【願いの園】第二章 05
場当たり的にやるのもどうかと思い河西くんをヒントにアプローチは準備していた。まさか初っ端から応用を求められるとは思っていなかったけど。
「元気にしてた?」
初対面の体で進められる自信がないため、素直に『約二年振りの再会』の感じで挑んだのだけど、自分でも分かるぐらい声がぎこちない。顔もたぶん強張っている。
「藤田さん。やっぱり藤田さんなんだ」
確かめるように呟く吉岡さん。
この状況を彼女はどう認識してるだろう。夢の中で多少因縁のある元クラスメイトと出会ったことをどう受け止めるだろう。なんでこんな女が夢にまで出てきてんだよ。あー、最悪。早く目ぇ覚めないかなー。とか思われてそう。
いささか悲観的? いやいや、まだ楽観的と言える。私が嫌われてることは間違いないんだから。
やがて彼女もぎこちない微笑を浮かべた。
「髪伸びたね?」
当たり障りのないところから普通の会話を始めた。夢の中だからもっと自分勝手な言動になると踏んでたからちょっと意外だ。
「うん、伸ばしてるんだ。吉岡さんは更に可愛くなったね。イヤリング似合ってるよ」
「藤田さんにしては普通の返しだ」
凄く怪訝な顔をされた。確かに、中学時代の私から考えれば当然の反応か。
夢の中だから何が起こっても納得せざるを得ないはずだけど、不信感を持たれると困る。私はなんとしても彼女に空を飛んでもらわなくてはいけない。どう振る舞えばいいか。
「その羽、飛べるの?」
ストレートに行こう。
「この格好すごいよね」自身を見ながら吉岡さんは言う。「自分でも子供っぽいと思うけど、それでも妖精みたいな姿ってちょっと憧れがあったから実は喜んでたりするんだよ」
興奮気味なのが否応なく伝わる。だけどこんな態度を私相手にやったことはないから、こちらが不信感を抱いてしまう。
「それで、飛べたの?」
「あー、それね、そこが問題なのよ」
「問題?」
「なんかさ、飛べなくて」
吉岡さんは悩ましげに顎に触れる。「何度か試してみたんだよ? だけど一ミリも浮かないの。もちろんジャンプすればそのぐらい余裕だけどね」
「羽が動かないってこと?」
「ううん、めっちゃ動く」
言って、ためらうことなく思いっきり動かした。身長の半分もある大きな羽によって風が吹き荒れ、椅子が倒れ、ベッドのシーツがはためき、砂埃がぶわっと舞い上がった。「やばっ」
「ちょ……っ」
慌ててハウスの外に逃げ出す私。続いて吉岡さんも飛び出てきて、手摺りに縋るように抱きつく。ハウスの中はモクモクと茶色に埋め尽くされていた。
「いやあ、ごめんごめん」と吉岡さんはあっけらかんと言う。
「もう少し、ごほっ、後先考えてよ」
「ごめんてば」
笑いながらで、全然反省の色が見えない謝罪だった。まあそんなに怒ることじゃないけどさ。
「てことで」吉岡さんは改める。
「飛べないわけよ。困ったね」
羽のサイズからして物理的に人体を浮かせるのは不可能だろう。とは思いつつ同意するように頷いた。
途中で見かけた妖精たちは明らかに超常的な力で飛んでいた。きっと彼女もそれができる。
「吉岡さん」
我ながら驚くほど真剣な声が出て、まして吉岡さんは尚の事だと思う、「はい」と応えた声が軽く裏返っていた。私は、今度は自覚を持って、真剣に言う。
「飛ぶ方法を探してみよう」
「え、ああ、うん。ありがと?」
困惑された。
やばいな。やる気が空回りしてる気がする。
あ! と何か思い出したように吉岡さんがハウスに背を向ける。
「気を付けないといけないんだよ」
視線を辿ってみたけどおかしなものは見当たらない。
「何に?」と尋ねると。
「そこ」
彼女は指差した。私が来た道から少し離れた木々の隙間だった。何か現れる。
それはおぞましい姿をしていた。
ゾービングの球ぐらいの巨大な眼球。それに続く長い胴体は光沢のある黒色で、無数の節に分かれ、節ごとに一対の脚が生えている。
ムカデだ。
ムカデではあるけど、頭部が丸々眼球に挿げ替わっている。それも人間の眼球。
「何あれ……」
