ち合わせはスマホしかなく、日焼け止めも塗っていない。では焼きに来たのかというと、そうではない。本当は今すぐにでも日陰に移動したいのだ。肌が弱い方だからあまり焼きたくない。それに脱水症や熱中症も怖い。当然ながら今現在において大量の汗をかいている。
堤防の上では、ジョギングに勤しむ人や、犬を連れて散歩をしている人、自転車を悠々と漕いでいる人もいて、ありふれた平日という雰囲気だ。
男は相変わらず空を眺めている。本当に根を生やしたように微動だにしない。
そこへ一人の女の子がやって来た。スモックを着た幼い子だった。男の横に立つ。
「なにしてるの?」
純粋な疑問だった。何をしているのか気になる、ただそれだけの意図しかない問い掛け。男は冷や汗をかきつつも視線は空へ向けたまま。
「肌を焼いてるんだ」と小さな声で答えた。
少女は不思議そうに首を傾げて、「変なのっ」と言って立ち去ってしまった。
「……ふぅ」
男は安堵の息をこぼしつつ、変わらず空を眺める。
数羽の鳥が遠く高いところを横切っていった。その上を、飛行機が横切っていく。青い空に一本の白い線がはっきりと描かれていった。彼はそれを自身が身に付けているシャツの白さと重ねてしまう。
「あいつ、いつになったら戻ってくるんだ……」
男は少し前まで友人といた。中学からの付き合いで、現在通っている大学に至るまで全て一緒の学校に通うほどの仲だ。「すぐに戻る」と言ったのに、まだ帰ってきていない。
早く帰ってきてほしい。
汗が滲む。
堤防の上から聞こえてくる自転車やジョギングの音がやけに耳に入る。河川敷からも誰かが走る音が聞こえてきて、こちらも気になって仕方がない。
「はぁ……」
再び空を意識する。しかしそこには真っ白な雲があって、飛行機雲があって、入道雲まであって。
目を閉じれば楽になれるんだろうか。いや、意識したくないところに意識が向かうだけだ。まだ雲を見ていた方がマシ。
などと考えていたときだった。
「お~い」と暢気な声が彼に届いた。
彼は盛大に安堵の息を吐いて、弾んだ声音で言う。
「待ってました」
「はいはい」
友人は彼の横にしゃがみ込み、手にしているビニール袋から二つの物を取り出した。一つは除菌シート。もう一つは新品のシャツだ。
男はついに起き上がった。
そして、あっという間にシャツを脱いで、丸めると、友人に除菌シートで背中を拭いてもらい、すぐさまその新品に袖を通した。丸めたシャツはビニールの中だ。
「マジで助かった」
「ほんと、次からは気を付けてくれよ」
「ああ。今度寝転がるときは、ちゃんと確認してからにする」
「是非ともそうしてくれ」友人は苦く細めた目をビニールの中に向ける。「……それで、この服はどうするんだ?」
「もちろん燃えるゴミで出すよ。運のいいことに、明日が燃えるゴミの日なんだ」
「ツイてるんだか、ツイてないんだか……」
「うまいこと言うな」
男はビニールの口を縛って、立ち上がった。汗を拭い、ぐっと身体を伸ばし、大きくそびえたつ入道雲を見る。
清々しく息を吐き、そして不満顔をした。
「まったく、ペットを飼うなら最低限のマナーくらい守ってくれ」
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