【短編】マッドサイエンティスト
彼についての印象をお聞かせください。
『そうですね……。頭のおかしい人ですかね?』
彼についての印象をお聞かせください。
『まあ、凄い人だと思いますよ。凄いです、はい』
彼についての印象をお聞かせください。
『イカレてますよね』
彼についての印象をお聞かせください。
『死ねばいい』
「おいおい助手君。なんだねこれは」
男は眉間に皺を寄せてA4用紙を突き出す。ボサボサの頭にヨレヨレの服、風呂には数日入っておらず悪臭を放っていた。
一方助手と呼ばれた女性は髪も服もきっちりとしている。アカミミガメのようなジト目をお返しした。
「社員にあなたの印象についてアンケートを取った結果です」
「嫌がらせかね」
「嫌がらせです」
「おい」
「不満に思っているのはこちらですよ」
彼が不満そうにしていることがもう不愉快だった。助手と呼ばれた女性は彼の机の上にもう一枚用紙を置いた。彼は怪訝そうに用紙に目を通す。
「えー、なになに……。『解雇通知書』……。解雇通知書⁉」
「安心してください、ちゃんと解雇予告手当は出します」
「どういうことだ」
「さんざん警告はしましたし、何度も説明をしました。それでもあなたの態度は変わらなかった。このままではうちに不利益が生じるのは明確であり、なので、解雇します」
「どういうことだ助手君」
「まずね、所長の私を助手と呼び続けているところから問題だと理解してもらいたいですね」
「私と君の仲じゃないか」
「助手になったことがありませんし、仕事場が同じ人でしかありませんよ」
確かに雑用はやってましたけど。
はあ、と溜め息。
「あなたが今までしてきたことは分かっていますね。薬品の無断使用。社員へ無断で人体実験。入院することになった人が五人もいます。近所の野良猫への薬物投与。あの子は昨日死にました。他にも数えきれない数の罪があります」
「それの何が問題なのかが分からない」
「そういうところが問題なんです」
そして何より、と彼女は続けた。
「酔っぱらった後のあなたは手に負えません。何度暴力沙汰になったことやら。私もあなたに襲われそうになったことを今でも忘れてませんからね。前の所長はあなたに能力があり実力があり確かな成果を残しているからと庇っていましたが、頭おかしいんですよ。普通に考えて許される訳ないでしょう」
「『普通』なんて言葉を使うとは、君も落ちぶれたな」
「『普通なんてない』なんて極端なこと言うのはバカがすることですよ」
「私がバカだと言いたいのかね」
「そうです」
「到底受け入れられないね」
毅然とした彼の態度を見て、彼女は呆れ返った。
「これでも譲歩してるんですよ? 私たちも大概頭がおかしい。だから、さっさと出て行ってください」
翌朝。
研究室に行けなくなった彼は家で寝転んでいた。
「なにが『これで譲歩してます』だ。理不尽以外の何ものでもないじゃないか」
こうなった経緯にはおそらく利権が絡んでいるんだろう。私を排除することで誰かが得をし、そして何より助手君が得をする。きっとそうに違いない。
と彼は確信を持っていた。その瞳は純粋なまでにまっすぐ天井を見つめており、力強く立ち上がった。
「見返してやろう」
分からずやには成果を以てして分からせればいい。幸い私は天才だ。
「とはいえ、研究費が無いと話にならない」
彼の自宅に十分な設備があるとは言えなかった。研究所からいくらか持ち帰っているとはいえ本格的にやるならもっとちゃんとしたものがほしい。
彼はひとまず自分のやりたい研究が可能と思われるところに電話を掛けていった。ひたすら片っ端から電話を掛けていった。掛けまくった。
しかし。
「なぜだ。どいつもこいつも、どうして私の名前を聞いた途端に話を切り上げるのだ」
研究員を受け付けていないならまだ分かる。しかし名前が出た瞬間に態度を変えるというのはどうなんだ。
「もしかして、助手君が何か手回ししたのか」
彼はグッと顔を向けた。その遥か向こうにあるのは研究所。彼にあった懐疑的な表情が次第に不快そうなものへと変わる。
「なるほど、これがリンチというやつだな」