「よく分かんないよね。ずっとこの辺りを徘徊してるっぽいよ」
ムカデはズルズルと這い出てきて、弧を描くように草原に立ち入った。全長は五〇メートルといったところ、胴体の幅は眼球より大きく……五メートルぐらいか。足先は針のように細いけど根本にかけて太く、腹に草花の先端がかするぐらいの高さで胴体をしっかり支えている。
「まあすぐに立ち去るよ」
彼女は確信したように言った。確かに襲ってくる様子ない。だけど、まんまるとした目玉が思いっきりこちらに向けられている……。
ムカデの生態は噛まれたらマズいってことぐらいしか知らないんだけど、このムカデにはその口が無い。危険としたらシンプルにその巨体か。
「ん?」
ムカデがハウスを支える木に足を掛けた。
「登ってきたんだけど」
「あれ、おかしいな。さっきまで素通りだったのに」
「ここ、逃げ場は?」
「え、どうだろう。たぶん木に登るくらい?」
「登り切ったあとは?」
「そりゃ行き止まり」
会話を交わしながら、私たちは端っこへ逃げる。あとは手摺りを越えて枝を登るしかない訳で、しかしあっという間にムカデは追ってきた。デッキの反対側に私の倍はある眼球がぎょろりと現れる。その不気味さに怯えつつ、私は桃色の石を握りしめた。
「吉岡さん、私を後ろから抱きしめて」
「え?」
「いいから早く」
「う、うん」
彼女がぎゅっとバックハグしたところで、すぐに桃色の石の力を使う。
「うわ、浮いた」
石の力は周辺にも影響する。あとは、
「その羽で羽搏いて。浮かせることしかできないから」
「あっ! 了解!」
意図に気づいた途端に得意げに言い放ち、直後強い風が巻き起こる。たった一度の羽搏きでもざっと五メートルぐらいは移動したと思う。もう一度羽搏いて更に距離を取った――と同時だった。ムカデは器用にも手摺りを駆けると、勢いそのまま大きく跳んだ。一瞬にして私たちを通り越し、うじゃうじゃと生えた脚とベージュの腹が頭上を覆う。
強烈な圧迫感。
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
耳元で絶叫が劈く。
たまらず顔を顰めてしまうもののすぐに指示を出そうとした。けど、その必要はなかった。彼女はすぐさまバタバタと慌ただしく羽を羽搏かせ、かろうじて腹の下から脱出。ムカデはそのまま落ちていき、どすんと大きな音を立てて木々を薙ぎ倒し、大地を耕した。
「あっぶな」
安堵をこぼす吉岡さん。
普通に襲ってきたじゃん。と文句を言おうと思ったけどやめておいた。
しかしこんなのがいたなんて。
「藤田さん、ビビってる? 身体震えてるけど」
何を言うんだこの人。
「ビビってない。生物として生命の危機に敏感になってるだけ」
「それを人はビビってると言うんだよ」
「…………とにかく、一度どこかに下りよう。ほら、ちょっと遠いけど見晴らしのいい崖があるし、そこ行こう」
「は~い」
吉岡さんはまさに蝶のように空を飛ぶ。ハウスの裏――森の上の方へ。
私はトメちゃんみたいに魔法を使えない。せいぜい浮かせることぐらい。吉岡さんにも武器は無さそうだし、また襲われる前になんとか解決したいな……。
「あいつ、なんとかして倒したいよね」
彼女はそんなことを言い出した。
「なんでわざわざ」
「あんなのがいたら危なくて仕方ないじゃん」
「まあ、確かに」
でもそんな危ないことしてどうす……いや、そっか。あいつを倒せばいいんだ。それだけなら単純明快で、トメちゃんの言う通り、難しい願いじゃない。最大の問題はどうやって倒すか。
「剣でもあれば倒せるんだろうけど」
吉岡さんはボソッと言った。
そうだね、と頷きかけたけど、思い留まる。
「なんで剣?」
「え、だって妖精と言えば剣でしょ?」
よく分からない。だけど、
「そっか。じゃあ剣を探そう」
理屈はさておき、彼女がそう思っているならあるはずだ。だって、ここは願いを叶える場所だから。
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