【中編小説】恋、友達から(008)
例年通り七月になっても梅雨は続き、今日もまたジメジメと蒸し暑い。天気は曇りだけど、時折雲間から陽が差しており、余計に暑さを与えている感じだ。となるとクーラーの効いた教室から出たときの不快感はとんでもない訳で、移動教室のためにドアを開けた瞬間に襲い来るモワッとした空気にウッと顔を顰める。それによって視野が狭まったけど私はここで気を抜かない。目的の教室のある右へ歩き出そうとするタイミング。ここだ。
「逆」
「うわ」
萌絵が指摘されて変な声を出した。いつものことだけど、左に歩き出していた。
つぐみが呆れて笑う。
「三ヵ月経ってもまだ間違えるってすごいよね~」
この時間の移動教室は必ず右に行くのに、萌絵は三回に一回ぐらいは左に行ってしまう。
改めて右に歩きだして、萌絵は笑って言った。
「たぶんあと八ヵ月ぐらい同じことをやると思うかも」
つまりは卒業式を迎えてるまでこの調子ということで、私たちは苦笑い。
「これは手強いっすな~」
「ですねー。環境が変わっても同じこと繰り返してそうですし」
「自信あるよ」
「そこは自信を持っちゃダメじゃん」
ツッコむつぐみちゃんに、萌絵は明るく笑った。
「いいのいいの。なんだかんだなんとかなるし」
「まあ、本人がそう言うならいいけどさ~……」
「気を付けてくださいね? 何かあったら大変ですし」
「すごく心配されてる」
萌絵は意外そうに言った。それで葵が私を見る。
「彩ちゃん、頑張ってくださいね」
「そうだぞ~、彩~。同じ大学目指すんだから~」
二人揃って激励してきた。
「分かってるよ」
もちろんそう答える。本望だし。とはいえ、萌絵にちゃんと助けになってくれる彼氏ができるまでは、だけど。
それにしても、とつぐみは言う。
「萌絵って、最近明るくなったよね?」
「そうかな?」
「私もそう思いますよ」
実際、先月私の家で話し合ってから萌絵は失敗してもあまり気にしないようになっていた。それこそ私に「甘えて」くれているようで、私としては嬉しいこと。
萌絵は小首を傾げる。
「良い変化?」
「「もちろん」」
二人揃って肯定した。
「私もそう思うよ」
やっぱり萌絵との関係はこのぐらいがちょうどいい。
萌絵の最初の印象は、正直今とあまり変わらない。
見るからに放っておけない感じがして、やっぱりその通りで。そのうえ何事にも怯えてそうな自信無さげな様子が、尚の事私の世話焼きな性格を刺激した。
それに、萌絵とは気が合う気がして、それも予想通りだった。
例えば、四月の、親睦を兼ねたクラス対抗球技大会。クラスごとに男女別でチームを作って、一緒に戦って仲間意識を高めようという趣旨の行事。こういうとき面倒臭くて嫌がる人は多いけど、萌絵はみんなでブツブツ文句を言うことの方を嫌がってるように見えて、ああ似てるな、と思った。
例えば、五月の、一学期の中間テスト。受験生とはいえまだまだ浮ついた様子のクラスの中でまじめに勉強する萌絵の姿に、やっぱり萌絵と友達になって良かったと思った。私も受験生としてはそれほど頑張っている訳ではなかったけど、テスト期間ぐらいは真剣だったし。
それに、日頃から萌絵は結構気配り屋さんだ。うっかりが多くていつも助けられてる側のイメージが強いけど、こちらが助けられていることも多い。少しへこんでるときに何気なく一緒に居てくれたり、自然と協力してくれたり。つぐみや葵もそれを知ってるから萌絵のことを気に入っている訳だし。
真面目で優しくて、ほっとけないぐらいにドジで。
そして今は前より明るくなった。そこだけはこの数ヵ月で変わったところ。
前よりも仲良くなれている気がする。
本当にいい友達を持ったと思う。
放課後、私は萌絵の家に赴いた。来週が期末テストなのだ。夏に最後の試合を控えるつぐみたちは例外的に部活があるから今回は二人きり。いつもは私の家でやるのだけど今日は妹が友達を呼んでるから邪魔されないように。
手を洗ってうがいを済ませてから、「クーラー入れといてくれる?」と言って萌絵は飲みものを用意しにキッチンへ向かった。
リモコンはどこだろうと思ったけど部屋に入ってすぐの勉強机の上に置いてあった。「えーっと、どれ押せばいいんだろ」と独り言ちながら冷房のボタンを見つけ、ポチっと起動。
手持ち無沙汰だから手伝いに行こうかと思ったけど、お母さんが居るから邪魔になるだけと判断して、腰を下ろすことにした。リュックから勉強道具をテーブルに置こうとして――ふと、棚の上のものに目が留まった。
一枚の絵があったのだ。
ハガキのような小さな用紙に、絵本や童話に出てきそうなファンタジーな森と湖が描かれている。その中心にはユニコーンの親子。緑を中心とした色彩豊かなもので、幻想的だけどどこかリアルなタッチだ。バランスが凄いと言うか、決して子供っぽいものではないけど写実的と言うには現実感がなく、強いて言うならリアルなCGイラストに近いけど、あの独特なリアル感は無い。色鉛筆で描いているからだろうか。SNSで鉛筆や色鉛筆で描かれた写真そっくりの絵を見かけるけど、あれの系統だ。それのファンタジー系を描くタイプ。リアルに非現実を描いていると言うか。
そしてユニコーンの親子が、なんと言うか、凄く愛を感じる。
「どうしたの?」
不意に声を掛けられ、肩が跳ねた。
驚いたままに振り返ると、萌絵がお盆を持って部屋に入ってきていた。膝をつき、テーブルにお茶の入ったコップを置く。そこへ萌絵のお母さんがやって来た。
「はい、おやつ」
「ありがと」
ここでようやく落ち着いたのか、私は礼儀を思い出した。
「お邪魔してます」
「はい、どーぞ。ゆっくりしていってね」
「はい」
小さくお辞儀してお母さんが立ち去ると、萌絵が改めて尋ねる。
「それで、どうしたの? ぼーっとして」
「いや、その」
そう言ってあの絵を持っていることを思い出した。
「これ、凄いなって。萌絵が描いたの? 見たこと無いけど」
「ああ、それ」萌絵は頷いた。「そうだよ。私が描いたの。仕舞い忘れてたなぁ」
「水彩画以外も描いてたんだ」
萌絵は美術部で水彩画を描いていた。基本的には風景画で、本人は趣味の延長ぐらいの気分って言ってたけど、高校生の中でも確実に上手い部類だと思う(私の個人的な感覚だけど)。先生や先輩にはコンクールに出すように言われたらしい。一度も出したことがないらしいけど。
「正直なところ、水彩画よりも好きなんだよね。紙と鉛筆があれば描けるし」
萌絵はそう言った。
純粋な疑問。
「なんで今まで教えてくれなかったの? こんなに凄いのあったのに」
悩むように小首を傾げる萌絵。
「これは人に見せるために描いてないから、かな?」
となると水彩画以上に趣味でやっていたんだ。……見てみたい。
「他にも描いてるの?」
「結構あるけど……」
「見ていい?」
「いいけど……勉強が終わったらね」
「うん、それでいい」
ちょっとわくわくしてる。萌絵がこんな絵を描くなんて思わなかったし、他にどんなのを描いてるか気になる。
最後まで読んでいただきありがとうございます