社会というのはなんと残酷にできているんだろうか。私が何をしたと言うんだ。私はただ自分のやりたいことを純粋にやってるだけだと言うのに。
これだから集団主義というのは嫌いだ。この国にある悪しき宗教だろう。
誰もが平等に。
誰もが公平に。
誰もが理想を叶え。
誰もが個人を大切にし。
誰もが情に溢れる。
これが正しい世界だろう。
自分を殺して他者のために生きろなんて、まったく吐き気がする。
子供たちにはこんな大人にならないように教育すべきだろう。しかしその教育をするのがこんな糞みたいな大人たちなのだから、きっとこの先も地獄は続くだろうな。
子供の頃はもっと自由にやっていたはずだ。
しかし大人になるにつれて洗脳され、こうもがんじがらめになる。
これはこの国の真面目さも理由だろう。
全く、愚かなことだ。
「まあ口であれこれ言っても仕方ない。行動で示してやろうじゃないか。この世界がどうあるべきかをね」
彼はベランダから駐車場を見下ろした。
数人の子供たちが遊んでいた。
「どうせなら面白いものを作ろう」
無邪気な笑顔がそこにあった。
貯金は三ヵ月分は溜まっており、それを切り崩して足りないものを揃えた。最低限ではあるが仕方ない。以前開発していたものをベースにすることでなんとか開発を進められそうだった。
それから一週間が経過した頃。
彼は勉強のために動画投稿サイトを漁っていたのだが、そこでふと、有名な研究者のインタビュー動画を見つけた。世間が天才と認め、そして彼自身も天才と認識している男だった。
迷う間もなく、つんと再生を開始。
動画の内容は、最近健康関係で大きな革命を起こした研究についてだった。
『最初は別の目的で研究していたと聞いたのですが』と言ったインタビュアーに対して、男は苦笑した。
『そうですね。たんぱく質について調べていたら偶然面白いものが見つかった、みたいな感じです』
『それは、何を目的で?』
『いや、目的も何もないですよ。調べたいことを調べていただけで――誰かのためとか、役に立つとか、そんなことは考えてませんよ。研究者なんてほとんどそんなもんだと思います』
「このインタビュアーはバカなのかね」
彼は呆れて溜め息し、トンと動画を停止した。
「研究者が世のため人のために研究するとか本気で思っているのかね。なぜ、こう、すぐに『何に役立つ』だのくだらないことを訊く輩(やから)はいなくならないのだ」
再び溜め息し、彼は動画を再開した。
『両親は好きなことを自由にやらせてくれましたね。僕は大概変わり者でしたけど、よく付き合ってくれたと思います。それでいてダメなことはダメと叱ってくれる人でしたし、僕はかなり恵まれていたなと思います』
『最後に何か、子供たちに向けてコメントはありますか?』
『そうですね……。自分のやりたいことを純粋に追求してほしいですね。ああ、自分の思いを大切にしてほしいと言った方がいいのかな? 別に生物や物理だけじゃなくて、経済でもスポーツでも、自分が興味を持ったならなんでもいいんですよ。飽きるまででいいので』
動画が終わり、彼は複雑な表情を浮かべていた。その理由を彼自身が把握できず、モヤモヤとした思いが次第に彼の表情を塗り替えていく。やがて漠然としたモヤモヤだけが心に残って、彼はとりあえず冷蔵庫に向かった。中には大量のお酒が入っている。
「この世界に神などいない」
彼はぶつぶつと呟きながら一番度数の高いものを取り出し、一気に呷(あお)った。
そして、まだ酔いが回る前に開発に使ってる部屋へとやって来た。缶を適当なところに置いて、机の前で培養中のシャーレをじっと見つめる。
「さて、そろそろ頃合いかな。少し早い気もするが、まあいいだろう」
その横には裸の男の子が一人。
まだ十歳前後の幼い身体。
口をガムテープで塞がれ、両手両脚をベッドの四隅(よすみ)に繋がれ、その表情は怯えている。
「君も興味があるだろう? 人間がどうなるのか」
彼の目は原子炉のように輝いていた。
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